読んでは忘れて

第64回 伊藤彰彦『映画の奈落 完結編 北陸代理戦争事件』

伊藤彰彦『映画の奈落 完結編 北陸代理戦争事件』講談社α文庫に入っている伊藤彰彦『映画の奈落 完結編 北陸代理戦争事件』には本の高さの半分以上ある大きな帯が巻かれていて、そこには毛皮のマフラーを首に巻いて睨みを利かせる松方弘樹と、その背後に立つ数人の人々が写ったモノクロの、映画の一場面を切り取ったスチール写真と思われるものが印刷されている。

「公開直後、映画と同じシチュエーションでモデルとなった組長が殺害された伝説のヤクザ映画の魔と奈落!」という文字がその写真の下部にあり、「こんな面白い本があるのか」と、評論家の立花隆のコメントがある。

その本が自分の部屋にあって、「なんでこんな本があるんだろう」と思った。ヤクザ映画を私は普段あまり見ないし、これまでも『仁義なき戦い』シリーズを10年以上前に一通り見たぐらいで、そして、ヤクザの世界に興味を持ったこともない。でも私が買ったからこの本が部屋にあるわけで……なんで買ったんだ?

じっくり考えてみれば、作家の保坂和志がやっている「小説的思考塾」というオンライン配信プログラムの中で、この本の著者である伊藤彰彦と対談している回があって、私はその配信プログラムを視聴してはいないのだが、情報だけは知って「保坂さんと対談する伊藤さんって誰だろう。とりあえず本を買ってみよう」と思ったに違いなかった。

ちなみにそのプログラムは伊藤氏が2023年に出した『仁義なきヤクザ映画史』という本をテーマにしたトークだったようなのだが、そっちはまだ買っておらず、部屋には『映画の奈落 完結編 北陸代理戦争事件』だけがあった。

『映画の奈落 完結編 北陸代理戦争事件』は、『映画の奈落: 北陸代理戦争事件』として国書刊行会から2014年に刊行された本を2016年に文庫化したもので、文庫になったタイミングで原稿が書き足され、松方弘樹のインタビューも収録されて「完結編」となったらしい。

「なんで買ったんだっけ」と思いつつも、その文庫本を私は旅行に行く時になんとなくリュックに入れていって、移動中に読んで夢中になった。久々にこういう、先が気になってグイグイページをめくってしまう本を読んだ気がした(普段はもっと格闘するように本を読んでいる気がする)。「これ、めちゃくちゃ面白い!」と、興奮して何人かにLINEした。

どういう本かというと、1977年、深作欣二監督作の『北陸代理戦争』というヤクザ映画が公開された。その4年前の1973年に公開された『仁義なき戦い』は、美能幸三というヤクザが広島で繰り広げられた暴力団同士の抗争について獄中で回想録を書き、それを基にして制作された映画である。大ヒットして続編が作られた。

そういう、実話をベースにしたヤクザ映画が『仁義なき戦い』以降、次々に生まれ、“実録ヤクザ映画”という一つのジャンルになった。映画会社はさらなるヒット作を求め、リアルなドラマを期待する観客の要求に応じて内容が徐々に過激化していく。『仁義なき戦い』のベースは過去にあった抗争を回想したものだったが、実際にリアルタイムで進行しつつある抗争までもがテーマとして取り上げられるようになっていく。

しかし、リアルタイムな抗争が映画の題材になれば、当然、それは当事者たちの目にも触れることになる。実在のヤクザをモデルにした役が映画の中で情けない存在として描かれたら、モデルにされた当人はバカにされたと感じるだろう。結果、映画の制作者に怒りの矛先が向くかもしれない。つまり、危険が伴うのである。

しかし、観客の多くが求めているのはそのギリギリのスリルであり、ギリギリを攻めるからこそヒット作が生まれるのだ、と、映画の作り手は考える。

「読んでは忘れて」第64回

『北陸代理戦争』は、川内弘という暴力団の組長を主人公のモデルにした映画で、まさに、当時進行中の抗争にも触れるものだった。川内弘は、映画の中では川田登という名に書き換えられ、松方弘樹がそれを演じているが、見る人が見ればそれが川内弘というヤクザをモデルにした役であることは明らかだった。

福井県あわら市を拠点にする暴力団・川内組の組長である川内弘は、神戸山口組系の暴力団である菅谷組組長・菅谷政雄の舎弟だったが、二人の溝は徐々に深まり、反目し合うようになる。自分をモデルにした映画作りに乗り気で(映画のモデルになるということは名を上げることでもある)、協力を惜しまなかった川内は、脚本を手掛けた高田宏治に、自分の過去や今後の展望を洗いざらい話す。

それを基にして書かれた脚本では、川内が菅谷政雄を打倒してその上に立とうとしている姿勢が明らかに強調されており、それはもはや映画という形をとった宣戦布告のようなものとなる。映画の公開後、(おそらく)映画の内容に反感を持ち、いよいよ川内の存在が許せなくなった菅谷組の手配により、川内は福井県の喫茶店で射殺されてしまう。奇しくもその状況は映画の中に描かれた場面に酷似していた。

実在の抗争をモデルにした映画がその抗争に逆に影響を及ぼし、ついには死人が出る。それは、モデルとなった川内本人が映画を危険な方法で利用しようとしたからでもあり、製作陣がヒット作を出すためにギリギリを攻め過ぎたからでもある。

『仁義なき戦い』シリーズを手掛けた脚本家・笠原和夫の後輩で、『北陸代理戦争』を手掛けた高田宏治は、この映画をヒットさせて偉大な先輩を越え、自分の手で人気シリーズを生み出したかった。だからこそ、危険と知りつつも敵対勢力の反感を買うであろう生々しいドラマを描いた。

と、モデルや製作陣それぞれのメンツがあって、最終的には映画が悲劇の種になってしまう。その過程を追ったのが本書なのである。熱気を感じる、先へ先へと読まされる文章で、映画に関わった人間たちの思いが綴られ、みんなそれぞれに魅力的に見える。

ヤクザたちと映画製作者たちのドラマとして、なんとも濃い印象を残す一冊なのだが、それと同時に、作品の持つ危険性について考えるきっかけにもなる本だと思った。特に私は、実際にある飲食店を取材したり、人の経歴についてお話を聞き、それをまとめたりする仕事が多いので、身近な題材だと感じた。

この本で語られる話に比べたらめちゃくちゃ小さなものだけど、たとえば、ある街でAという店を取材して、その後でBという店に行って「さっきAを取材してきました」と伝えたら、「へえ、あの店、あんまりよくなかったでしょう?」と、Aに対する悪口を思いがけず聞かされるというようなことが、たまにある。

そんな時、自分は日和見的な態度で「ああ、まあ、たしかにそうかも」とか、目の前にいる相手に合わせてしまうことがあり、後で後悔する。そんな時どうすればいいのか、まだ答えは見つかっていないのだが、不特定多数の人の目に触れる場に文章を書くことの暴力性や危険性について、改めて感じさせられる本でもあった。『仁義なきヤクザ映画史』の方も買って読んでみよう。

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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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