花田菜々子さんの名前はずっと前から知っていて、花田さんが2022年に高円寺に開いた書店「蟹ブックス」のことも気になっていた(やっと最近行くことができたが、「世の中にこんなに面白そうな本がたくさんあるの?」と思うような素晴らしい書店だった)。
だからこの対談集『モヤ対談』を買ったのは、花田さんの対談集だからというのと、そして対談の相手に好きな人、興味のある人がたくさんいたから、あと、装丁がカラフルで可愛いからというのもあって、だった。
岸政彦さんはどんな話をしているのだろう、植本一子さんはどうだろう、荒井裕樹さんは、宇多丸さんは……と、まずは自分が好きな人のところから読んだ。魅力的な名前の並んだ対談集であることは間違いないのだが、それでも、恥ずかしながら私にとって、まだあまり詳しく知らない方もいる。なので、真っ先に何人かの対談を読んだあとは、もう最初から順番に読んでいくことにした。
そのようにしてやっとわかったことなのだが、この本は、対談の相手がみんな魅力的なのも間違いないとは思うのだが、花田さんの聞き手としての力が圧倒的なのだ。その力が圧倒的なので、すべての対談が面白くなっている。繰り返すが、私個人として、その方がどんな方なのか、これを読むまで知らなかった人もいるけど、その方と花田さんの対談の中にも、必ず今の自分が切実に感じていることと響き合い、「なるほど、そう考えてもいいのか」とヒントになってくれるような部分が絶対ある。全対談が面白いのである。
「こういう時に、こう合いの手を入れるからすごい」「こんな鋭い質問をするからすごい」というようなテクニック面については、私にはわからないが、おそらく花田さんのすごさは別のところにあるのではないかと思う。じゃあ何なのだろうか、と考えても一言で言い表せないのがもどかしい。
曖昧な書き方しかできないけど、花田さんが興味を持っていることの幅の広さや、考え方の柔軟さや、目の前の人(対談相手)に対する真摯な向き合い方などの一つ一つがすごくて、だからどれもすごい対談になっている。すごいすごいとしか言えていない。
尊敬する小説家の保坂和志さんが、ある偉人の人生のことを別の誰かが書く、いわゆる「伝記本」について、伝記に書かれる対象がどれだけ偉大でも、それを書くのは伝記の書き手だから、その偉大さは書き手のサイズに狭まってしまうというようなことを書いていた。
「あの偉人がこういう選択をしたのはきっとこうだったからだろう」と書き手が自分なりに解釈する時、その解釈の自由さは書き手の想像の範疇を出ないということである。
花田さんの対談集を読んでいると、そういう意味でいう花田さんのサイズがめちゃくちゃ大きいから、対談相手の言葉がさらにさらに面白くなっているんだろうと思える。
オーストラリアの先住民の人々の考え方だったろうか、いつかテレビで見聞きしたことで今も覚えているのが、「どこに生えている木でもいいから、木に触れながら願いごとをするといい」「木は地中の根っこですべての土地と繋がっているから、私たちのいる陸地の隅々までその願いを届けてくれるのだ」というような話で、以来、私は巨樹に触れる時などそのことを思い出す(「インターネットが世界と繋がってる、みたいな感じで、根っこは世界中と繋がってるんだよ、つまりインター根っこだね」と、酔って誰かと喋ったなというしょうもない記憶も同時に必ず想起される)。
その感じでいう木みたいに、花田さんの考えが地中に深く広く根を張っていて、あらゆる他の人たちの考えと繋がっているみたいなイメージも、読んでいて浮かんだ。
と、印象の話しかできていないので、好きだった箇所を引用したい。敬称略で、本文では「ヨシタケ」みたいに、上の名だけが表記されているが、そこだけ分かりやすいように私の方で補足した。
ヨシタケシンスケ これに関してはわりと意識してやってます。昔、絵本作家になる前にイラストレーターとして活動していた頃、新しく親になる方たちへの冊子のイラストの仕事をしたことがあるんです。それが国からお金の出る、出生率の向上が目的のものだったのですが、僕の描いたお父さんやお母さんが楽しくなさそうだから笑顔に直してくれって言われたんです。「それは違うんじゃないか」と思いながらそのときは最終的に笑顔に直してしまったんですが、子育てがつらい人を「なんでみんなこんなにニコニコしてるんだ、なんで自分だけこんなに楽しくないんだ」って傷つけてしまったんじゃないかと後から思ったんです。笑顔が人を傷つける、ということをその経験を通じて痛感して。
