読んでは忘れて

第36回 古田徹也『いつもの言葉を哲学する』

古田徹也『いつもの言葉を哲学する』テレビをつけながら執筆作業を進めていると「スベる」とか「はける」とか「フリ」、「ガヤ」、「ピン」といった言葉がどんどん体に染み込んでくる。これらの言葉はおそらくもともとお笑い業界(とかテレビ業界)の専門用語として使われていたものだと思うのだが、お笑い芸人の活躍なしでは成り立たない今のテレビの中では頻繁に使用されていて、専門用語ならではの口と耳になじむような語感の良さがあるから、ついマネして使いたくなる。

しかし私はテレビで聞いた言葉をそのまま使うということに対して警戒感があるというか、ちょっと疑ってかかっているところがあって、簡単にそれを口に出すことを避けている。

「その言葉を使う根拠が自分に無い」という状態が不安で、不安になる言葉はできるだけ使わないでいたい。が、みんなが使っているからというミーハーな理由で「その話がかなりスベっちゃってねー」とか、つい言ってしまうこともあって、揺れ動く自分が頼りなく思える(以前、テレビのニュースの聞きかじりで「経済を回す」っていう言葉を安直に使って後悔したこともあった)。

古田徹也さんの『いつもの言葉を哲学する』という本を読むと、自分の使っている言葉がぐわんぐわんと揺さぶられる気がする。本を開き、序章を読んだ後、一番最初に古田さんの娘が「三角い」という言葉を使う場面が出てくる。なぜ私たちは「丸い」「四角い」は普通に使うのに「三角い」「五角い」と言わないのだろう。「赤い」「青い」があって、「緑い」「紫い」が無いのはなぜなのか。

私は当たり前に言葉を使い、その当たり前にどこまでも無頓着である。この本に収められたコラムは、言葉の前で立ち止まり、その言葉がどこから来たのか、社会や文化とどう関係しているのかを問い直すものである。

私は第一章のふたつめの文章“きれいごとを突き放す若者言葉「ガチャ」”の一節を読んで、古田さんの姿勢に感銘を受けた。「親ガチャ」という言葉が少し前に話題になった。どんな親のもとに生まれるかは、何が当たるかわからないガチャガチャのようなもので、ランダムで当たる「親」によって人生は大きく変わってしまう。という、その「親ガチャ」という言葉に対し、「すべてが運で決まるわけじゃない。努力次第でいくらでも人生は切り開けるんだ」と、訳知り顔の大人たちは言うだろう。その流れを受けての文章だ。

この種のお説教を小さい頃から浴びてきた学生たちは、「運命」や「定め」といった重苦しい言葉ではなく、「ガチャ」という、これ以上ないほど軽い言葉によって、きれいごとを突き放してみせる。彼らの手にはいつもスマホがあって、そのなかで回るガチャが、自分の人生の寓意になっている。これは、一歩引いたところから自分や社会を捉える諧謔であり、皮肉であり、同時に、深い諦念であるようにも思われる。

私は「親ガチャ」という言葉を知った時、「乱暴な言葉だな」と思った。取り換えようのない親という存在が、“縛り”とか“設定”みたいなものとして見なされてしまっているらしきことに虚しさを感じ、「親ガチャなんて言い方、嫌いだな」と思った。でも、古田さんはそんな風に簡単に片づけずに、その言葉の中に「自分や社会を捉える諧謔」や「深い諦念」を見ている。

たしかに言われてみれば、どうにも相いれない親、強い依存関係を強いてくるような親、自分の可能性を制限してくるような親みたいな、そういう親のもとに生まれたとして、その運命を「親ガチャ」というチープでライトなノリのある言葉で、なんとか笑い飛ばそうとしている人がいるはずなのだ。「親ガチャ」という言葉によって、運命の呪縛みたいなものを俯瞰し、一瞬でも相対化できた人がいるはずなのである。

「読んでは忘れて」第36回

またたとえば、第三章の「7 「水俣病」「インド株」――病気や病原体の名となり傷つく土地と人」では、新型コロナウイルスの変異株のひとつとして、その発生元とされる国の名をとった「インド株」「ブラジル株」といった呼称が広まり、それによってインド国籍、ブラジル国籍を持つ人々が偏見を受ける状況が、「水俣病」という言葉とともに取り上げられている。これもまた、その言葉が広く知られて力を持てば持つほど、無頓着になってしまいがちなところだ。

一見すると薄っぺらいものにすら見えるような言葉の中にも切実な成り立ちがあり、当たり前に使われている言葉の中に暴力性があったりする。私はなんと無自覚に言葉を使ってきただろうかと、この本を読んでいると何度も思わされる。

第一章「9 「社会に出る」とは何をすることか」に、古田さんが学校の先生によく言われた「社会は厳しいぞ」という言葉が出てくる。「社会ってものは甘くない」「社会人というものはなー!」みたいな、そういう風に使う「社会」ってなんなんだろう。実はすごく曖昧なままに都合よく使われている言葉なのではないか、ということを古田さんは考えていく。

ここでいう「社会」みたいな言葉って本当に便利で、言っていると自分が強くなったような気がする。その言葉を発するとさも自分が偉くなったような、あぐらをかいて安心していられるような言葉をこそ、疑うべきだという気がしてくる。

私たちは言葉の力を都合よく借りて武装し、自分を強く見せようとする。また、誰かの発した強い言葉によって深く傷つけられもする。振りかざすように言葉を使う時、強い言葉を身に受けた時、その言葉がどこからやって来たものなのか、丁寧に疑っていく必要がある。

正し気な言葉に寄りかかって実は暴力的になっていることもあるし、大げさな言葉に必要以上に抑圧されていることもあり得る。きっと私たちは自分が使っている言葉にもっともっと慎重でいなければならないのだ。

「何かを言い切ったぞ!」と思った時、同時に生まれるくすぐったさや心細さを手放してはいけないのだと思う。言葉はすごく不安定で曖昧なものなのだ。

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スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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