読んでは忘れて

第52回 勝小吉 著、勝部真長 編『夢酔独言』

勝小吉 著、勝部真長 編『夢酔独言』先日、Iさんと大阪・船場のあたりを歩いていた。Iさんはおそらく70歳近い方で、私が淀屋橋にある飲食店を取材した際、そこに居合わせたのが出会いのきっかけだった。Iさんはその店の常連で、店のことを色々と教えてくれた上、渡した名刺に記載してあったメールアドレス宛に後日連絡をくれたのだった。

それから何度かメールをやり取りし、船場からほど近い中之島図書館のホールで開催される講演会を一緒に聞きに行くことになった。喫茶店で待ち合わせをし、講演の開始時間に合わせて店を出て歩いた。船場あたりから中之島の図書館まで、20分ほどの距離をゆっくり歩きながら、Iさんは船場のあちこちに残る古いビルについて解説してくれた。

このビルはこういう用途で建てられたもので、確か建築家は誰で、ということは何年ぐらい前からここにあるはずだ、というようなことをたくさん教わったのだが、歩きながらのことだったのでその場でメモを取ることもできず、かろうじてビルの写真をスマホで撮って、あとは検索して出てきた情報でなんとか補完しようと思った。

三休橋筋という道を歩いていて、Iさんが「この近くに勝海舟が住んどった」と言って、「へー!」と私は驚いた。勝海舟と言えば江戸の人という先入観を私は持っていたけど、調べてみれば、一時期、現在の(大阪の)淡路町三丁目あたりに住み、そこで「海軍塾」を開いていたそうだ(海軍塾は後に神戸に移っている)。「海軍塾いうたら坂本龍馬、望月亀弥太やな」とIさんはつぶやきながら歩き続け、「勝海舟の親父、知ってるか?勝小吉。はちゃめちゃな奴やで」と言う。

「へー!父親のことは全然知らなかったです」と私が言うと「『夢酔独言』いう回想録を書いててな、それが面白い。はちゃめちゃ。勝小吉はな、金玉にケガして死にかけてんねん」とIさん。「えー!金玉っすか……」と私。「そうや。それでな、不思議なことにな、息子の勝海舟も金玉をケガしてんねん。犬に噛まれて死にかけた。不思議なもんや。あの本、面白いで。文庫になってる」とIさんが言うのを聞きながら、私はスマホで検索して、その場で通販の購入ボタンを押す。こういう時はすぐ行動すべし。

Iさんと講演を聞き、一緒に飲みに行って、それから数日後に本が届いた。講談社学術文庫の本で、全体が170ページほどあるうち、勝小吉本人が書いた文章はおよそ130ページに渡って収められている。その大部分を占める「気心は勤身」という文章は、勝小吉が自分の出生から、この文章を書いた42歳までの人生を回想して綴ったものだ。勝小吉は49歳で亡くなっており、42歳の時点ではすでに隠居していたそうだ。もともと勝小吉は勉強が大嫌いで、読み書きもあまりできなかったらしいのが、40歳の時に大病を患い、以降、住まいに籠って、そこで一気に読書欲が芽生えて色々な本を読み漁ったという。

様々な本に触れたことがきっかけだったのだろうか、自分の生涯を振り返って文章を書き、それがこの本にまとめられている。

「気心は勤身」の末尾に、

男たるものは決しておれが真似をばしないがいい。孫やひこが出来たらば、よくよくこの書物を見せて、身のいましめにするがいい。今は書くにも気が恥ずかしい。

とある。
(※原書の表記を一部、読みやすいように整えてあります)

この「気心は勤身」は、自分の人生を振り返った回想録であり、子孫への戒めとして書かれたようである。とはいえ、「今は書くにも気が恥ずかしい」と本当に思っていたとしたら、そもそもこの文章が書かれることもなかっただろうから、やはりどこかに、自分の数奇な人生をまとめ、誰かに伝えたいという気持ちがあったのではないだろうか。

というのも、この本を私に教えてくれたIさんが「はちゃめちゃな奴」と言っていた通り、ここに書き綴られる勝小吉の人生は、ケンカの明け暮れ、放浪、女遊び、散財などで埋め尽くされており、その破天荒な人生を自慢げに表現しているところが多々あるからだ。「俺も昔はさんざんワルやったよ。こんなやつの真似しちゃいけねえよ」と、語りたがる人みたいな感じがある。

