哀と現実のナオイズム
強い酒をストレートで飲んだ後、追いかけるようにして飲む物のことを「チェイサー」という。「チェイサー」を飲むことで口内がリフレッシュされ、次に飲む酒をクリアに味わうことができるようになる。ナオさんの『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』は、まさに「チェイサー」のような著書である。僕が「チェイサー」の前後に飲む酒のような書籍として選んだのは、村上龍さんの『愛と幻想のファシズム』だ。講談社文庫で上巻を読み終えた後、下巻を読み始める前に本著を読むことにした。
『愛と幻想のファシズム』は、世界経済が恐慌へ突入した1980年代後半、未曾有の危機を迎えた日本でファシズムを掲げる政治結社が誕生する……という政治経済小説だ。主人公たちがテロリズムによりパニックとクーデターを誘発し、アメリカを中心に結成された暗躍する多国籍企業集団と対決していく様子が、過激な文章で描かれている。それに対して『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』は、ナオさんの日常……友人や、訪れた町で出会った人との交流を記録したレポート集だ。デフォルトやゼネラル・ストライキといったものとはまるで無縁であるかのような生活を営む人々の様子が、穏健な文章で書かれている。一見すると、ナオさんの周りには素敵な人やもの、エピソードで溢れていると思ってしまう。しかし、それはただの錯覚だ。本著にもリアルなペーソスが確実に存在する。
たとえば「芝田真督さんと変わりゆく神戸の町を飲み歩く」では、ナオさんは芝田さんに神戸港の近くにある店を案内してもらう。そこには、昔は港や工場に勤務する労働者たちに向けた一膳めし屋(大衆食堂)や角打ちも多くあったが、現在はほとんどが閉店しており、それらの看板だけが残っているらしい。かつては「稲荷市場」と称して30軒ほどの店があった場所は、現在も営業を続けている店は数軒しかない。企業城下町の和田岬でも古い店は徐々に消えつつあり、芝田さんが「国宝」と呼ぶ木下酒店も、今の3代目店主をもって閉店するつもりだという。
また「廃車になったバスの中で絶品の和歌山ラーメンを食べてきた」では、ナオさんは改装したバスを店舗にして営業する(営業していた)山崎食堂を訪れる。店主の藤原和美さんは、母が祖母の店を手伝っていたように、自身も母の店を手伝うようになり、後にその店を引き継いだ。しかし、藤原さんは何度も閉店を検討しながら営業を続けていたらしい。ナオさんが取材をした当時はもちろん営業していたが、本著が刊行される前に閉店してしまった(2019年9月)。
そして「六甲山系の登山道を自力で整備した『えっちゃん』のモダン焼きを山頂で食べる」では、ナオさんはテイクアウトのモダン焼き専門店を訪れる。店主の深田勲さんがえっちゃんを始めたのは1969年で、当時はテーブル席とカウンター席がある店だった。ところが1995年の震災によって店舗が倒壊し、深田さんは近くにある小学校に設けられた避難所の炊事係として、被災者の食事を作り続ける日々を過ごすことになる。深田さんは震災から3か月後に完成した仮設店舗での営業を経て、3年後に完成した現在の店舗で営業を再開する。しかし、仮設店舗では当時プロパンガスしか使用することができなかったため、赤字とわかっていながら営業していたそうだ。
さらに「野毛の名酒場『武蔵屋』の最後の姿を見に行く」で、ナオさんは「酒の道徳」について考える。武蔵屋は2015年7月に閉店した居酒屋だ。店が営業している間に、もう一度そこで酒を飲みたいと思ったナオさんは、彼の妹と一緒に訪ねた。その際に、今まで店に通い続けてきたであろう常連客と、店に数回しか来たことがないと思われる非常連客との揉め事に遭遇してしまう。結局は常連客が折れて事態は収拾したが、それを見ていたナオさんたちは「俺たちなんかがお邪魔して、図々しかったな……」と落ち込んでしまうのだ。
以上で挙げた例は、本著を巨視的に捉える場合において、(読者によっては)黙殺しても問題が無いようなものかもしれない。しかし、僕が本著を微視的に捉える場合には、現実的な哀愁の存在を強く感じる重要なエピソードだった。そして本著を読んでいるうちに、僕はナオさんの書く文章に対して「哀」を求めているということに気が付いた。
「チェイサー」には口内をリフレッシュするという目的の他に、強い酒から喉や胃への刺激、肝臓への負担を和らげるという効果もある。本著を読んだことによって『愛と幻想のファシズム』の下巻もクリアに読み終わり、心地よい余韻に浸ることができた。「チェイサー」は水だけでなく茶、ジュース、そして弱い酒でもいい。僕にとって『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』は、大好きな「あたたかい紅茶味の豆乳飲料」のようなものだ。ナオさんにはこれを、僕からの最上級の賞賛のことばとして受け取ってほしい。
(Twitter/note)
スズキナオの食べ比べ系記事や旅行記事などに「はやと」としてたびたび登場するロックンロールクレイジーボーイ兼会社員。宅録系パンクロックミュージシャン「はやとちリミックス」として1stアルバム『はやとちリミックス』をリリース。スズキ氏とも関わりの深い大阪の書店「シカク」にて発売中。
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