読んでは忘れて

第38回 ラズウェル細木『酒は思考の源でR』

ラズウェル細木『酒は思考の源でR』上田信治さんの『成分表』を読み、それがすごく面白かったことをきっかけに、改めて、けらえいこ『あたしンち』を読み直した。

読み直したというか、家のどこかに絶対にあるはずなのに見当たらなくて、どうしてもすぐに読みたいから『あたしンちベスト』という、シリーズから選りすぐったエピソードを集めた全10巻のシリーズを買って、それを読んだ。

その『あたしンちベスト』の2巻「みかん青春編」の中に「帰り道」というタイトルの作品が収録されている。タチバナ家の長女である「みかん」の、高校からの帰り道を描いたものだ。

学校前のバス停から満席状態のバスに乗って、シートに座っている人の前に立つ。しかし、自分の目の前のその人は終点まで降りない人だった(みかんが心の中で「大ハズレ」とつぶやく)とか、バス停から家までの道を歩いていて、2階の部屋が丸見えの民家があるのだが、その壁に大昔の小泉今日子のポスターが貼ってあるのが見えて、それを見るたびにみかんは「キョンキョン」と思う、とか。また、その道ですれ違う小学生グループが「これヒミツなんだけどさーだれにもいわない?」「ぜったいサイトーには言うなよな」「あとワダにも言わない?」みたいに言ってるのが聞こえるが、結局肝心の「秘密の話」は聞けないまますれ違う、とか。そんなことが描かれている。

これを読んで、「そうだった『あたしンち』はこういう、生活の中で誰でも出会うような感触がやけに生々しく伝わってくるのが面白かったんだった」と思い出し、「上田信治さんの本もそうだったなー」と通底するものを感じ、自分はそういう感触が好きなんだなと改めて確認してうれしくなった。

で、それから少しして読んだのが、『酒のほそ道』シリーズでおなじみのマンガ家・ラズウェル細木さんの『酒は思考の源でR』だった。この本、もとは雑誌『東京ウォーカー』に連載されていたシリーズを一冊にまとめたもので、同誌が大きくリニューアルしてマンガ連載が一気に増えた2019年の中頃にスタートしている。つまり新型コロナウイルスが日本で猛威を振るう以前に始まったものなのだが、テーマは「晩酌」。ラズウェル細木さん本人に限りなく近いと思われる「漫画家R」が、自宅で日々どんな晩酌を楽しんでいるかが描かれている。

外出が制限されて「家飲み」が日常になったその後の世界への変化を考えればまさに先見の明という感じだが、いや、ラズウェル細木さんは世の中の動向に関係なく、ずっとこのような晩酌を続けてきたのである。しかもただお酒が好きだというだけでなく、お酒を美味しく飲むための苦労をいとわないラズウェル細木さんだから、こうして一冊の本にまとまるほどに晩酌に凝っているのも、当然納得のいくところなのである。

なのだが、本書には「晩酌をテーマにしたマンガ」という単純な言葉では表現しきれない部分があって、それは、「晩酌をしている最中の思考の流れをマンガ化している」という点だ。

「読んでは忘れて」第38回

たとえば、本書の冒頭、「プロローグ 酒飲みの頭の中」では、漫画家Rが午後4時に仕事に一旦区切りをつけ、本人が頭の中で「巨大食材倉庫」と呼んでいる近所のスーパーで買い出しをし、いよいよ午後10時から晩酌をスタートするという場面が描かれるのだが、お手製の「戻りガツオの塩タタキ」をつまみつつ、日本酒を飲んでいる。そこで、「米というとすぐ飯を思い浮かべるけれど」「飯はまだ中途の姿で米の最もソフィスティケイトされた最終形が酒なのではないか」と漫画家Rは考え、「おおなんという至言名言」「わしゃ天才じゃなかろか~」と、ひとりごちて酒をあおる。

その後、「さて何かもう一品…」「トマ玉炒めでも作るか」と台所に立つ漫画家R。「ムムちょっとめんつゆが多かったか…」などと感じつつそれを食べ、午前0時になって、「ちょっと洗いものやっとくか…」と思い立つ。そこからの数コマは以下のように展開する。

「まずは皿の汚れを使い古しのキッチンペーパーなどで拭きとる」
「さっきまで食べていたものを「汚れ」などといっていいのかはさておき」
「一度さっと水で洗い流す」
「このとき水ですぐ流れていく汚れもあればなかなか落ちないしつこい汚れもある」
「これを見ていつも思うことがある」
「それは分子だかなんだかのレベルでこんなやりとりがなされているのではないかと」(擬人化された汚れたちが「オレはもうダメだ頑張ってくれっ!」「おうお前の分までこびりついてやるぞ~」と声をかけ合っている様子が描かれている)

で、その後、漫画家Rは「しかしなあとっくに還暦も過ぎたけど」「いつまで漫画家稼業続けるんだろ…」などと思いつつ、いつしか床に横になっていびきをかいている。

という、そんな描写が続くのだが、この「プロローグ 酒飲みの頭の中」以降、どのエピソードも、ほとんどが家の中で、漫画家Rが一人、晩酌をしている場面が続く(たまにスーパー、例外的に京都の町が登場する話もあるが)。

お酒や料理はその都度バラエティに富んでいて、どれも美味しそうだしマネしたくなるものも多いが、そういうことを抜きにして、とにかく何度も描かれているのは晩酌をしている時の思考と、それが酔いながらどんな風に変化していくかということである。生々しい酔いの感触(深夜の高揚感も、翌朝の後悔も)が生々しく描かれていて、笑いながらも圧倒される。晩酌時の思考を丁寧に描くだけでこんなに面白いのか、と。

そして本書を読み終えた後、ラズウェル細木さんが、けらえいこさん、上田信治さんの在籍していた早稲田大学の漫画研究会の先輩であることを改めて思い返し、それぞれの作品に共通する感覚を感じて、ひょっとして脈々と受け継がれている何かがあったりするんだろうかと、ふと思ったのであった。

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スズキナオ
スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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