「読んでは忘れて」第52回

たとえば、勝小吉が7歳の時の話として、子ども同士で凧をぶつけあう喧嘩をしていて、それが実際の喧嘩に発展したらしきことが書かれているのだが、

先は二、三十人ばかり。おれはひとりでたたき合い、打合わせしが、ついにかなはず、干かばの石の上におい上げられて、長棹でしたたかたたかれて、ちらし髪になったが、泣きながら脇差を抜いて、切りちらし、しょせんかなはなく思ったから、腹を切らんと思い、はだを脱いで石の上にすわったら、その脇にいた白子やという米やがとめて、うちへ送ってくれた。それよりしては近所の子供が、みんなおれが手下になったよ。おれが七つの時だ。

と、こういう喧嘩自慢みたいな話がたくさん出てくる。実際、喧嘩も剣術の腕前もすごかったらしく、道場破りなどを繰り返していた時期もあったらしい。

これは9歳の時の話。

柔術の稽古場で、みんながおれをにくがって、寒げいこの夜つぶしという事をする日、師匠からゆるしが出て、出席の者が食いものをてんでに持ち寄って食うが、おれも重箱へまんじゅうをいれていったが、夜の九つ時分(十二時)になると、稽古をやすみ、みなみな持参のものをだして食うが、おれもうまいものを食ってやろうと思っていると、みんなが寄って、おれを帯にしばって天上へくくし上げおった。その下で残らず寄りおって、おれがまんじゅうまで食いおるゆえ、上よりしたたかおれが小便をしてやったが、取りちらした食べものへ小便がはねおったゆえ、残らず捨ててしまいおもったが、その時はいい気味だと思ったよ。

とか、まあ、こうして書き写していると結構愉快な気持ちになってくるが、こんな風だから怒られてばかりで家に居づらくなって、14歳にはいきなり家を出てあちこちで野宿したり、物乞いをしたりしながら暮らしていたらしいとか、それから喧嘩の腕を磨き、21歳の時にまた家を飛び出し、

おれが思うには、これからは日本国を歩いて、なんぞあったら切死をしようと覚悟して出たからは、なにも怖いことはなかった。

と、その頃の気持ちを回顧したりもしている。

その後、しばらくあって家に戻ったところ、勝小吉の素行の悪さに呆れ果てていた父が家の中に三畳の檻をいつの間にか作っていて、そこに入れられて3年ほど過ごしたという。とはいえ、

一月もたたぬうち檻の柱を二本抜けるようにしておいたが、よくよく考えたところが、みんなおれがわりいから起きたことだ、と気がついたから、檻の中で手習いを始めた。

と書いているぐらいで、本人にとってみれば、自分から選んで檻の中にいたという感じらしい。で、その檻の中にいた間に勝麟太郎、後の勝海舟が生まれているというのだからすごい。

波乱万丈の人生で、面白くもあるが、周りは手を焼いただろう。放蕩癖は後年まで衰えず、吉原へも通い続け、妻のことについて書いた文章で、“一日もおれにたたかれぬという事はなかった。”とか言ってるし、まったく好きになれない人なのだが、このような人から勝海舟が生まれ、異例の出世を遂げたというのもまた、なんだか不思議な話である。

そうだ。Iさんが言っていた例の金玉の話に触れておきたい。勝小吉は14歳の時のあてのない放浪の中で、

所は忘れたが、ある崖のところにその晩は寝たが、どういうわけか、崖より下へ落ちた。

そうで、

岩の角にてきん玉を打ったが、気絶をしていたと見えて、翌日ようよう人らしくなったが、きん玉が痛んで歩くことがならなんだ。

と書いている。その後もこのケガは尾を引いて、2年ほど治癒しなかったという。そんなことがあった十数年後、勝海舟が9歳の時のこと、

息子が九つの年(中略)ある日稽古にゆく道にて、病犬に出合ってきん玉をくわれた。

という。そして、ケガをした勝海舟が運ばれた知人の家に飛んでいった勝小吉が医者に容態をたずねると「命は今晩にも受け合いはできぬ」と言われるほど、状態は悪かったらしい。そこからの描写がこの本の中で一番私は面白くて、

うち中のやつは泣いてばかりいるゆえ、思うさま小言を言って、たたきちらして、その晩から水を浴びて、金毘羅へ毎晩裸参りをして、祈った。始終俺が抱いて寝て、外の者には手を付けさせぬ。毎日毎日あばれちらしたらば、近所の者が「今度岡野様へ来た剣術遣いは、子を犬に喰われて、気が違った」と言いおったくらいだが、とうとう傷もなおり、七十日目に床を離れた。

と、なんで「たたきちらし」「あばれちらし」するのかまったくわからない(迷惑な話だ)が、とにかく、勝小吉が必死になって祈ったらしいことだけは確かに伝わって、その部分を読んでいると「こういう人が本当にこの世界にいたんだな」という実感がなぜかひと際強くなるのだった。

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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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