世界を割る
「世界を割る」第56回

第56回 見たことないコーラで割る

「世界を割る」第56回

取材をしに有馬温泉へ行った。有馬温泉は神戸市内にある温泉街で、交通の便もよく、電車に乗れば三ノ宮からは30分ほど、大阪からも1時間ちょっとで着いてしまう(近郊から直通のバスもあるし、六甲山系を歩いて帰りに有馬温泉で一休みして帰るというハイカーも多いらしい)。

そんな身近な温泉地であるのに、私は先日まで有馬温泉に一度も行ったことがなく、今回ようやく訪れることができてうれしかった。その詳しい模様は長くなるのでここでは省くとして、有馬温泉と言えば炭酸なのである。有馬温泉の周辺には炭酸泉が湧き、古くから砂糖を入れてサイダー的な飲み物として親しまれたり、炭酸泉を使って作られた「炭酸せんべい」というお菓子が名物になっていたりする(さらにもっと前、そうやって食用・飲用として使われる以前は「毒水」として恐れられていたそうだ)。

その有馬温泉に「有馬炭酸力」という炭酸飲料の専門店がある。というか、その店の前を通りかかって「こんな店があるんだなー」と知ったのだが、残念ながら取材時は定休日なのか閉まっていた。しかし、店舗前に自動販売機が設置されていて、そこでも珍しい炭酸飲料が販売されていた。どれも普段はあまり見かけないものばかり。「これで焼酎を割ってみよう」と、この連載のことを思い出し、いくつか買って帰ることにした。

有馬温泉を一人で巡り、近くの滝を眺めたり、食事をして、公共浴場で一休みしたりした。地ビールを提供している立ち飲みスタンドでぼーっと過ごし、気が済んだので帰ることにした。有馬温泉駅から電車を乗り継ぎ、新開地駅で下車した。平日の有馬温泉はのんびりした雰囲気でよかったけど、慣れない土地を歩いた後、これまで何度となく飲み歩いてきた新開地にやってくると、知った場所に戻ってきたという安堵感が自分でも意外なほどに強くわき起こった。

夕闇の迫る新開地を神戸駅に向かって歩いていると、「ててら」という、この辺りに詳しい知人に「いい店ですよー!」と教えてもらったことのある居酒屋にのれんがかかっているのが目に入った。新開地まで戻ってきてホッとした気持ちもあり、一杯飲んでいこうかと店に入る。

奥へと長くカウンターが伸びている店内。客は誰もいなかった。中ほどの席に座り、レモンチューハイを注文する。「湯豆腐」と「小松菜のおひたし」も。とろろ昆布が乗った湯豆腐にはカットされたすだちが添えられていて、おひたしにはごま油で炒めたものだろうか、カリッとした食感のしらすが振りかけられている。できあいのものをそのまま、という感じではなく(それはそれで私は好きだが)、ひと手間加えてくれている感じがうれしかった。もちろんどちらも美味しい。

しばらく静かな時間が続いた後、戸が開いた。ご常連で、久々にこの店に来る人らしかった(ちなみにここから書くお客さんの様子や聞こえてきた会話は、事実を元にはしているけど、具体的な部分はほとんど私の創作だ。個人が特定されないように色々いじってある。今さらだが、店の名前も適当につけた)。

「ずいぶん久しぶりやな」「そうやろ。一ヶ月ぶりやで、酒。前にここで飲んで、それ以来や」「ほうか。少し痩せたんちゃうか?」「痩せたわ。飲んでないしな。えぇ、生中と、マスターも一杯飲んでや」「おう、ありがとう」

と、そんなやり取りをしている。

さらにしばらくして、やはり常連らしき二人組が入ってきて私の左隣りへ。もう少しして別の二人組が私の右隣りに座って賑やかになった。カウンターの何か所かに飛沫対策のアクリル板が置いてあって、私の左にも右にもそれが置かれ、(「一蘭」というラーメン屋に行ったことがある人がいたらあの独特の席を思い浮かべて欲しい)、まあ仕切りは透明なのだが、たくさんの常連さんと、仕切りに挟まれた一見客の私、という感じになっている。

