世界を割る

第36回 「水」で水を割る

「世界を割る」第36回

ここ1週間ほど酒を飲んでいない。不安な日々に気が晴れず、メリハリなく酒を飲み過ぎ、それで胃腸が弱って、と、よくない流れで体にダメージが蓄積したようである。それでなくても、少しの体の異変に「あれ、もしかして?」と、おびえるような毎日だ。しばらく健康に留意しようと思って“水の水割り”ばかり飲んでいる。

夜中になると目が冴えて、ためしに音楽をかけてみても、なかなかどれもしっくりくる気がしなくて、途中でやっぱりやめたりして、ブラウザの別のタブに開いてあるニュースサイトを見てもTwitterを見ても暗い気持ちに少しずつ向かっていくのがいつものことなので、最近はとにかく高速でまくしたてるようにしゃべるYoutuber(オリラジ中田敦彦など)の動画を、内容は理解しようとせずに音そのものとして聞いて、そのアッパーな雰囲気だけ味わっている。しかしやはりそれにもある程度で疲れ、ふとやめる。

なんか楽しいことを思い浮かべたい。そもそもこれまでの人生にそんなに楽しいことってあったっけ?と、眉間にしわを寄せるようにして、できる限り思い出そうとしてみる。するとこんな場面が思い出された。

小学生の頃、近所の公園で野球をして遊んでいた。ゴムボールにプラスチックバット。メンバーは自分も含めて3人。ピッチャーとバッターと外野手がいるだけの野球の最小セットという感じで、公衆便所の壁をキャッチャーがわりにしてやっていた。同じ場所で、だいたい同じメンツで来る日も来る日もそうして遊んでいて、ある時、私が投げたボールが暴投となってストライクゾーンを大きく外れ、公衆便所の壁の隅の方に一か所だけ空いた雨水排出用の穴にスポッと入った。穴の大きさはちょうどゴムボールぴったりという感じで、あえて狙って投げたって入るようなものではない。

「百年に一度だけ水面に出てくる目の見えない亀の首が、たまたま海面に浮かんでいた流木の穴に入る」という「盲亀浮木」という言葉がある。仏教の教えに通ずることはそれぐらい困難なことだよ、という意味に使われるものらしいが、何かの本でその言葉を知った時、私が思い出したのはあの自分の投げたゴムボールのことだったほどである。

ゴムボールがスポッと穴に入り、私もバッターも、私の背後の外野手もビクッと動きを止め、壁の穴を見つめた。正確には、私の背後の外野手が実際に動きを止めて穴を凝視していたか、自分の目で確かめたわけではないが、きっとそうだったろうと思う。なんとなくそんな気配があった。

数秒の間があって、3人で大爆笑。「うははは!」、「あはははは」、「ははは!はーっはっはっはは」。息ができない。その場にしゃがみ、身をよじるほどである。「すげっ、ははっ、ちょうど、球が球が、はははははは!」、「ひー!はははは、入った。ボール、はははは」、「すげえっ奇跡、ははは、奇跡、はははーっ」と、体力をすべて使い果たさんばかりに笑い続けた。その後、プレイを再開したし、また翌日以降も同じ場所で野球をする機会が何度もあったが、もちろん同じようなことは二度と起こらず、あれ以上に笑うこともなかった。

今こうして30年近く前の場面を書き起こしてみて、なぜあそこまで面白かったのかわからない。いや、ボールが穴にちょうどスポッと入るのは確かに「おおっ」と思わせるものだし、快感もあるけど、30年後もこうして憶えているほどに大事な記憶だろうか。それだけ自分の人生に大した面白い瞬間がなかったということなんだろうか……。

何か面白かったことを思い出そう、としばらく考えたけど、今のところそれぐらいしか浮かばない。

あとそうだ。小学生の時に、友達と自転車で隣町まであてもなく走っていて、ふと行きついた神社に「いわや道」という、洞窟の奥にお地蔵さんがまつってあるような一画があって、ちょっと肝だめし感覚で一人ずつ交代で入ってみようということになった。先に私が行くことになり、早足で暗い洞窟の奥まで行き、手を合わせてすぐに引き返した。洞窟といっても奥行きは10メートルほどであろうか。奥まで行って戻ってきて、で、1分ぐらい。あっという間だけど、小学生にとってはそれでもちょっとスリリングであった。

次にもう一人の友人が洞窟に入っていった。私が「怖かったよー!!」と実際に感じた以上に大げさに言って脅かして、「えー!こえーな!」と言いながらそろりそろり入っていった友人だったが、それが、ずっと洞窟から出てこないのである。子どもの体感だからアテにならないかもしれないが、10分ぐらい出てこなかった気がする。

ようやく出てきた友人に「なんでこんなに遅いの?」と聞いたら、「え?奥まで行ってすぐ出てきたよ?」と言う。「え……10分ぐらい外で待ってたよ」、「は?すぐ行き止まりじゃん」、「うん」、「だからすぐ出てきたよ」、「えー」。と、友人は「何言ってんの?」という感じでケロッとしていて、むしろ洞窟の外にいた私の方が怖くなった。

今思えばあれは逆ドッキリというか、私を怖がらせようという友人のテクニックだったのかもしれない。だとしたら、私を怖がらせるためにあえて洞窟内に長くいたということなんだろうか。謎だな。全然面白い話でもないが、そんなことが思い出されてきた。

今いきなり学校が休みになってあてもなく外をうろうろしている小学生たちにも、30年後になっても思い出す、「その割にどうでもいい話」が生まれているんだろうか。生まれているといい。

スズキナオ
スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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