世界を割る
「世界を割る」第67回

第67回 水無瀬の水で割る

「世界を割る」第67回

水無瀬の「高橋商店」のことを教えてくれたのはYさんだった。水無瀬は大阪府の北東にあって、もう少し北へ行くと京都府になる、大阪の端の町だ。その水無瀬にすごくいい店があると、最近よく一緒にあちこち散歩をして酒を飲んだりしている友人、Yさんが誘ってくれたのだった。高橋商店はいわゆる角打ちスタイルの店。お酒を売るお店であり、店内で飲んでいくこともできる。

この店の角打ちは朝7時半から営業している。なんでそんなに早くからやっているかというと、近くに大きな印刷工場があって、そこで夜勤をしている人のためなんだという。Yさんや私は夜勤をしてきたわけではないが、朝の10時に集合して飲んだ。

瓶ビールや缶ビール、缶チューハイ、ワインやシャンパンなどたくさんのお酒があり(酒屋さんだからそりゃそうだけど)、お手頃な価格で飲める。まずは瓶ビールをグラスに分け合って飲んで、2杯目以降はウイスキーの水割りにした。というのも、ここ、水無瀬は水が美味しい土地として有名なのである。

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町の中に水無瀬神宮という神社があって、その境内には「離宮の水」と名付けられた水の取水口があり、それが大阪府で唯一「日本の名水100選」に選ばれているんだという。水無瀬は昔から地下水が豊かな土地で、その名水があるからこそ、すぐ近くにサントリー山崎蒸溜所が作られたらしい。それにしても、そんなに水に縁がある土地なのに「水無瀬」とは不思議である(「皆瀬」が転じて「水無瀬」になったとか、諸説あるらしい)。

水無瀬の町の水道水は90%がこの地下水を使っていて、今もいくつかの井戸から引いているんだという(残りの10%は大阪府の水道水で、それは井戸が将来的に枯渇したりしても対応できるようにそうなっているらしい)。蛇口をひねって出てくる水が地下水と大阪府の水道水の9対1のブレンドであるようなイメージだ。

と、そんな水なので、美味しいのである。いや、私は味覚が鈍くて、水の善し悪しがパッとわかるような感じでは全然ないので情けないが、高橋商店でウイスキーの水割りを作ってもらって飲んだら、なんだか美味しい気がした。いつもよりすいすい飲めるような。お店の方にお願いするとその水の入ったボトルと新しいグラスをテーブルの上に置いてくれて、その水をチェイサー、和らぎ水として飲むことができる。なんだか得した気分だ。

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私は今までに2度、どちらも平日の早い時間にしか高橋商店にしか行ったことがないのだが、そんなタイミングで行くからか、店内はひっそりと静かで、静かなのだけど、目に見えない豊かさに溢れたような時間が流れている。お客さんにお酒を出したら、お店の方は角打ちスペースから離れた場所に移動する。そっちは道路に面していて、タバコを買いにくる人などに対応しているらしい。つまり、たいていの時間はお店の方がカウンターから少し離れた場所にいるわけだが、天井からチリンチリンと鳴る鈴というか小さな鐘のようなものが吊るされていて、それを鳴らすとすぐに注文を取りに来てくれる。それも、なんだかいい。

おつまみメニューは缶詰と乾きものがメイン。缶詰の品ぞろえにはこだわっているようで、ちょっと高級な牛タンの缶詰なんかも置かれていたりする(ほとんど価格を上乗せせずに出しているらしい)。食べたことのない缶詰を味見してみながら飲むのが楽しい。

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朝から飲んでいるのだから当然だが、お会計をして外に出てもまだ昼だ。水無瀬の駅の改札前には長谷川書店という本屋がある。そこに寄る。一見すると、よくある町の中の書店(そういう書店すら今は少なくなってしまい、どんな書店だろうとあるだけでありがたいが)なのだが、店内に入って棚をちょっとじっくり見てみると、すごい。

なんとなくのジャンルごとに、新刊も出版されてからだいぶ時間が経ったような本も並存していて、なんだろう、その感じが人間っぽいというか有機的なのだ。「この辺は仕事をサボりたい人に向けた本が集まっているっぽいぞ」とか、そんな風。人の家のすごく魅力的な本棚を見せてもらっているようで、視線をスライドさせているだけで楽しく、ちょっと自分には無縁なジャンルに見えても、面白そうな(しかも全然知らなかったような)本が見つかったりして、気を抜けない棚だなと思う。

先日、その長谷川書店のスタッフの長谷川稔さんという方と、私がたまにイベントに呼んでもらったりしている大阪の天王寺にある書店・スタンダードブックストアの店主の中川和彦さんとがお互いのお店について語り合うイベントがあって、すごく興味があったので参加してきた。

そこで聞いたところによると、長谷川稔さんは棚づくりにとんでもなく時間をかけているらしかった。出版不況と言われるような今でも、毎日200冊ほどの新刊が出ているのだという。大手出版社からの新刊はリストのような形でまとめられたものが書店に届き、長谷川さんはそれをくまなく端から端まで見て、それとは別に、リストに載らない小出版社のものだとか、今だとミニコミ、ZINE、リトルプレスというような形態の本も多いから、そういうものは別の方法でチェックして仕入れていて、それをほぼ一人でやっているから大変らしい。私が長谷川書店に行くと、長谷川さんはいつもあちこちの棚を行き来して、本を並べ替えたりしている。そのような努力があって、あの棚ができているのだ。

高橋商店からの長谷川書店(順番はその時で変わるが)というコースが最近の私の一番のお気に入りだ。この文章を書いていて、さっき、さも「知ってます」風に書いた水無瀬神宮の水を私はまだ汲みに行っていないなと思った。長谷川書店で2冊ぐらいの本を買って、高橋商店でパラパラめくりながら1杯か2杯か飲んで、帰りに離宮の水を汲みにいく。今度そうしようと、私は決めた。

スズキナオ
スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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