読んでは忘れて

第49回 白央篤司『台所をひらく 料理の「こうあるべき」から自分をほどくヒント集』

白央篤司『台所をひらく』この本を買って、手にとって、ページをめくる。それだけでなんだかすごく心地いい。「よりよく生きていこうとしている存在」として自分のことを肯定的に捉えられるような。天気のいい日にシーツを洗濯して干している時とか、植木に水をやっている時とか、そういう瞬間に感じるような気持ちの良さがこの本にはある。

いくつものレシピが出てくるが、レシピ本という感じではない。巻末の「おわりに」のところで著者の白央さん自身がこの本のことを「料理エッセイ」と表現していて、なるほど、その言葉が一番しっくりくるような本である。副題には『料理の「こうあるべき」から自分をほどくヒント集』とあって、これもまた、読んでみると本当にその通りなのだが、「料理エッセイ」であり「ヒント集」でありながら、読む側が講釈を受けたり、何かを勉強させてもらうというような堅苦しさはまったくない。

「今日の献立のバランスをどうしよう」、とか、「もっとちゃんとした料理を作らなきゃな」とか思っている自分に対して白央さんが「わかるわかる。でも結構、適当でいいと思う!」と言って気分を楽にしてくれるような、そんな優しい雰囲気が一冊を通じてずっと漂っている。

料理を毎日するということは、自分の調子や機嫌と毎日向き合うということだ。昨日は難なく出来たことが、きょうはどうにも面倒くさい。ああ、人間にはなんで気持ちにムラや波があるのだろう。

と、こんな風に書いている白央さんだから、読んでいて優しさを感じるのだろう。この文章の後に紹介されるレシピは、レトルトカレーを使って用意したカレーライスに半分に切ったミニトマトとパセリを散らすというものと、冷凍ピザに冷凍のしらすと冷凍のオクラ(切って冷凍しておくと、いざという時に便利らしい)を乗せてオーブントースターで焼くというもの。これぐらいなら元気がない時でも真似できそうだし、既製品をただそのまま食べるより、前向きな気持ちになれそうだ。

他にもアスパラやズッキーニ、なすを焼いて塩をぱらっと振るだけのレシピが紹介されていたり、余っている調味料を軸にして料理を作ってみるという考え方について書かれていたりして、読んでいると、肩ひじ張らずに台所と向き合えそうな気がしてくる(あ、とはいえ、もう少し手がかかりそうだけどさらに美味しそうな料理もたくさん紹介されている)。

「読んでは忘れて」第49回

私が好きなのは第3章の「台所仕事は作って食べてだけじゃない」というパート。そのパートの最初のコラムにはレシピの紹介がなくて、スーパーに買い出しに行き、買ったものをビニール袋から出して冷蔵庫に収めたり、切って冷凍しておいたり、といった日常生活のサイクルについて書かれている。

白央さんの知人男性が自分のつれあい(妻)について「うちのはホント、何もしないんですよ」と言ったことが引き合いに出された後の部分。

そう、「日常生活における補充、買い足し」って「大したこと」とは思われない。一度きり補充するだけならそりゃラクだ。けれど日常という連続性の中の補充は違う。切れかかっていることに気づいたとき、なんだかちょっと心は重くなる。また買うのか、もうないのか、この間買ったばかりに思えるのに……。そして「買うの忘れないようにしなきゃ」と思うこと自体も少々面倒くさい。そういう思いが心に降り積もる中、買いものに出て、帰ってきて、個包装なりを解いて、補充して、出たごみを捨てて……という毎日を繰り返しているわけである。日用品に限らず、卵も、麦茶も、食用油も何もかも。

人間、「無い」ことには気づけても「無くなってない」ことにはなかなか気づけないものだ。たとえばボディシャンプーやハンドソープ、あるいは冷蔵庫の麦茶が切れかかっていることには気づけても、補充されているとき、つまりは「無くなっていない」ときに「補充してくれたんだな」と気づけるだろうか。部屋が散らかっていることに気づくのではなく、散らかっていないときに「片づけてくれているから、散らかっていない」と思えるかどうか。共同生活をお互い快く営んでいくうえでは、そういうことが肝要に思える。朝に仕事へ出かけて、夜に帰宅するそのとき、目に入る世界は何ひとつ変わらないように思えても、どこかしらが変わっている。

料理番組でもレシピ本でも、美味しそうな料理がバーンとあって、それを見て私たちは楽しい気分になったりするからそれはそれでもちろん素晴らしいものなのだが、料理がバーンと登場する場面の裏に、その料理を作る際の買い出しや、キッチンペーパーや調味料や油が切れていたらそれも補充するという行為が存在することを白央さんはいつも忘れずにいて、それをする自分にも、自分のかわりにそれをしてくれる誰かにも優しくあろうとしている。

その眼差しは台所に立って何かを作って食べることだけでなく、この世界で毎日を生きているたくさんの人々と、その中の自分とにも広く注がれる。力強く優しい眼差しがこの本の柔らかな雰囲気を作っているのだと思う。

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スズキナオ
スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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