読んでは忘れて

第6回 植本一子『台風一過』

『台風一過』ECDがまだ生きていた頃、後に『働けECD わたしの育児混沌記』としてまとめられることになるブログを友達に教わって、私は植本一子さんの文章を初めて読んだ。そのブログは今も残っていて、一番古いエントリが2010年の2月だ。仕事をサボりつつ、会社のパソコンでよく読んでいたのを思いだす。

ブログはECDの妻である植本一子さんによるもので、ECD一家の経済状況がリアルに綴られており(そもそも家計簿代わりに始められたブログだったのかもしれない)、ECDがレコードにいくら使ったかとか、昼に何を食べたとか、そんなことがわかって、一家の生活を覗き見しているような妙な気持ちをおぼえつつも、毎日チェックしてしまうような面白さを感じていた。

最初はその日の出費を示す数字の羅列だけだったりしたのが、徐々に植本さんの文章の量が増えていき、途中からその文章を楽しみにするようになった。ブログが書籍化され、それから数年経って『かなわない』という文集が、最初は自費出版で出て、それが手に入れられないでいるうちに改めてタバブックスという出版社から出版し直され、そこでようやく購入して読んだ。

東日本大震災以降の一家の様子と、それだけでなく、植本さんの家族との軋轢や、ECDとのぶつかり合い、恋人のことなども書かれていて、読んでいて胸がざわつくような、ただの一家の日々を記録しただけのものなんかじゃなく、人間の業に迫るようなものになっていて驚いた。

植本さんの文章は、ある時は飛ぶような勢いで、ある時は同じ場所に留まってじっとしているようで、ドライな時もあれば、叙情的な時もあり、瞬間瞬間の状況によって表情が変わって生々しく、まるで友達の話をすぐそばで聞いているように感じる。

『かなわない』を読んでいる時期の自分の日記を見返したら、途中でどうしても読むのをやめられなくなり、駅の改札あたりに突っ立って読み続けたらしかった。その時の気持ちを今思い出した。

「読んでは忘れて」第6回

それからも『家族最後の日』、『降伏の記録』と、植本さんはその後の人生、家族や友人や恋人について書き進め、ECDがガンを患い闘病生活を続けるのと並行して流れる時間についても書き続けていった。

2019年5月末に出版された『台風一過』は、2018年の1月にECDが亡くなってから初めて出版される植本さんの本で、ECDが亡くなって1週間ほどが経ったあたりから文章がスタートする。その日のレコード代が記されていたブログから、時が経って、ECDがいない日々の記録を読むことになるとは、不思議な気がする。

植本さんの本は育児日記や、ガンを患う家族を持つ人の日記としても読めるのかもしれないけど、何かノウハウが得られたり、「なるほど、こういう時はこう考えればいいのか!」と参考になるような本では決してなくて、とにかくひたすら植本さんという人のことを知っていく、私小説を読むように味わう本だと思う。ECDについての本、というのでもない。ECD亡き後の話である『台風一過』はなおさらで、ECDのファンだった自分は最初は“ECDの奥さん”として植本さんを知ったけど、もうこの本はECDのファンだから読むのではなく、植本さんに興味があって読んでいる。

と、書いたそばから逆のことを言うようだけど、もちろんECDの存在は全編を通して絶えず傍らにあって、部屋を片付け、引っ越しをしたりしながら植本さんは何度も何度も亡くなったECDのことを思い返し、その都度その意味合いが変わったり、新しいことに気づいたりして、ずっと対話を続けているという印象だ。

つい先日、六甲山系の山を登ったのだが、登山道に杭が2本ずつ、ちょうど歩幅の間隔で打ち込まれているエリアがあった。それはその山を愛する人の手によって打ち込まれたものだそうなのだが、雨が降った後などはかなり滑りやすくなるらしい山道が、その杭の存在によって私のような登山経験のない者にも歩きやすくなっていて、安心して体重をかけて登っていける。植本さんにとってのECDはそういう足がかりのような存在になって、この先を生きるために必要不可欠なものであり続けるんだろうという気がする。

『台風一過』には、植本さんをサポートしてくれる人たちがたくさん出てくる。アンチレイシスト活動でも知られる野間易通が出てきたり、文筆家の武田砂鉄が出てきたり、みんな植本さんのお子さんの世話を買って出てくれるし、時には何日間にも渡って家に泊めてくれたり、すごく優しい。植本さんはそういう人に恵まれていて、仕事で忙しい時など、いつも気軽にその人たちの力を借りながら生活していて、もしかしたらそこについて「頼り過ぎだ!」みたいに意地悪く言う人がいるかもしれないけど、むしろみんな他人に頼ることを恐れ過ぎなんじゃないかと思う。

誰かに頼れるということは、頼られる相手にとって、そうしたいと思わせるものを返しているからで、それは必ずしも金銭やお礼の品なんかという目に見えるものでもなく、かといって御礼の言葉でもなく、その人が生きている姿がそのまま頼られる人にとっての見返りなんじゃないか。

他人に頼りまくって生きている自分がそう書くと自己肯定みたいであれだけど、私のことは別として、特に子育てなんか、一人で抱え込んで危うい局面になるぐらいなら、可能な限り誰かれ頼って切り抜けるべきだろう。なんでも自力でなんとかしないといけないルールを、いつ誰が決めたというのか。

本の中盤ぐらいから登場し、その後、植本さんとお子さんたちと一緒に生活し始めることになる新しい恋人について、親戚から「石田さんが死んだばっかりで何考えとるんね!」と植本さんが叱られる場面がある。この新しい恋人との生活も、『台風一過』の中で特に印象に残るところで、お子さんとその新しい恋人についてファミレスで話し合うシーンなどは読んでいて鼓動が早くなり、「大丈夫だろうか」みたいに思いもした。

新しい恋人との生活をいつまでこのまま続けられるのか不安に思ったりもしながら、でもとりあえず、まだ今はなんとかなっている、というところでこの本は終わる。前述の通り、この本からノウハウを学ぼうとしたり、子育ての正解がどうとか考える材料にしようとしたり、そんなことはしなくていいと思う。友達の話を聞くときにいちいちそこから何かを得ようと思ったりしないように、植本さんの生き方を「うんうん」とうなずきながら追いかけるだけでじゅうぶん楽しい。

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スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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