芦屋に住む友人から連絡があって、谷町九丁目の喫茶店に一緒に行くことになった。
友人はずっと前にその喫茶店の前を通りかかったことがあって、なんとなくその店のことが気になっていたという。最近になって、ふと、覚えていた店名で検索してみたところ、近いうちにそこが閉業してしまうらしいことを知った。
それで、閉まる前に一度行ってみようと思って、私に声をかけてくれたらしかった。私はその店のことをまったく知らなかったわけだが、その友人と会うのも久々で近況が知りたかったし、どんな店なのか気になったのもあって、「ぜひ行きましょう」と返事をした。
地下鉄の谷町九丁目駅構内で待ち合わせて、そのまま真っ直ぐに店に向かった。古いビルの地下にある喫茶店で、それほど広くない、L字型をした店内に5つほどのテーブルがあり、10人ほど座れば満席という感じに見えた。
私はホットコーヒーとハムトーストを、友人はアイスコーヒーとサンドウィッチを注文した。店内にいる数人の先客はほとんどみんなタバコを吸っている。友人もタバコを吸う。タバコが吸える場所がどんどん少なくなっているから、こういう店は貴重だ。
純喫茶が好きだという友人いわく、今の時代で言う“純喫茶”には2種類あり、本当に昔からある古い喫茶店を指す時と、レトロな雰囲気をコンセプトにした今風な喫茶店を指す場合とがある。今風な純喫茶が嫌いなわけではないし、そういうところはデザートに力を入れていて美味しかったりするけど、大抵タバコが吸えない。だからタバコが吸えるかどうかを軸にすると、歴史のある純喫茶にたどり着きやすいのだと、そんな話を聞いていたらコーヒーとハムトーストとサンドウィッチがテーブルの上に並べられた。
私が注文したハムトーストは200円。
友人が注文したサンドウィッチは350円だった。
サンドウィッチがすごい量で「これを二人で分ければそれで十分でしたね」と笑った。私のハムトースト一切れと、友人のサンドウィッチの半分をトレードし、「すごい量だ!」と思った割りにはお互いすぐ食べ終えた。辛子が効いていて美味しかった。
友人が、住まいの近くにあるという紅茶専門店の茶葉をお土産にくれた。一袋に20杯分のティーバッグが入っているという。「ここの紅茶すごく美味しいんです。そのまま飲んでもいいし、よかったら焼酎を割って飲んでも」と、友人はこの「世界を割る」を読んでいて、そんなことまで言ってくれたのだった。
ハムトーストとサンドウィッチを全部食べ、それぞれコーヒーを飲み、友人がクリームソーダを追加して、それを飲み終えた。会計時に聞くと、やはりその店は年内で店を閉めるそうだった。ひっきりなしに来ていたお客さん、タバコを吸い、スポーツ新聞を読んで店主と会話していたあの人たちは来年からどうするだろうか。
外に出て、谷町九丁目から難波宮跡公園の方へと歩いた。難波宮跡公園は飛鳥~奈良時代に築かれた宮殿跡が公園になった場で、だだっ広い。
私はかつてこの場所で別の友だちと酒を飲んでだらだらと過ごしたことがあって、その時の楽しさが記憶に残っていたので、「ぼんやりするのにいい場所があります」と友人に説明してここへ来た。事前に近くのスーパーで缶チューハイも買ってあった。
座れそうな場所を見つけてそこでしばらくくつろいだ。私はチューハイを飲み、酒を飲まない友人はスーパーで買ったコーヒーを飲んでいた。友人は過去に経験した辛い出来事の話をした。辛い経験について話した時に、それを聞いた相手が「自分にも似た経験があるからわかるよ」「辛かったね。いつか傷は癒えるよ」というようなことを言う。友人は一時期、そういう言葉に対して「わかるはずがない。この辛さは絶対に誰にもわからない」と、抵抗を感じていたという。
でも今は、そう言ってくれていた人の優しさを素直に受け止められる。そう思えるようになった、と友人はコーヒーを飲みながら言った。
私はそれを聞きながら、いつだったか、テレビの「すべらない話」で、ある芸人が親を亡くしてそのことを師匠に話したら、師匠が「うちの猫も最近亡くなったんや」と同情してきて、親と猫が一緒か……と思ったというエピソードを披露していたのを思い出した。
話し方が上手で、聞きながら私は笑ったと思うのだが、ずっと後になっても「あの師匠の同情は間違ってはいなかったのではないか」と、その話をよく思い返した。たしかにまあ、「それとこれとを一緒にするのか!」と言えなくもないが、でも、猫を亡くした師匠の悲しみが、親を亡くした自分の悲しみより小さいとは限らない。というか、悲しみに大小はあるんだろうか。
……いや、やはり悲しみに大小はある。誰が聞いても悲劇としか思えないような壮絶な悲しみに対して、もっとありふれた悲しみもあって、そこには明確な差がありそうだ。でも、もし悲しみに大小があったとしても、そこはどうにもできないというか、ある人の悲しみに歩み寄ろうとすれば、自分の中にある悲しみをサンプルにして、相手の気持ちを想像するしかない。私たちは絶対に個別の人間としてしか存在できないのだから、どんなに想像力を尽くしても相手の悲しみを完全に体感することはできない。
他人の悲しみについて、わかるわけがなくても、私たちはそれでもなんとか「わかるよ」と言うしかない。「わかるよ」というのは、「わからないけど、少しだけわかる気がする」とか「わからないけど、もっとわかりたいと思うよ」という意味とほとんど同じだ。
そんなことを考えていたら日が暮れてきたのでそれぞれの帰路についた。家に帰って、友人がくれた紅茶の袋をリュックから取り出した。お湯をわかして、袋からティーバッグを一つ取り出して入れたカップに注ぎ、しばらくしてから一口飲んでみた。最初はそこに焼酎を足そうと考えていたのだが、その紅茶の香りが本当にすごくよくて、このまま大事に飲み終えようかなと思っている。
(X/tumblr)
1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
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