世界を割る
「世界を割る」第64回

第64回 割ってもらったレモン酎ハイを飲む

「世界を割る」第64回

ある日、神戸方面に用があった。用事は昼過ぎには滞りなく終わり、後はぽかんと暇になった。せっかく神戸にいるし、まだ15時前か。

ふと、塩屋に住む知り合いのKさんが言っていたことを思い出した。JR兵庫駅の近くに「兵庫大仏」という大きな仏像があるというのだ。なかなか迫力のあるもので、みうらじゅん、いとうせいこうの「新TV見仏記」という番組にも取り上げられたことがあるらしい。

学生時代、書籍版の「見仏記」が大好きで、そこに書かれている寺を片っ端から真似して訪ねていた私だった。Kさんの話に「へー!そんな大仏が神戸にあったんですね」と驚き、いつか行ってみようと記憶していたのだ。

JR兵庫駅はJR神戸駅の隣だ。大阪からだと、三ノ宮、元町、神戸と来ての兵庫駅。そのあたりは一駅ごとの距離も短いから、繁華街からそんなには遠くないのだ。だが、私がその駅で降りるのは初めてのことだった。

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兵庫大仏があるのは「能福寺」というお寺で、駅から見て海側の方面だ。大きな道路と、通り沿いや路地に点在する店と、あとは住宅。私が歩いていたのが平日の昼下がりだということもあって、町は静かな印象だった。

知らない町を知る喜びを噛みしめながら10分ほど歩いて、能福寺に着いた。着いたらもう、境内に足を踏み入れるより前に露座の大仏が目に入る。なるほどこれは大きい。

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傍らの案内板によれば、兵庫の豪商・南条荘兵衛という人の発案で明治時代に建立されたという。とはいえ、初代の大仏は昭和19年に戦時下の金属回収令によって解体され、今、私が目にしているのはその後、平成3年に再建されたものだそう。

“昭和十九年五月金属回収令により悲しみに沈む多数の市民に見送られ出征された”と書いてある。戦争の世には大仏も出征するのだな。

“映画解説者の淀川長治氏は、この境内の活動写真を愛され、漫才の故砂川捨丸師匠、松竹新喜劇の故渋谷天外師匠の初舞台もこの境内の掛小屋だと、自ら語っておられました”ともあり、かつてはお祭りのように賑わった境内だったのだろう。

いつもなら石段をのぼって間近まで行けるらしかったが、工事作業中なのか、階段は閉鎖され、業者さんたちがその向こうに立っている。この光景もこれはこれで貴重かもしれなかった。

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境内を出て、再び歩く。近くのバス停を見れば「兵庫大仏前」。コンビニの店名も「大仏前店」となっていて面白い。

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私に兵庫大仏のことを教えてくれたKさんはその同じ話の後に「兵庫には『さつき』っていう味噌ラーメンの店があって、そこもいいんですよ」と言っていた。もちろんそのことも私の記憶に刻まれており、私は今日、兵庫大仏を見に来たのと同時に、その「さつき」の味噌ラーメンを食べに来たのでもあった。

足の向くままに歩いていたらその「さつき」があった。しかし、今は休憩時間中で、17時半から再開するようだった。

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町を眺めながら駅前まで戻り、スマホで近くの温泉を検索してみる。「あさひ温泉」という銭湯が歩いて行ける距離で、天然温泉が売りだという。行ってみよう。

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建物を前にすると、以前ここに来たことがあるような気がしてきた。新開地に飲み来たついでにここまで足を延ばした記憶がある。そうか、兵庫駅で降りたのは確かに初めてだったが、私はその近くをすでにほろ酔いで歩いていたのか。

「あさひ温泉」の受付は建物の2階にあり、脱衣所で服を脱いで階段をさらに3階まで上がったところが浴場である。こういう縦に長い作りの銭湯がたまにあるが、全裸で階段をのぼる時、いつも心細く、笑ってしまいそうな気持ちになる。

「黒の泉」と名付けられた、鉄分が豊富らしい熱い湯と、31度だという源泉かけ流しの、ちょっとぬるく感じる湯に、交互に何度も身を浸す。熱いサウナと水風呂を行ったり来たりするののソフトバージョンのようなもので、自分にはこれが程よい。

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いい湯だった。外を歩くともう夕暮れだ。

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「さつき」の前まで改めて行ってみるがまだ準備中のようで、時計を見ると営業再開まであと30分はある。すぐ近くに「大野酒店」という角打ちがあったので、軽く一杯そこで休憩させてもらうことにする。

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酎ハイのレモンをいただく。一杯300円。できあいのチューハイではなく、いいちこを瓶入りのレモン風味の炭酸水で割って出してくれる。

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絶妙な焼酎の量で、なんとも美味しい。一杯のつもりだったが「これはおかわりだな」と思う。「うちは18時になるとお仕事帰りのご常連さんがいらっしゃるんですよ」と店のお母さんが教えてくれる。近隣の方に親しまれている店で、聞けば70年になるとか。70年!?

17時半頃、私が立って飲んでいる隣のテーブル席に、まさにご常連らしき二人組が来て、「若い方、珍しいね」と揚げ豆を一皿ご馳走してくれた。それを機にもう一杯、酎ハイをおかわり。

そのお二人が、この店のことを色々と教えてくれた。お店のお母さんが91歳になること。この店のメニューの美しい文字もそのお母さんの筆によるものであること。

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この店に集まってくる常連の多くが地域の消防団に所属していることなど。

そんな話を聞いているうちにも次々にお客さんがやってくる。そしてそのうちの何人かが「若い人に面倒な話してたらあかんで。嫌われんで」と二人組につっこみを入れながら、こっちへやってきて、そしてまた色々と話を聞かせてくれる。

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「ようこんな店にふらっと一人で来たな。どこから来たん」「大阪からわざわざ!へー!ここのハイボール飲んだ?濃いねん」「濃いやろ!これでいっつも記憶なくすねん」「この店のお母さんはすごい人やで、色々今度聞いたらいいわ」「あさひ温泉行ってきたん?東湯も行かな」

全部録音しておけばよかったと後悔するような、ひっきりなしに横道にそれたり、唐突に飛び込んでくる、酒の場でしかありえないような取り留めのない話。気づけばもう20時である。

「また来ます!」「おお、おいでまた」と店を出て、「さつき」の前へ行ってみると、「本日の営業は終了しました」と書いたホワイトボードが下がっている。ギャフン。

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いや、これでまたここに来る理由ができた。「あさひ温泉」も最高だったが、今度は「東湯」に入って、そのあとで「大野酒店」に……いや、まず「さつき」でラーメンを食べて、その後に「大野酒店」だな。でも、ご常連さんがみんな食べてた「湯豆腐」もやけに美味しそうだったんだよな。でもあれ、結構ボリュームあったからな……。

酔いでぼーっとした頭で精いっぱいあれこれ考えながら、高架沿いを神戸駅まで歩いていくことにした。

スズキナオ
スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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