読んでは忘れて

第17回 内田樹、内田るん『街場の親子論 父と娘の困難なものがたり』

内田樹/内田るん『街場の親子論 父と娘の困難なものがたり』内田樹という人のことは、なんと言ったらいいのだろう。ネットで検索して出てくる肩書きには「フランス文学者」「武道家」「思想家」などといったものがあるけど、内田樹氏の本を読んでいる人にとってそういった肩書きが意識されることはあまりないんじゃないか。

だいたい、著作の幅がやけに広い。政治や社会や教育、映画や文学やマンガ、生と死や身体についてなど、どんなことでも書いている印象。「〇〇を専門とする研究家」みたいな感じじゃなく、「色々なことについて考え、それを文章にする人」という風だ。ってことはやはり「思想家」というのが一番しっくりくるのか。

とにかく、ああいう風に色々書ける人というのは貴重な存在に思える。社会で何かが起きている時、時代の変わり目を感じさせる時、そういうタイミングで「どう思いますか?」とみんなが意見を聞いてみたくなるのが内田樹という人なんだろうと思う。ご意見番という感じだろうか。

私自身、ニュースを見聞きして「この問題をどう考えていいかわからない」という時、内田樹さんがそれについてどう言っているかを参考にしている。参考にしているというか、Twitterでのツイート頻度も結構高いから、必ず目に入ってくる。それがそのまま自分にとってしっくりくる意見であるかどうかはその都度違うけど、いつも気にしている。心の拠り所の一つとして、こういう人が存在してくれていることを、ありがたいと感じている。

その内田樹さんにはお子さんがいて、それが内田るんという人だ。と、そのような順番で私は内田るんさんのことを知ったのではない。内田るんさんと友達になって、ずっと後になってから、「るんさんのお父さんってあの内田樹さんなんだよ」と、誰か周りの人から聞いたか何かして知った。その時はゾワッと鳥肌が立つほどびっくりした記憶がある。

内田るんさんとは、高円寺界隈で、私がやっているチミドロというバンドの活動を通して知り合った。高円寺の「無力無善寺」というライブスペースで開催されたイベントがあり、そこに私が参加することになっていて、そのイベントのスタッフであった内田るんさんが家から会場まで機材を運ぶのを手伝ったのが最初だったような気がする。内田るんさんの部屋からターンテーブルを運んだような、まだ時間は昼過ぎか夕方で、空が明るかった。

「読んでは忘れて」第17回

それから、内田るんさんとはずっと付き合いがある。ライブイベントに呼んでもらったり、年に1回とか2回の頻度ではあるけどお茶を飲んだり何か食べに行ったり、どこか散歩したり。るんさんは世話好きなところがあり、例えば私のバンドが練習しているスタジオまで来て「ここをもっとこうした方がいいですよ!」とガンガン意見を出してくれたりする。

私の周りにそういう人はあまりいなくて、その叱咤激励が嬉しくもあり、「なんでそこまでしてくれるんだろう」と不思議でもあった。「こうしたらもっと良くなる」と思ったら、それを伝える。それをする人は、なかなかいない。「こうしたら良くなる」と思っても、それを伝えることは労力だし、そもそも相手がその意見を望んでいるかわからない。軋轢が生じることだってあるかもしれない。それでもるんさんはやる。「世話好き」と書いたけど、そういう無難な言葉では言い切れていなくて、自分がもっとよくなると思った可能性を簡単に捨てたり引っ込めたりしない人ということなのだろう。

「内田樹の前に内田るんありき」という順序の自分にとって、『街場の親子論 父と娘の困難なものがたり』という、この親子の往復書簡集は、内田樹さんの父としての一面を垣間見ることのできるものというより、改めて内田るんさんの面白さに気づかされるものであった。

いや、内田樹さんを好きな人が樹さんの子育てスタイルについて知るためにも読める本だと思うし、まずはそういう読み方が想定されているのかもしれないけど、読んだらみんな「この内田るんというお子さん、なんかすごい面白いな」と思うはずである。るんさんの言葉が輝きを放っている。

るんさんが小学校でウサギの世話をしていた時のことが書かれている。

私が家に連れ帰った、本当に産まれたてで、毛もなく目も開いていない、死にかけの仔ウサギは、動物用の粉ミルクをあげるとチュッチュと飲みました。私は、きっと生き延びると思いましたが、すぐ次の日には弱って死んでしまいました。目の前で『生き物』が『死体』に変化する事実に、私は何をやっても抵抗できない、ということが恐ろしくて、悲しくて、そして偉大な掟を前に屈服するしかないその状況が、自分で自分の人生をコントロールできるつもりでいたからこそ苦しくて仕方なかった当時の自分にとっては、何か赦しを与えられたような安堵もあったのだと思います。

るんさんが精一杯やろうとしたことに対して、冷徹な世界の掟がそれを突っぱねる。でもそれに対して安堵してもいる。いつも希望を持ちながら、それがうまくいかなくて絶望に変わることがあっても自分を閉じず、厳しい世界をそれはそれとして愛せるところがいい。

また別の部分。

私の個人的な肌感覚だと、日本の経済がダメになった原因の底辺には、性悪説というか、『他人のことなど、どうでもいいと思っているに違いない』と相手を信用しないことで身を守ろうとする感覚や、『自分だけは騙されないぞ』というせせこましい考えが、大きく影響しているような気がします。

と、るんさんが書いているのが本当にその通りだと思いながら、でも、世の中は今どんどん疑心暗鬼的になっていっているように感じる。しかしそこで「ケッ!世の中ってやっぱ最低だわ」って投げてしまわずに、心を開き続けるしかない。るんさんはそうするだろう。

父に語り掛ける形を取りながら、るんさんの記憶や、世の中をどう捉えているかとか、そういうことが生き生きした言葉で語られているのがこの本に見どころの一つで、その言葉は父への語り掛けを超えたもののような気がする。往復書簡集なのだが、るんさんの書いている部分だけを読んでも強度がある。意味が消えない。

内田樹さんが、

僕がふだんものを書くときは、『想定読者』というのがいて、その人に思いが伝わるように、情理を尽くして語るということに努めています。兄ちゃんが生きているときは『徹君と平川君』が僕の想定読者でした。この二人にきちんと考えていることが伝わるように、面白がって読んでもらえるように、という条件で書いていました。
(編注:「徹君」=実兄の内田徹氏、「平川君」=隣町珈琲店主の平川克美氏)

と書いている部分がある。

そこを読んでいて、内田るんさんは、今回のこの往復書簡集を離れても、父に語り掛けるようにして書き続けていくんじゃないか、たとえ直接的には返事がなくても、いつまでも、語り掛けるように書くことができるんじゃないかと思った。きっとその言葉は世の中の厳しい掟に何度も突っぱねられてきたタフな希望に溢れているだろうから、私はこれからもずっとそれを読んでいきたい。

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スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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