読んでは忘れて

第27回 いましろたかし『未来人サイジョー』

いましろたかし『未来人サイジョー』1巻いましろたかし氏の新刊が出て、それがかなり面白いらしいことを知った。いや、面白そうだからとか関係なく、私はいましろ作品は絶対全部買って手元においておきたいからいずれ見つけて買っていたと思うのだが、先日、Twitterをぼーっとチェックしていたら私がいつも勝手に信頼を寄せているような人たちが口々に「『未来人サイジョー』よかった!」みたいに書いていて、それを見て急いで買った。

ずっと前からいましろ作品が好きだけど、この『未来人サイジョー』が月刊コミックビーム誌の2018年11月号~2021年2月号にかけて連載されていたことを知らなかったので私はファン失格だ。どうやら本当のファンの間では「早く単行本になって欲しい」と言われ続けていたらしいけど、連載中に1巻ずつ刊行されていくスタイルではなく、完結後に全3巻が一気に出るという形が取られたようだ。全3巻が2021年4月12日に同時発売されている。

連載が始まったのは2018年の11月だからコロナの世の中になる前だ。なのだが、単行本化にあたってあちこちに細かな修正が施されており、その結果、物語は2020年11月からスタートすることになり、登場人物たちはマスクをしている。そしてこの手間によって、作品全体がコロナ禍の今に共鳴するメッセージ性を帯びたと思う。

『未来人サイジョー』は「コミックウォーカー」というオンラインのマンガ配信サービスで第4話まで無料公開されているのだが、第2話で主人公の「西条」が2020年から1970年へとタイムスリップ場面が描かれているし、そもそもコミック第1巻の帯に「SFタイムスリップサスペンス」とあるぐらいだからここまでは“ネタバレ”には当たるまい。読んでいると作品のあちこちで1970年代から2020年代へ至る日本の歴史のことを考えずにはいられない。

1970年にいきなりタイムスリップした西条は、そのとんでもない状況を驚くほどすぐに受け入れ、そこでしぶとく生きていこうとする。そしてその生活は割と楽し気にも見え(というか密も濃厚接触も気にしなくていい時代というだけでうらやましくて仕方ないのだが)、タイムスリップ物なのに展開されるシーンのどれもことごとく身の丈を超えないのがいましろ作品らしくてたまらない。他のいましろ作品同様、人生に大逆転がないことを悟った中年男性が感じる、生きることに対するぼんやりしたダルさや、たまに少しだけ楽しい時間が訪れる感じとか、燃えカスのような性欲とか、そういうものが生々しく、体臭をともなって伝わってくるようである。

主人公の西条は、作家性にこだわらずどんなジャンルのマンガでも描く老マンガ家のアシスタントを長年務めていたのだが、その老マンガ家は第1話で突然の死を迎える(それが物語の始まりなので、まあ、これも“ネタバレ”ではないはず)。そして西条が老マンガ家との日々を思い返しながら「なんちゅうか俺らさっぱり女っ気はなかったけんど 夜中に三人でラーメン食いに行って 楽しかったわあの頃…」と言うシーンがある。楽しかった場面として回想されるのが「夜中にラーメン食べに行った時のこと」だというのがたまらない。いましろ作品はいつもこういうさじ加減が絶妙で、そのさじ加減にこそいましろ作品の神髄があると思う。

短編でなく、全3巻というボリュームで人肌のSF物語が展開されていく。「鳥人間コンテスト」の長く飛行する飛行機のような、落ちそうで落ちない長距離飛行のようなストーリーの流れの端々にそのさじ加減の絶妙さが発揮されているから、2巻3巻と読み進めつつ、「もうこのままどこまでもずっと続いて欲しい」と思わずにはいられない。「予想を裏切るストーリー展開!」とかそういうことじゃないのだ。ストーリーは作品としての体裁を支えるためにたしかに必要ではあるけど、それが面白さの核なのではなく、登場人物のため息、ぼやきこそが肝なのだ。それはいましろ作品すべてに通じることじゃないかと思う。

ページを開いたら、あとはそこから流れてくるムードに身を委ねているだけで喜びが込み上げてくるのだが、今作にはそれだけじゃない、私にとっては突然天から降ってきたご褒美のような部分があって、それが大阪市此花区・西九条が作品の舞台であるという点だ。

「読んでは忘れて」第27回

物語前半の舞台になるのが西九条で、そもそも主人公の「西条」という名も西九条から来ているのではないかと感じられる。なんで西九条が選ばれたんだろう。私にはその必然性まではわからなかったけど、私がたまに店番をしているミニコミ専門店の「シカク」があって、それゆえに大阪の中でも思い入れのある西九条という土地がいましろ作品の舞台になるなんて嬉しいに決まっている。

描かれるのはあくまで1970年代初頭の西九条だけど、登場する「国鉄西九条駅」はほとんど今の「JR西九条駅」と変わらないし、「OK19番街」や「トンネル横丁」がちらっと出てきたり、「栄湯」という駅近くの銭湯が出てきたり、登場人物たちが「西九條神社(西九条神社)」で願掛けするシーンがあったり、そもそも主人公たちが暮らすことになる「南風館」というアパートなんか、西九条あたりを歩いたことのある人なら「ああ、こういう雰囲気のアパートあるよね」ときっと思うだろう。「朝日橋」らしき橋も出てくるし、今は無き「春日出発電所」も幾度となくページの隅に登場する。

私は今、西九条のあちこちを『未来人サイジョー』の聖地めぐり感覚で散策したくてたまらない。「漫画バロン」の編集長・笹山が西九条駅で『漫画バロンSEX大特集号!!』と表紙に書いた雑誌を高く掲げる、その場面をマネしてみたくて仕方ない。

岸政彦さんの小説『ビニール傘』と並び、西九条に縁のある人にはご褒美のような作品。西九条駅前の「田村書店」で常に平積みにしておいて欲しい。そんな作品が現れたことが、私は嬉しくて仕方ない。

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スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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