読んでは忘れて

第60回 小野和子『忘れられない日本人 民話を語る人たち』

小野和子『忘れられない日本人 民話を語る人たち』宮城県に住む“民話採訪者”小野和子さんの新刊が出た。人生の中の多くの時間を捧げた民話採訪の思い出について綴った名著『あいたくてききたくて旅にでる』が刊行されたのが2019年で、それから5年が経った。1934年生まれの小野さんはもう90歳になられたということか。

この『忘れられない日本人 民話を語る人たち』が刊行された経緯について、本書の冒頭に、前作に続く版元であるPUMPQUAKESの清水チナツさんが「刊行によせて」という文章を寄せている。それによると、『あいたくてききたくて旅にでる』が刊行された後、小野和子さんから「実は、もう一冊、書いていたものがあるの」と清水さんのもとに原稿が送られてきた、それがこの本のベースになっているようだ。

『あいたくてききたくて旅にでる』がそうだったように、今回の『忘れられない日本人 民話を語る人たち』も、もともとは全国に流通するような本にして広く読まれることを想定して書かれたものではなく、小野さんが民話採訪者として、民話の語り手から受け取ってきたものを、少しでも風化させまいと、ご自身の手元で大事にとっておくために書かれた文章であったらしい。そう思うと、その文章が一冊の本となり、書店や通販で購入して誰でもが読めるという幸せにまずは感謝をしたい。

前作では、小野和子さんが生まれ故郷の岐阜から東北の宮城へと移り住み、そこで民話というものの魅力に取りつかれ、「記憶にある民話を聞かせてほしい」と東北の村々をめぐり、たくさんの人と出会っていく過程が書き綴られていた。民話そのものの面白さに終始せず、その民話が語り継がれてきた背景にまで耳を澄ませようとする小野さんの姿勢には、誰かの言葉をこのようにまで深く受け止めることが可能なのか、と強い感銘を受けた。こんな人がいたのか、と、小野さんの存在を知ることができたことがうれしかった。

小野さんの存在やその活動を知るための一冊が前作だったとしたら、この『忘れられない日本人 民話を語る人たち』は、小野さんがどのような方々に民話を聞かせてもらってきたか、その語り手の存在に迫るものと言えるだろう。民話の語り手たちと小野さんがどのようにして出会ったか、そして語り手たちがどのような人生を生きてきた上で、(時にそのような依頼にとまどいながらも)小野さんに対して民話を語ってくれたかが、つぶさに拾い上げられている。

「読んでは忘れて」第60回

本書に収められた文章は八名の語り手についてのもので、小野さんの民話採訪の全容の中のごく一部なのだろうと思うが、それでも、これを読むだけで、民話というものに対する感じられ方が変わる。

日本各地の民話を集めた本は多くあり、小野さんも採訪の成果をたくさんの民話集としてまとめてこられた。そういった本を手にとってもいいし、インターネットで「(地域名) 民話」というように検索すれば、たくさんの話をすぐに知ることができる。いくつかの有名な昔話であれば、私たちはそのストーリーを話すことができるだろう。

しかし、実はそういった話も、話がそのものとして単体で存在するようなあり方ではなく、誰かの体を通じて語られてきたものである。たとえば本書の第七章「伊藤正子さん」というパートには、伊藤正子さんと、永浦雅喜さんという二人の方が語った同じ「ケヤキ買い」という民話が並べて収録されている。

この伊藤さんと永浦さんの語る民話は、実は「よふさん」という一人の人から伝わっていったものである。よふさんは伊藤正子さんの祖母で、よふさんが娘のよしのさんに民話を語り、よしのさんがさらに娘の正子さんへと語り継いだ。それとは別に、よふさんが後妻に入った婚家先の孫たちに語った民話が、孫の一人であった永浦雅喜さんにも伝わった。

一人の語りが、別の環境で暮らす子どもたちにそれぞれに伝わっていったわけである。そして別の人の中にしまわれた民話は、それぞれに微妙な差異を持って語られる。話の大意は同じでも、こまかな言い回しや、ユーモアの現れ方に明らかな違いがある。小野さんはその差について“「根」は一つでも、話たちはその暮らしの背景を映し出して、それぞれの展開の違いをみせていたのでした。”と書いている。

ある一つの民話が誰かの中に残っていくとして、その話は、それぞれが生きる人生の中で少しずつ変容していく。語られた民話は、語り手の生きた時間の積み重なりがあった上に、今、そのようにして語られたのだ。あるいはそもそもどの民話が記憶されて、どの話が忘れられるかというのも、その人の人生と無関係ではないのかもしれない。その人がずっと大事におぼえている話があるとすれば、それはどこかでその人の人生を支えているのに違いない。

と、そんな風に考えたら、民話を聞くということは、語る人の生きてきた時間に思いを馳せることとつながっているのだと思えてくる。

第二章「小松仁三郎さん」には、小野さんにたくさんの民話を語り、ついには自宅に「民話語り専用の部屋」を作るまでになる小松仁三郎さんが語ったケサランパサランの話が書き留められている。ある日、“しあわせを呼ぶ縁起のいいもの”であるというケサランパサランの存在を知り、ご自身がその後に四匹のケサランパサランを所有することになった小松仁三郎さんが、「小正月を一緒にやりましょう。遊びに来なさい」と小野さんを家に招き、そこで宝物であるケサランパサランを見せてくれた。

立派な桐の箱に入れられたそれを見た小野さんは。

ああ、いいものを見た。
わたしはケサランパサランを見たんだよ。
いいだろう。いいだろう。
見たよ。見たよ。
誰にも教えないよう。

こんなことをうたって、舞い舞いしたいような気分になるのでした。

と書いている。そして、

語られる民話は、仁三郎さんのケサランパサランに似ています。持っていてもお金になるわけじゃないけれど、それを心に持っていると、楽しくて、なんとなくしあわせになってきます。そして、他の人とそれを分かち合うと、もっと楽しくなって、生きる力がわいてきます。

と続ける。小野和子さんが世に出されたこの本もまた、大事なものとして誰かに教えたくてたまらなくなる一冊だった。

『忘れられない日本人』通販ページ
Amazone-honPUMPQUAKES紀伊國屋書店楽天ブックス

スズキナオ
スズキナオ
Xtumblr

1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

スズキナオ最新刊『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』発売中!
Amazone-hon紀伊國屋書店シカク(特典つき)楽天ブックス

スズキナオ『「それから」の大阪』通販サイト
Amazone-hon紀伊國屋書店シカク(特典つき)楽天ブックス

スズキナオ『 遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』通販サイト
Amazone-hon紀伊國屋書店シカク(特典つき)楽天ブックス

スズキナオ『酒ともやしと横になる私』通販サイト
Amazone-hon紀伊國屋書店シカク(特典つき)楽天ブックス

スズキナオ『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』通販サイト
Amazone-hon紀伊國屋書店楽天ブックス

「酒の穴」新刊『酩酊対話集 酒の穴エクストラプレーン』通販サイト
Amazone-hon紀伊國屋書店シカク(特典つき)楽天ブックス

バックナンバー