読んでは忘れて
『復興の道なかばで 阪神淡路大震災一年の記録』

第5回 中井久夫『復興の道なかばで 阪神淡路大震災一年の記録』

『復興の道なかばで 阪神淡路大震災一年の記録』先日、新宿で暇な時間ができて紀伊国屋書店に立ち寄った。人文コーナーの隅の中井久夫の本が並んでいる棚を見ていて、そこから手に取ったのが『復興の道なかばで 阪神淡路大震災一年の記録』だった。

『復興の道なかばで』は、神戸に住む精神科医の中井久夫さん(私は中井久夫さんのことが大好きで尊敬しているので、ここからはさん付けにしたい)が、1995年の阪神・淡路大震災に被災し、その直後から医療の現場で復旧に尽力し、その過程で経験したこと考えたことを綴ったもの。

もとは『昨日の如く:災厄の年の記録』というタイトルで出版されていたのが、2011年の東日本大震災の発生を受けて再編集され、2011年4月に急きょ出版されたようだ。

同じタイミングで『災害がほんとうに襲った時 阪神淡路大震災50日間の記録』というタイトルの書籍も同じみすず書房から出版されていて、この2冊をあわせると中井久夫さんが阪神・淡路大震災をどう受け止めて、さらにまた次の震災に何を伝え残そうとしたかがおおよそわかるようになっている。

で、私はもう片方の『災害がほんとうに襲った時』はだいぶ前に買って読んでいたのだが、『復興の道なかばで』の方は持っていなくて、「そういえば、こっち買ってなかったな」と思って購入したのだった。

それを東京から大阪へ帰る新幹線の中などで読んでいたのだが、中井久夫さんの本をこれまでに何冊か読んだ時と同じように、まずはその思考の射程距離のデカさと、それから知識の膨大さと、いつも弱い者のそばに寄り添ってくれているような優しさとに圧倒され、「うおー!中井先生!」と頭の中で叫んだ。

例えば、阪神・淡路大震災の発生から半年が経った1995年7月に書かれた「半年がすぎて」という文章にこんな部分がある。

こんなことはどれだけ続くのだろうか。まず一周年を目安に置こう。一周年が過ぎるとふっと明るく、楽になる人が多いと思う。
ただ、来年の一月には、一時的に、震災の日、震災直後の日々の記憶が異常に蘇ってきて辛い思いをされるかもしれない。そうであっても不思議ではない。これは「記念日現象」といって必ずいっときである。震災の生々しい写真は、見ないか、軽く見て過ごすのがよい。心的外傷後ストレス症候群は視覚的映像によってもう一度強まることが多い。通り過ぎた過去の悲惨がまた鮮明な映像になって眼の前に現れることは過去にはなかった。テレビ普及以後の新しいことなのである。
この山が過ぎて二、三ヶ月経つと、不眠も悪夢も、沈んだ気持ちも、次第に間遠になり、時々起こるだけになるだろう。世界のどこかで災害があった時に起こりやすい。その他、心に負担がかかる時に何が今の心の負担かを教えてくれるサイレンになるかもしれない。

テレビやネットの、生々しさを競い合うかのような報道に慣れてしまうと、それを見ることによって辛い記憶を思い起こす人の気持ちに鈍感になってくる。中井久夫さんはその辛さを感じてしまう人に声をかけている。

「読んでは忘れて」第5回

また、災害時に医療の現場にいる人々についてこう言っている。

交代のない現地職員には潤沢な食料補給が士気の維持に当たって不可欠であり、インスタント食品で士気を維持できる期間はせいぜい二週間である。われわれの場合、主に九州方面からの来援精神科医団がモツ鍋、おでん、フグちりなどの鍋の材料を用意して来援され、士気を高める上で非常に効果があった。それまで数キログラムに及ぶ体重減少を来していた職員は、これで体重増加に転じたのである。買い出し隊も、明石の魚市場で新鮮な食品を仕入れることを心掛けた。

普段カップラーメンを旨い旨いと食べてる自分は、それでも、それが他の選択肢なく2週間ぶっ通しで続く食生活を想像できない。非常時に、温かい食事や新鮮な食材がいかにそこにいる人の気持ちを支えるかがいくつかの章にわたって繰り返し書かれている。

あとそうだ。被災の中心地とは別の問題が、そこから離れた周縁部にあるということも書かれている。

被災の中心地ほどには、被災の辺縁部、隣接地域の治安は最初からよくなかった。被災の中心地にはあった連帯感が必ずしもなかった。むしろ他人への疑惑があった。実際、盗難も多く、それは遠近から来た職業的窃盗団と推定された。被災の中心地ほど脚光を浴びることもなかった。全国のパトカーや救急車が巡回しているということもなかった。全国的支援の実感に乏しかった。情報不足は中心部と変わらなかった。被災の中心地には悲しみと嘆きとがあったが、周辺部にはつかみどころのない不安と抑鬱があった。

外部からの目が届かない被災中心地の少し外がエアポケットのようになり、かえって治安が悪化したり、救援の遅れる場所になり得るという。

阪神・淡路大震災を東京からテレビの報道を中心にして知り、東日本大震災の時は東京にいたけど、やはりそれでも直接的な被害を受けることのなかった自分にとっては想像もつかない細かな、だが重要なことがこの本に記録されている。

阪神・淡路大震災の際に、「西国街道(旧東海道の延長)」の地盤が他と比べて強かったということを書いている部分に、“おそらく古代の人は土地のいちばん固いところを街道として通ったにちがいない。それだけでなく、先祖たちが二千年踏み固めたということにも、きっと意味があるのだろう。”という一節がある。この部分を読んだ時、中井久夫さんの視野の大きさに圧倒されると同時に、道を二千年踏み固めてきた人々のイメージが頭に浮かび、遠い過去の人たちから何かを受け取ったかのような気持ちになった。

東日本大震災の時、「此処より下に家を建てるな」と書いた先祖の碑が岩手の三陸海岸沖にあって、それがその後に生きた人たちの命を救ったという話を聞いたけど、中井久夫さんの綴る阪神・淡路大震災の記録も、その碑のように、未来に生きる人たちに語り掛ける言葉のように思える。

で、そう思うのと同時に、こんな自分でも、できる限り、過去からの言葉に耳を傾け、未来の誰かに話しかけるように書いていきたいと思うのだ。

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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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