読んでは忘れて
岡田美智男『弱いロボット』

第1回 岡田美智男『弱いロボット』

岡田美智男『弱いロボット』表紙にはなんとも不格好なロボットが写っている。どこかにぶつかっただけでペシャンと潰れてしまいそうな。

著者の岡田美智男さんは「認知科学」を専門に研究している人らしい。特に、ロボットを使ったコミュニケーションの研究を続けているそうで、この本には岡田さんがそういうものに興味を持つようになった経緯が書かれている。

岡田さんが衝撃を受けたのが「アシモ」だったという。「アシモ」はホンダが開発した2足歩行ロボット。もしパッとイメージできない方がいたら「アシモ」と入力して動画検索すると、「ああこういうやつね」と思うはず。で、そのアシモの動く姿が1990年代に初めてお披露目された時、そのダイナミックな歩き方に驚いたというのだ。それまでのロボットは「静歩行」といって、薄い氷の上をそろりそろりと歩くような感じで、重心を常に足の底に保持しながら歩くものがほとんどだった。それに比べてアシモの歩き方は「動歩行」だ。片足を上げ、そこに重心をすっかり預けて危なっかしく踏み出す。まるで自分の体を投げ出すように歩く。その姿は、これまで見た他のロボットとは違い、見ていてドキドキするものであったと岡田さんは書いている。

その危なっかしい動きが、アシモに共感や親しみをおぼえさせる重要な要素になっているのではと岡田さんは考えた。そして自分の研究室で試行錯誤しつつ変なロボットをいくつか作った。大きなバネの先にパソコンでコントロールできる小型カメラを取り付けて、なんとなく服っぽいものをまとわせただけのロボ。カメラを上下左右に動かすとその動きにあわせてブルブル揺れる。または、ウレタンゴム製の柔らかいボディの真ん中に目玉が1個ついていて、「むー!むーむー!」としか喋れないロボ。ちなみにこっちは一切動くことができない。

そういうロボットを作ってみると、そのロボたちの頼りなさや能力的な不足がかえって人の心に働きかけることがわかり、それを起点にコミュニケーションが生まれ得ることも知った。ジュースを買った時に自動販売機が「アリガトウゴザイマシタ!」という音声を再生してもそれに対して「いえいえどういたしまして!」って返事をしたくはならないのに、目玉ロボの「むー!」という呼びかけには「どうしたのー?」と何か言葉を返したくなる。

その最たるものが、本の後半に出てくる「ゴミ箱ロボット」で、ゴミ箱に車輪が付いていてウロウロ歩き回るロボなのだが、ただウロウロできるだけ。アームも何もついていないので自分ではゴミを拾えないのだ。岡田さんは、このロボがウロウロ動いているのを見た誰かが、道に落ちているゴミを拾ってそのロボのボディであるゴミ箱に投げ入れるという他力本願な仕組みを考えた。あらかじめ、他人のサポートを前提にして設計されているわけだ。

生まれたばかりの赤ちゃんは自分の思うように動作することができないけど、周りの人が逐一その子が今何を要求しているかを想像し、「お腹が減ったのかな?」「オムツを取り換えて欲しいのかな?」とサポートする。そういう対象は何も赤ちゃんに限らなくて、人間には「相手がこうしたいのでは?」と想像し、できればそれを手伝ってあげたいと思う心の反応があって、その心の動きがコミュニケーションのきっかけにもなる。

「読んでは忘れて」第1回

この本を読んでいると、「弱さ」、何かが欠けていたり、劣っていたりすることも力の一つなんじゃないかと思えてくる。重い荷物をカートにくくりつけてガラガラ引いて歩いている時、普段は何気なく歩けてしまっている道が実は凹凸だらけなのに気がつく。地下鉄の駅は階段ばっかりでエレベーターが思ったより少ない、みたいなことも知る。不利な状況だからこそ初めてわかることはたくさんある。それと同じように、弱いロボットは、強いロボットが気づかずにスルーしている世界のあり方を知ることができる。

私はだいたいいつもお金がそんなに無い。そんな自分だから、どうすればお金をあまり使わずに時間を過ごせるかということを、自分の100倍お金を持っている人に比べ、少しだけ知っているかもしれない。自慢できることではまったくないが。

この先、自分が歳を取って体が思うように動かなくなったり、今はまだ持っている大事なものをいくつも失っていくことになるとしても、常にそこからしか見えないものがあるはずだ。そう思うと少し前向きな気持ちになる。

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