しかし私はこういう状態が嫌いではない。もし常連さんに話しかけられたらもちろん言葉を返すだろうけど、一人で黙って、みんなの言葉のやり取りをぼんやり聞いている時間も好きだ。続いている会話の邪魔にならなそうなタイミングを見計らい、チューハイをもう一杯おかわりした。

「世界を割る」第56回

5人の常連客とマスター。誰かと誰かが会話し、それを遮るように注文する声があったり、もともと会話しているところにふいに横やりが入ったりする。

「痩せたんちゃう?」
「そやろ。マスターにも言われた。2キロほど痩せてん」
「ええやん。男前になったな」
「マスター。関東炊きの豚足ちょうだい!」
「小松菜なんて久々に食べるわ、私」
「いや、うまいわ。久々飲むとやっぱり酒はうまいな。なんやかやゆうても」
「豚足ってまだある?こっちもいい?」
「あるある」
「東京2万人やてな」
「行くところまで行かな、止まらんな」
「すき身ある?」
「あ、さっきので終わりやわ」
「コロナ大変やな」
「もう慣れたからな。いつものことや、もう」
「あ、すき身、一人前ならいけるわ」
「美味しいわ。家でこんなダシ出えへんもんな」
「そんなん、上の子が可愛そうやわ」
「え?なんて?」
「キー坊ってここんとこ来てんの?」
「お母さん死んだんやったよな?」
「キー坊やろ?キー坊は元気しとるで」
「ほうか。キー坊もう73やろ?」
「そんななるか?72ちゃう?」
「一日に10も20も薬飲んでねんで俺」
「マスターも一杯飲み」
「ありがとう」
「飲食は大変やで、今だいたいひとり2千円も飲まんやろ?」
「え!そらそうや」
「ごっついな東京、今日2万人やって」
「オリンピック始まるん?」
「昨日はせやけど、風が強かったな」
「外、出えへんからわからへん」
「オリンピックもう始まってるん?」
「あれすごいらしいな」
「減る気配ないな」
「増えるでまだまだ!減れへんよ。2万人やで」

私だけが無言でここにいて、言葉を浴びるように、温泉につかっているように、「あぁ、なんかいいな」と思っている。

2杯目を飲み終え、お会計をお願いして席を立とうとすると、左隣のお客さんが、「ごめんな。ベラベラしゃべって」と私を向いて言った。「いえいえ全然」「兄ちゃん、ずっとマスクしてるから、嫌やったんちゃうか思て。ごめんな」「いえ、そんなことないです!すみません」と、そう言って店を出た。

そうか、私は賑やかな店内でアクリル板の間に身を縮め、飛沫を嫌がっているように見えたのかもしれない。ずっとうっすら気を遣わせてしまっていたことに自分が無自覚でいたと知り、恥ずかしくなった。「今日、さっきまで有馬温泉にいたんですよー!」なんて、私は本当はそんな風に誰かと話したかったんだと、帰り道の途中で気づいて寂しくなった。

家に戻り、リュックの中から自販機で買った3本のドリンクを取り出す。

「インカコーラ」「メッコール」、“台湾コーラ”と呼ばれるらしい「サルサパリラ」の3つだ。「インカコーラ」はちょっとチープなドデカミンみたいな味がして、「サルサパリラ」はドクターペッパーとかルートビアとか、ああいう味。「すごくマズい!」みたいな噂ばかり聞いたことがあって、おそるおそる飲んだ「メッコール」はコーラとコーヒーを混ぜたような味で嫌いじゃなかった。

それぞれに甲類焼酎を少しずつ加えて飲んでみる。「インカコーラ」と「サルサパリラ」はもともとの味がかなり強烈ゆえ、焼酎感が消え失せる。「メッコール」は、コーヒー焼酎に炭酸を加えた「コーヒーサワー」という感じの味になって、私はこれが結構好きだなと思った。

スズキナオ
スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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