本の帯にはこうある。
“『あたしンち』の共作者にして俳人、漫画家のオットでもある著者の日常と思索。”
この本の著者は『あたしンち』で知られる漫画家・けらえいこさんの夫で、あとがきやプロフィールを読むと、1961年生まれのその人は俳人で、『里』という俳句の同人誌に2006年からずっと原稿用紙2枚強のエッセイを書いていて、その一部をまとめたのがこの本だ(他にウェブマガジン「週刊俳句」に寄稿された文章も収められている)とわかる。
ちなみに帯には保坂和志のコメントも記載されていて、私は保坂さんが大好きなので、このコメントがきっかけで本を買った。
本を手にするまで上田信治さんのことを失礼ながら私は知らなかった。しかし今はこの人の文章を読めたことが嬉しくてありがたくて仕方ない。
すらっとしたやさしい文章で、前述の通り一篇が原稿用紙2枚ちょっとという文字数だから、すいすい読めそうである。しかし、これはゆっくりとしか読めない本だ。一篇ごと、一文ごとに喚起されるものがたくさんあって、一旦は本を閉じて深呼吸して、書かれていることによって今初めて呼び起こされたような気がする自分の感覚や記憶をゆっくり確かめる。「とりあえず今日読むのはここまでにしておこう」と本を閉じても、その後の生活の中には上田さんの言葉が響き渡っているように感じる。
引用したい箇所が山ほどあり、丸ごとここに書き写したくなる一篇もあるが、その気持ちは抑えるとして、それでもいくつかの部分は書き出したい。
『鳥たち』と題された一篇の一部、昼間の町で、カーブミラーにカラスが一羽とまっていて、その下には別のカラスの死骸があった。上にいるカラスはただならぬ様子で鳴いており、足元でひどいことが起きたことへの怒りを訴えているように見える。その場面を上田さんが目撃したということが書かれた後の部分だ。
喜怒哀楽と一口に言うが、四つはひどく非対称で、「怒」と「哀」は深く長く実体的であるのに対し「楽」は淡く「喜」はわっと舞い上がった瞬間だけこの身にあって、すぐもう消えはじめている。
そのことに気づいた時は、人に生まれて損をしたような気になったけれど、カラスも怒るぐらいだから、感情というものが基本ネガティブ寄りであることは、たぶん進化論的に仕方がない。
そして(というのもおかしいけれど)同時に、必ずしもそうではないと、今は思っている。
それはカラスが木や電柱のてっぺんで、誰に聞かせるともなくカーカー鳴いていることがあるからだ。カラスが、ただカラスらしくしていると、カラスは機嫌よく見える。
動物にはそういう種類のよろこびがある、というか、人間の言葉でそれは「よろこび」としか呼びようがない。喜怒哀楽の「喜」と「楽」に、生きものとしてニュートラルな状態をカウントしてよければ、喜怒哀楽はそれほど非対称ではなくなる。
私は後ろ向きなことを考えがちで(そういうことを考えている状態が結構好きなのだ)、「生きてても辛いこと嫌なことばっかりだな」と酒をあおったりするが、そんな風に考えてしまうのは私が生きる喜びについて鈍感なだけで、頭の中に花火が上がるような派手な瞬間ばかりを喜びにカウントしているからなのだと思う。
天気のいい日に外を歩いている時、表情としてはまったくの真顔だろうと、肌に触れる空気を心地いいと感じ、目が風景を見て、自分の体重の移動を確かめるように歩く時、それはやはり喜びだ。自分が生きていて、世界から色々なインプットがあり、それに反応して心や体が動くこと自体がすでに前向きなことなのだと、上田さんの文章を読んでいると思えてくる。
上田さんは、所ジョージがラジオで口にした一言や、『がきデカ』の一つのエピソードから、人の生活、人の一生の全体、社会の仕組みがどんな成分によって構成されているかをつかみ取る。題材となっているものの多くは身近なものばかりだ。日々の暮らしの中に、世界の構成の相似形を見出だしていく。そのまなざしから得られたものの集積がこの本だ。
『あふれる』という題の一篇にはこんな部分があった。
川や海の水面に太陽の光が反射して動いているところを見ると、私たちはたやすく感動してしまう。夕方はもちろん、午前や午後の光もいい。散乱する光線が「空気」を清冽にするように感じて、深く息を吸い直したりする。
そして話はここからなのだけれど、私たちは、非常にどうでもいい水と光、たとえば空港ロビーの人工池の表面に、天井照明の反射光がキラキラ動いているのを見ても、まったく同じように感動する。
見つめることさえすれば、何かがあふれる。そして私たちは、風に吹かれる木の一本すら、見尽すことができない。そのことに気づいて以来、それは自分の気に入りの遊びだ。細かく脈動するような反復と、形状をとらえきれない大小の光があればいいのだとしたら。
人の感動には、心が入力で「いっぱいいっぱい」になることだけが、決定的なのではないだろうか。
この本を手に、近所の川へ行く。川べりで缶チューハイを飲みながら、一篇読んでは空を見上げ、川面の一瞬ごとに変化する複雑さを眺めて、もう一篇読もうか、それとももう少しこの余韻を楽しもうかと考えて、そうしているうちにだんだんと日が傾いていく。そんな時間を過ごせることはこの上ない喜びだ。
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
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