世界を割る
「世界を割る」第65回

第65回 いつか割る

「世界を割る」第65回

正月、実家に顔を出した。両親、妹やその子どもが集まって、昼からだらだらと飲み食いをする。近所をほんの少しだけ散歩して、神社にお賽銭を投げて帰って、また飲み始める。

「ああ、そういえばこれ届いたぞ」と父が傍らにあった一本のボトルを手にした。それは「久米仙」の泡盛のボトルで、本来ならラベルに「久米島の久米仙」という文字が入っているべき位置に「鈴木寛次」と、父の名前がある。

これは私が久米島の久米仙の“名字ボトル”というサービスを利用して作ったものだ。元のラベルの特徴的な書体(こういう文字を“髭文字”というらしい)を模して好きな名を入れたオリジナルボトルを作ってくれて、しかも値段も手頃である。そういうサービスがあることを知って「これはいい!自分の名前で作ってみよう」と思ったのだが、父の誕生日が近かったのを思い出し、気が変わってプレゼント用に注文してあったのだった。

泡盛のボトルのラベルに名前が書いてある。その実物を見てみると、なんとも不思議で笑えてきて、作ってよかったなと思った。「これはこのまま飲まずに飾っておきたいね」と私が言うと、父は「うん。そんなに泡盛飲むことないしな」とボトルを眺めている。父は酒の味にうるさい方ではまったくなく、いつも缶ビールか焼酎か、決まったものばかり飲んでいる。そんな父が泡盛を飲むタイミングなど、普通に過ごしていればなかなか訪れなそうだった。

「じゃあ死ぬまで取っておいたらいいか」と言った。父が「そうだな」と笑う。「葬式の時にこれをみんなで飲むことにしよう。本人の名前が入ったボトルをさ。なんかいいよ」と言いながら、実際、泡盛であればずっと取っておいてよさそうだし、なんならその時が先であればあるほど、古酒となって味わいを増すかもしれないと思った。

そのやり取りを横で聞いていた母が思い出したように語った話があった。

母には古い友達がいた。高校時代の同級生で、父と結婚して故郷の山形を出てからも、連絡を取り合っていた。実際に顔を合わせるのはごくたまにだったが、電話はよくしていて、お互いの近況を伝え合う仲だった。

ある時、向こうから「久々に会いませんか」と連絡があった。しかし、その当時、母は父の仕事の手伝いに忙しく、疲弊していた。美容院に行ったり、好きな洋服を買うような余裕もない毎日で、自信のない自分を見られるのが嫌だったらしい。

誘いを断って、それからまたあっという間に月日が経ち、ある時、友人が重い病にかかっていることを知った。届いた暑中見舞の文面の末尾に「これから連絡が取れなくなります」というようなことが書いてあり、驚いて電話したところ、本人から病気のことを知らされた。

お見舞いに行きたいと申し出たが、今度は友人の方が、やつれた自分を見せたくないというのでそれは果たせなかった。そのかわりにメールアドレスを教わり、何度かメールでやり取りをした。それから数か月して母のもとに喪中のはがきが届き、友人が亡くなったことを知った。

母は、友人のメールアドレスにあててメールを送ることにした。会えなくなって寂しいこと、会おうという誘いをかつて断ったのを今も後悔していることなどを書いた。

「いやいや、亡くなった本人にメールを送るってどういうこと!」と私はそのロマンチックな行為にちょっと大げさなものを感じてしまうが、母はそういう人である。「もしメールが解約されてたら届かないのはわかってたけど、それでもいいと思って送ったわけ。エラーのメールが返ってくると思った」と言う。

しかし、エラーメールは返ってこず、驚いたことに、しばらくして、本当に返事が来た。それは亡くなった友人の夫が返してくれたものだった。「妻と長く付き合ってくれてありがとうございました」というようなことが書いてあった。

それから、毎年友人の命日になると母がその宛先にメールをして、友人の夫から返事が来るという不思議な関係が生まれた。ほとんど知らなかった相手と、お互いの近況を、手短にだが報告しあうようになった。「あれからもう何年になりますね」とか、「墓参りに行ってきました」とか、そんなやり取りだったという。

去年、友人の10回目の命日に、いつものように母はメールを送った。しかし友人の夫からの返事は来ず、そのかわり、娘さんが代筆したメールが来た。それによると、母がやり取りをしていた友人の夫は脳梗塞で倒れ、一命は取り留めたものの意識がずっと戻らないのだという。長く入院している父を、遠方に住む娘さんがお見舞いに行きつつ過ごしているらしい。しかもコロナ禍だから、ガラスを隔ててしかお見舞いできない。そんな忙しく心細いであろう日々の中でも、母のメールに返事をくれたわけだ。

それから今度は母とその娘さんとの間でたまにメールを送り合うようになった。関係性がどんどんスライドして、気づけばなんとも不思議な状況になっている。こんなメールをいつまでも送るのも迷惑かと思わないでもないが、「母のことをおぼえている人も少なくなってしまったので」と、たまのやり取りを喜んでくれている様子だという。

「なんだか小説みたいな成り行きだよねー!」と、そこまで話し終えて、「だから、お母さんに何かあったらその娘さんにメールで知らせて欲しいんだよね」と母は言うのだった。「えー!それは重たい役目だな」と私はのけぞり、「まあ、いつかね」とお茶を濁して、父の傍らにある泡盛のボトルをもう一度眺めた。

スズキナオ
スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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