読んでは忘れて

第62回 岡本健+『「あなたが噛んだ」唄おぅ」』

岡本健+『「あなたが噛んだ」唄おぅ」』私がだいたい月に1回のペースで店番をさせてもらっている大阪のミニコミ専門書店「シカク」に、この、岡本健+という人の書いた『「あなたが噛んだ」唄おぅ」』という本があった。

私は店番をしながら新商品の通販用のレビューを書く作業を任されることが多くて、この本についても読んでレビューを書くことになっていたので、「不思議な著者名とタイトルだな、何の本なんだろう」と思いながら手に取った。

「岡本健+」というお名前は、「おかもとつよし」と読むらしい。「+」はあれだろうか、その方が字画がいいなどの理由でつけられたものかもしれない。グラフィックデザイナーを本職にされている方で、横浜を拠点にしている出版社「モ・クシュラ」から出ている本の装丁を多く手掛けているそうだ。
(ちなみにその「モ・クシュラ」はチェアリングの生まれるきっかけにもなったアサダワタルさんの著作『表現のたね』を出している会社だった)

この『「あなたが噛んだ」唄おぅ」』という本も「モ・クシュラ」から出ていて、あとがきによれば、「モ・クシュラ」の大谷薫子さんという方が岡本健+さんに「岡本さんはできるから書けるから」と働きかけて生まれたものらしい。

グラフィックデザイナーがメインのお仕事である岡本さんがたまに語る昔の話とか、ちょっとした機会に書く文章などの魅力に大谷さんが気づき、それで、「書いてみませんか!」と提案してこの本ができたんじゃないかと想像する。

60ページの本の中には、岡本さんが自分の家族について綴った8つの文章と、その文章で切り取られた記憶と呼応する岡本さんの絵が収められている。どの絵も木炭で描かれたものかのように濃くて黒くて、文章を読んでいると「ああ、これはこの場面を描いたものなのかな」と、そこに描かれたものの輪郭が徐々に際立ってくるように感じられる。

前述のとおり、紹介文を書くために読み始めた本だったが、私はすぐに岡本さんの文章が好きになり、作業は作業として、別に自分で本を購入して家に帰ってじっくり読み直すことにした。

岡本さんは大阪市東住吉区に生まれたらしい。その後、美容師をしていたお母さんが大阪市東淀川区に自分の美容院を開いたのをきっかけにその近くに転居したらしい。父は公務員をしていて、忙しく美容院で働く母のところに婿養子のようにして来たから、少し肩身の狭さも感じていたらしい。岡本さんの家族のことが、読んでいくうちにだんだんわかってくる。

「読んでは忘れて」第62回

冒頭の一篇『母、弁当箱とヤマカガシ』は、

美容室を経営していた母親は、家事をやることは一切なかった。

という一文から始まる。忙しく働き、家事や育児は美容院に住み込みで働くまだ15、16歳の美容師たちが担当したという。

一度だけ、母親が弁当をつくってくれたことがあった。自分が小学校三年生くらいのときだったと思う。遠足の前日、「明日のお弁当は私がつくる」と告げられ、うれしさと同じくらいの不安を抱えて次の日を迎えると、食卓の上に新聞紙に包まれた大きな折詰が置かれてあった。背負っていくリュックサックの中は、弁当で埋め尽くされた。

遠足がスタートし、箕面の滝の周辺をしばらく歩き、昼食の時間となる。

弁当を取り出すといままで忘れていた不安が戻ってきて緊張しながら包みをほどき、ずっしりと重い折詰の蓋をあけた。巨大な折詰の右半分にはカットしたステーキがぎっしりと詰め込まれ、左半分には白い部分を余すことなく海苔で包んだ俵型のおにぎりがぎっしりと詰められていた。そのほかのものは何も入っていなかった。友だちの弁当を覗いてみると唐揚げやウインナー、玉子焼きやパセリが配慮された彩りで詰め込まれ、デザートに林檎のウサギが入っていたりした。自分は母がつくった真っ黒な弁当を見て、こいつらより自分の弁当のほうが豪勢だと思うことにした。そして、母親が弁当をつくってくれたことが死ぬほどうれしかった。

と、書かれている。

また、『君堂前の風呂屋』という一篇には、父が隣町にある公務員宿舎の五階に部屋を借りていて、週末になるとテレビもなにもないその部屋にみんなで泊りに行ったことが書かれている。その部屋は、家庭に自分の居場所がなかった父にとって特別な場所だったらしい。居場所のなさから逃れるようにしてか、子どもたちをあちこち連れて出かけたそうだ。

父は必ずといっていいほど毎週日曜日になるとわれわれ兄弟を大阪近郊のありとあらゆる遊園地に連れていった。少し大きくなると行き場所のレパートリーも広がり、京都や奈良の寺社仏閣が加わってもきたのだが、父親本人がそういう場所に特別興味があるわけでもなく、こちらになにか歴史的なことを教えてくれるようなこともなかった。

そんな話に続く、以下の場面が好きだ。

また、京都のどこかのお寺で開祖の木像が置かれている部屋があり、ほかの観光客は有名な襖絵などが目的のためその部屋は素通りして行くのだが、父親が自分に「この像のほうを向いてしばらく座って見ててみ、つられてみんな座るから」と言い出し、言われるままにしていると四、五分も経った頃には周りに十人くらいの人が同じように座っていた。驚いて父を見ると「な」と満足げだが、表情も変えずに一音を発した。

ささやかな場面だが、人はなぜかこういう場面こそをいつまでも忘れられずにいたりするものである。

このようなことも、若い美容師さんたちが子どもたちの世話をしていたというような、特別さを感じるような事柄も、等しく静かなテンションで綴られている。

岡本さんの文章は、書かれた場面を読む側に喚起させる力がすごく強くて、映像だけでなく、その場の空気とか匂いとか、周りの物音とか、そういうものまでこっちに伝わってくるように思える。どうしたらこんな風に書けるのか、「なんかいいんだよな、なんでだろう」と思いながら、しみじみとその文章を味わった。

『「あなたが噛んだ」唄おぅ」』通販ページ
モ・クシュラシカク

スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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