世界を割る
「世界を割る」第40回

第40回 川べりで割る

「世界を割る」第40回

京都・嵐山の保津川沿いにある休憩所「琴ヶ瀬茶屋」が好きで、あちこちにそのことを書いた。創業は大正8年で、西暦に直すと1919年だから、100年以上になるのか。昔から保津川の川下り船の乗客にお茶や酒や団子などを売りに行く船として営業を続けてきて、今が3代目だそうだ。商売上は“水上のコンビニ”とも言えるその役割がメインなのだが、岸辺にも座席が設けてあり、そこに腰を落ち着けてのんびり過ごすこともできる。

その琴ヶ瀬茶屋、冬季は長く休み、いつもなら3月末ぐらいから営業を開始するのだが、今年は新型コロナウイルスの影響で冬休みのままずっと店が開かず、どうなることだろうかと不安に思っていた。京都でも有数の観光地である嵐山は修学旅行生や海外からの旅行客でいつも賑わっていたから、それらの人々がすっぽりといなくなってしまった今、近隣の飲食店、土産物店、旅館などが相当な打撃を受けているとニュースでも報道されていた。嵐山全体がそんな状況なのだから、その中でもひっそりとした雰囲気で、穴場的なスポットであった琴ヶ瀬茶屋はなおさら心配である。

以来、Twitterの検索窓に「琴ヶ瀬茶屋」と入力しては誰か再開情報をツイートしていないだろうかと調べ続ける日々だった。嵐山まで自転車で行ける距離に住んでいるという京都の友達が何度も様子を見に行ってくれたりもした。5月中頃に一度、世間的にも外出自粛ムードが弱まった時期があったが、その頃に琴ヶ瀬茶屋がようやく今年の営業を開始したらしいと知ってひと安心した。今すぐには行けないが、もう少し状況が落ち着いたら足を運んでみようと思っていた。

しかし、ウイルスの後に今度は災害がやってきた。6月の豪雨による川の増水で被害を受け、またもお店が閉店を余儀なくされたらしいという知らせがあった。琴ヶ瀬茶屋は川の際にあるから、豪雨や台風で川が増水するとすぐさま影響を受ける。ここ数年、毎年一回はそういった被害でしばらく店が閉まることがあった。だから、言葉は悪いがそれについては慣れっこなところもあったと推測されるのだが、今年はいつもの一年とは違う。頑張って再度オープンしたとしても、そもそも客足が減っているのだ。自粛ムードが多少緩んだからといって観光客が一気に戻るわけもなし、これはもう、年内の営業が見送られても当然かもしれないと思った。

そんなことを思いながら、心の半分では「ふいに営業を再開したりしないかな……」とあきらめきれず、またTwitter検索の日々。すると8月中頃、琴ヶ瀬茶屋を訪れたらしき方のツイートが検索結果に表示されたではないか。よし、今度こそ、と思った。

9月あたりに大きな台風が来ることもあるし、いつ何があるかわからないんだから行けるうちに行っておこう。まだまだ外出を控えている人が多い中で気が引けるところもあるが、できる限り気をつけつつ嵐山まで行ってみることにした。

予想以上に人の少ない渡月橋周辺の風景に驚きつつ、この状況で琴ヶ瀬茶屋は本当に営業しているんだろうかと不安をおぼえながら歩く。目的地は茶屋の対岸。営業中であればそこにボートが留めてあり、客がそれを自分で漕いで茶屋に向かって行けるようになっているのである。

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汗をかきながらその場にたどり着いてみると、あったあった。ちゃんといつも通りボートが留めてある。向こう岸にある茶屋の方にも人影があり、しっかり営業中のようである。ホッとしてボートに乗ってから思い出したが、ボートを漕ぎ慣れない私にとってここからが緊張のひとときなのだ。

しかしまあ、もがくようにしてなんとか対岸にさえ近づけば向こう側から棒を使って引っぱってくれる。さあ、久々に来ることができた。相変わらずの景色に安堵する。

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お店の方に聞いてみると営業再開は8月8日からだったとのこと。「コロナもあったし今年は大変やわ。また台風来るらしいしなぁ」とおっしゃっていた。台風が近づくたびに船をレッカーで高い場所まで引き上げ、店の設備もできる限り避難させるのだそうだ。それでも川が増水すれば座敷や屋根が流れてしまう。

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準備や復旧にかかる作業がとにかくハードらしく、「ここはのんびりしたように見える場所やけど、裏側は地獄よ」と笑いながら言っていた。「でもお客さんはそんなん知らんでゆっくりしていってー」とのこと。

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琴ヶ瀬茶屋、やはり何度見ても、どこからどう見ても素晴らしい場所である。100年以上、この場所がビルド&デストロイを繰り返して今もここにあるということがとにかくありがたい。

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瓶ビールを飲んで気が大きくなったのもあり、今日の記念にと、ここで割らせてもらうことにした。メニューの中に焼酎水割りがあるので、その焼酎をストレートの状態でグラスにいただき、メニューにある他の飲料で割ってみる。

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左からトマトジュース、緑茶、冷やしあめ、である。このうち、トマトジュースと緑茶はもう当たり前に誰でも割っている。こうしている今も世界中で毎秒何千杯と割られているだろう。当然のように旨い。問題は冷やしあめだ。しかし、これもまた当然のように美味しい。「美味しい」以外の感想が出てこない。ショウガの風味が焼酎とよく馴染み、この割り方も自分が知らないだけで案外ポピュラーなんじゃないかと思わせる。

お店にいつもいる常連のおじさんがこちらに近づいて来たかと思うと、「靴履いて来てみ、化け物がおるで」と手招きする。そちらへ行ってみると、船の下に住み着いているという巨大な鯉の姿が見えた。食パンをちぎって与えていいと言うのでそうさせてもらうと、水面からガバリと現れる大きな体とあんぐり開いた口に迫力がある。

それにしても、こうして鯉にエサをやったり、たまに来る船を棒で引っ張ったり。このおじさんのように生きていきたいとここに来るたびに思う。憧れの人だ。去年ここでお見かけした時より少しお痩せになったようにも見えたが、いつまでも元気でいて欲しい。

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琴ヶ瀬茶屋は例年なら10月中頃まで営業している。ボートを漕がなくても、渡月橋を南側(モンキーパークへ向かう道がある方)を川の上流に向かって歩いていくと店が現れる。ひと息つきに行ってみて欲しい。

スズキナオ
スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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