読んでは忘れて

第42回 柿内正午『会社員の哲学』

柿内正午『会社員の哲学』大阪に引っ越してくるまで、私は会社員をしていた。東京の渋谷にあるネット広告の会社にいた。そこを辞めて大阪に来て、それと同時にフリーライターとしてやっていくことにしたから、それ以降はずっと一人で仕事をしている。

会社を辞めたのが8年前で、今、もうだいぶ当時の感覚が遠くなってしまったと感じる。毎日だいたい決まった時間に出社し、たまに残業したり、連日定時退社するのは気が引けて、有給休暇を取得するのはさらに気が引けた。毎月の給料日が25日で、直前になると手持ちの金がほとんどなくなり、どんな安い居酒屋でも行けないほどで、仕方がないからコンビニで酒を買って公園で飲んだ。そして「金ねーよなー!」「休み取りづれーよなー!」と話せる同僚がいた。

私の会社員時代は、あちこち転勤しつつのトータル10年ほどで、胸を張れるほど長くはないのだが、それでも自分の人生の中ではそれなりの期間だ。

文筆家であり会社員でもある柿内正午さんがおそらく自費出版に近い形で作ったものと思われる『会社員の哲学』を読んでいて、私は、自分の人生においてそれなりの長さであった会社員時代が、今はだいぶ感覚的に遠くなってしまったことを知った。と同時に、柿内さんの文章を読んでいると会社にいた時間が思った以上に生々しく思い返され、「感覚的に遠くなってしまった」と思っても、やっぱりその頃の記憶はしっかり残っており、きっかけさえあれば息を吹き返すのだとも知った。

この本の序文「はじめに ― 町でいちばんの素人宣言」は最初から最後まで引用したいほどに素晴らしい。

柿内さんがこの本を作った動機が、まず述べられている。

僕は労働や経済や政治が、つねに管理者の理論、経営者の理論、使用者の理論でしか語られないことが不満で、自分をサムライに例えるサラリーマンの寒さに近いものをずっと感じていて、いやお前は何も持たない側じゃん、使われる側じゃん、という気持ちがずっとある。

僕たち会社員は黙って管理されてるわけじゃないし、わかりやすく搾取されているわけでもなくなってきている。AIに取って代わられるのを待つ社会の歯車でもないし、右に倣えしかできない「衆愚」でもない。小狡くて、理性的で、お茶目なところもある、ほかにもいろんな特性をもった、れっきとした個人たちだ。

と、一会社員として働く側からの声がもっとあちこちから上がるべきだと柿内さんは考えていて、その声の一つとしてこの本を作ったらしいことがわかる。

上に抜き出した部分を読んでいて、私は会社に色々な人がいたことを思い出した。私は「フリーの仕事って会社と違ってさー」とか、もう最近は会社というものを大づかみにしか捉えようとしてなかったことに気づかされる。会社には色々な人がいて、もちろん好きな人も、面白い人もいた。

「仕事めんどくさ!」と毎日思い続けていたが、それでも10年はやっていたんだから、居心地が最悪だというわけではなかった。

普段めちゃくちゃ適当なのに営業の才能があって、人前でそれっぽく話すのがめちゃくちゃ上手で、それで結構出世した人がいたり、かたやものすごく真面目に仕事に取り組んでいるのに要領が悪いのか、まったく評価されない人もいた。「誰と誰は性格があわない」「あの人とあの人は実は社長と敵対している」とか、そんな裏話が色々あって、そういうことを色々おぼえた。

「なんでこんなしょうもないルールがあるんだろう」と感じるような規則の中でも、たまにそれを軽やかに飛び越えて見せるかっこいい上司がいたり、どこまでもダサいとしか感じられない上司もいた。「会社ってさ」と簡単にくくれるほど会社の中身は簡単ではない、そこにはいくつもの要素が複雑に重なり合っていた。

「読んでは忘れて」第42回

そしてそれこそが、会社の存在する意味でもある。すなわち、誰にも責任を取らせないで済ませる。優しい機構としての会社。すべての責任の所在を曖昧化する、苛烈な自己責任社会のユートピアとしての会社。そこでは誰も責任を取らなくていい。会社の迷宮的な官僚手続き、融通の効かないセクショナリズムは、僕たちを守ってくれている。僕たちはそれに薄々気がつきながら、無責任にその非合理を責め立てることすらできる。

という第4章の文章を読んで、私は自分がかつて仕事の上で大きなミスをしてしまった時のことを思い出した。それはクライアントに対してある程度の損失が発生してしまうようなミスだった。私はミスに気付いて青ざめたが、先輩が私をかばってくれて、そのミスをもみ消し、ほぼ無かったことのようにしてくれた。もちろんその先輩は私が可愛そうだからかばったわけではなく、ミスが発覚すれば自分がさらに上の者に責を問われるからそうしたのだった(と思う。なぜなら私とその先輩は仲が悪かったから)。その経験があって、私は、会社というものの本質に一歩近づいた気がした。

会社には、会社が存続していくために各個人のミスを無いものにしようとする力が働いている。そのシステムは会社を存続させもするし、そこにいる社員を守りもする。私はすごくやわらかくてあたたかい大きなものに包まれているんだと気がついて、なんだか怖くなった。その時の感覚もまた、柿内さんの本を読んでいてありありとよみがえった。

第7章には、
“法人とは思う存分迷惑をかけていい他人である”
という見出しから始まる文章がある。

それが私はすごくよくわかる。会社は責任の所在をうやむやにする機構を持っているから、たとえば不祥事があったとして、トップの人が辞めて責任を取ったりするけど、そんなことには実は大した意味がないことをみんな薄々知っている。かといって、「実はそのトップが悪いんじゃなくて本当の責任は誰々さんにあるんだよ」ということでもない。会社の責任は個人とは離れた、指し示すことのできないどこかに存在するのだと思う。

ということは、裏返せば、会社の中にいる人は、「会社の迷惑になるから」とか「会社のために一生懸命」とか考える必要もないということなのではないか。そんな個人の思惑を超えて会社はどうせ動いていくのだから、徹底的に会社を利用し、サンドバッグのようにボコボコに殴り、サボりまくり、賃金以上の働きなど見せず、自分の生きがいや、それに必要な時間を絶対に守る。そんなことをしたってどうせ会社はへこたれないのだ。そしてここでいう「会社」は「国」にもよく似ている。

会社員時代の自分がこんな本に出会っていたら強く背中を押されるような気がしただろうと思うし、今の私がこれを読めたこともすごくうれしい。

『会社員の哲学』は2022年7月時点で品切れとなっております。詳しくはこちらをご参照ください。

スズキナオ
スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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