世界を割る
「世界を割る」第80回

第80回 ヒノキの炭酸水で割り、捨てられない紙を眺める

「世界を割る」第80回

先日、三重県の伊勢に行った。お伊勢さんのある、あの伊勢だ。前日は伊勢市よりもだいぶ南にある志摩市の賢島に宿泊して、そこでのんびり過ごし、大阪へ帰る途中に伊勢市に寄ったのだった。

伊勢神宮に参拝するといったことはせず、以前、麺全般に詳しいライターの玉置標本さんと一緒に話すトークイベントがあった時に、玉置さんが教えてくれた「伊勢うどん」の奥深い世界のことがずっと気になっていて、それで食べに行ってみたかった食堂で伊勢うどんを食べた。それが衝撃的に美味しくて、あと、伊勢出身の編集者の方におすすめしてもらった「ぎょうざの美鈴」というお店にも行けたのだが、そこの餃子も、お店の雰囲気もすごく気に入った。

「志摩も楽しかったけど伊勢もいいなー!もっとゆっくり来たい」と思いつつ、帰りがけに入ったコンビニに「HINOKI SPARKRING WATER」という炭酸水が売られているのを見かけて買った。

検索して見つけた商品説明にはこうある。

間伐された三重県のヒノキを原料に 添加物を使用していない 環境にも身体にも優しいノンアルコールスパークリング 馴染みのあるヒノキの香りで 落ち着いたひと時を

ヒノキが原料になった炭酸水なのである。栓を開けてみると、ヒノキの香りがする。氷をたくさん入れたグラスに注いで飲んでみると、炭酸の爽快感とともに、ヒノキの香りが鼻を抜けていく。これはすごい。そもそも私はヒノキの香りがかなり好きなので、その香りが体を通っていく感じがたまらなく心地いい。根拠はまったくないけど体の中が綺麗になるようなイメージの、そんな味。

甲類焼酎をその「HINOKI SPARKRING WATER」で割って飲んだら、これもまた美味しい。スーッとした後味だ。ウイスキーをこれで割ってヒノキ風味のハイボールにしてもよさそうだけど、私はこのヒノキチューハイのクリアな味わいが好きになった。

ところで、私は旅に出ると色々な紙を持って帰る。泊った宿のパンフレットとか、観光案内所に置かれているチラシ類、お土産物屋で売っている絵葉書とか、入った店の箸袋とか、そういうものをリュックにしまう。志摩と伊勢でも色々な紙に出会った。

それを後でどうするかというと、特に何もしない。クリアファイルに閉じたりして、そのままである。ここ数年、もう自分の年齢が40代も半ばとなって、「こんなの集めたってしょうがない。どころかもっと整理して本当に自分にとって大事なものだけに絞っていきたい」と思ったりもするから、持って帰る時点でだいぶ厳選するようになったけど、それでもやはり行った先から何らかの紙類を持ち帰らずにはいられない。そうやって持ってきた紙が、自分にとっては旅の痕跡なのだ。

旅先で収集した紙以外にも、日々、好きな紙に出会い、それを集め、そういったものは少しずつ増えていく。体系的にコレクションしたり分類したりしているわけでもないし、もっと全然レベルが違うほど大量に集めている人からしたら「あっそれぐらいは普通じゃないですか?」と思うような、大したことのない量だろうけど、部屋にそういう紙がたくさんあって、いざ部屋の片づけをしようとすると困る。

少し前に、月に一回、一緒に取材をしている編集者の方から「ZINEのイベントがあるんですけど出ませんか?」と誘ってもらった。私はZINEというものを自分で作った経験がほぼない(書いた文章をホチキスで閉じたものを試しに販売してみたことが一度ある)し、特に明確にやりたいことがあるわけでもないので一度はお断りしたのだが、「いやー、この機会になんか作ったら楽しいんじゃないですか?」と言われ、「うーん、まあ」と、やっぱりやってみることになった。

「ZINEって言ってもな」と少し困ったが、ちょうど部屋の片づけを進めているタイミングでもあって、「あ、あの部屋の色々な紙についてのZINEを作ってみたら面白いかも」と思いついた。

で、そのZINEのイベントは、2024年4月20日(土)・21日(日)に開催される「NAKANOSHIMA ZINE'S FAIR 2024」というもので、私はその20日の方にだけ出展するのだが、それにあわせて制作することになったのだ。「捨てられない紙」というタイトルのZINEにすることにして、部屋の中から、30枚の捨てられない紙をピックアップして写真に撮ったりスキャンしたりして、一枚ずつに対する思い入れを文章にしてそこに並べて、68ページほどのボリュームになった。

たとえばこの紙、自分が一人暮らしをしていた頃に部屋に来た友人が書いたものだと思うのだが、ずっと取ってあった。

「世界を割る」第80回

こういう文章を添えた。

ひとり暮らしをしていた私の部屋に、誰か、友人が遊びに来たんだろう。それでそのまま寝ていくことになったのか。ボールペンの走り書きが残されていた。「本当に申しわけないが11:30に起こして下さい。とにかく、立ってちゃんとするまで 起こして。おねがいします。」これが今も私の手元にあるということは、捨てさせないオーラがあったんだろう。よく見ると、「11:30に起こして下さい。」の部分、一度「11:30に起こしてくれ」と書こうとしたのをうじゃうじゃっと消して、「起こして下さい。」に修正してある。「起こしてもらうのに、くれ、は偉そうだな。下さい、だな」と考えたんだろう。繊細な気遣いである。「とにかく、立ってちゃんとするまで 起こして。」という文章も好きだ。人生にどんなことがあろうと、とにかく、立ってちゃんとする、そこからしか始まらないのだ。

こんな感じのものが30個ある本だ。まずはお試しとして作ってみて、もし無理なくできそうであれば、今後も同じスタイルでたまに作っていこうかなと思っている(今回、ライターの橋尾日登美さんが制作をかなり手伝ってくれて、それなしには全然できなかったので、こういう書き方は偉そうなのだが)。とりあえず100部作って、イベントでそれが売り切れたら最高だけど全然そんなわけにはいかないと思うので、売れ残ったものは機会を見つけて手売りしていけたらと思う。

もし当日、会場に来られる方がいたらよろしくお願いいたします!

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スズキナオ
スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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