窪美澄 シングルペアレントの恋愛には「家事や子育てを放棄して恋愛にうつつを抜かしている」という偏見があると思うんです。でもそもそも子育てって、毎日食事を与えて清潔な服に着替えられるくらいのラインでもいいんじゃないかと私は思ってるんですよね。
山崎ナオコーラ 大学の後輩が仕事を辞めた時期に、ずっと酒浸りだったらしいんですけど、お酒があったから生きてこられたと言っていたんです。その後普通にまた仕事を始めて、そんなにお酒も飲まなくなったんですけどね。依存は怖いものだということは忘れちゃいけないんだけど、無為に過ごす時間を要するときって、人生にはあるのかもしれなくて、そういうときはやっぱり家事じゃないほうがいいのかもしれない。
メレ山メレ子 たしかに。「男らしさ・女らしさから脱しないと」って言いつつ、頼りになる男の人に何かしてもらってうれしいとか、それこそ「背が高くて素敵」と思う気持ちは私の中にもあるので、そこがなくなったら、性欲のトリガーを見失っちゃうかもしれない。人として尊敬してます、みたいなフラットな感じだと、それって友達と何が違うんだ、ということになるし。
田房永子 ハッピーを重視すると、社会的価値観をある程度反故にしなきゃいけないですよね。基準が「自分」になるから一気に難しくなるんだと思います。社会的価値観を軸にしていると、正解がハッキリしてるから表面的に感じる不安が少ないんだと思う。子どもをいい学校に入れるとか、いい家を買うとか。自分の衝動と信念を軸にこの社会を渡っていくってやり方は学校で習ってないし。
ブレイディみかこ 自分が自分自身を生きているっていう感覚をいつも持ち続けることですよね。
そして、建設的なアドバイスに聞こえないかもしれないですけど、逃げる、ということかなあ。「こんな社会だめだ、私が私を生きられない」とか、「この家庭だめだ、私が私を生きられない」とか、「この組織だめだ、私が私を生きられない」と思ったら逃げていいと思う。これは大事ですよね。
荒井裕樹 普段私たちって、たとえば電車に乗ってどこかへ出かけたり、友達を誘って飲みに行ったり、ふらりと美術館に行ったり、コンサートに行ったりしますが、なぜそれをするのか、特に説明は求められないですよね。
普通は「したいからする」で済むんですけど、でも障害のある人たちとかマイノリティーって、そういう「自分がしたいこと」ひとつひとつに対して、なぜそうする必要があるのかとか、それをやったらどうなるんだとか、何かメリットはあるのかとか、ものすごく聞かれるんですよ。
以前、精神科病院の中で絵を描いてる人たちの活動を取材していたんですが、世の中に絵を描いてる人はたくさんいて、世間一般的には「何で描くの?」「描きたいからです」で済む話が、「精神障害者」が絵を描くと、「絵を描いて病気が治るのか」「症状がよくなるのか」「就業・自立につながるのか」とか、いろいろ突っこまれる。立場の弱い人たちほど、自分がこうしたいとか、これをやりたいということに対して、鬱陶しいぐらい説明を求められるんですよね。
岸政彦 そういうことなんですよ。面白い語りって、「そういえば」とか「今思い出したけど」から始まるの。沖縄戦の研究でも最近トラウマっていう視点から入る人が多くて、僕ちょっとそれが嫌いなんです。トラウマとか、アダルトチルドレンとか、毒親とか、ケアとか、レジリエンスとか、そういうものに還元したがる人の話法っていうのはあるなあ。パターン化されて作られてるのが見えちゃう。
ひらりさ そうですね。誰かを推していること自体がアイデンティティーになるように、お金を使うと自分が存在していると実感できる感覚ってあるよなと思ってしまいます。金銭のバランスを崩して冷静な判断ができなくなっているときの、飛び込んでいる自分に対しての興奮とかも……。なんでも、いちばんハマっているときはどこかで認知が歪んでいると思うんです。オタクもそうだし、恋愛もそうですよね。それは危ないことではあるんだけど、そういう瞬間瞬間がないとやっぱり生きていけない時代だなとも思うし。
……だめだ、最初の対談者であるヨシタケシンスケさんから順に、どの方のお話にも印象に残る言葉があって、このままずっと続けてしまいそうなので、ここまでにしておこう。もちろんこの後の対談も興味深いし、当たり前だがここに抜き出したのは一部で、それを受けての花田さんのお話も面白い。
ジェーン・スーさんとの対談の冒頭で花田さんが、ジェーン・スーさんの著作である『きれいになりたい気がしてきた』『ひとまず上出来』という2冊の本について「アロマディフューザーのように部屋中にこの二冊のエッセンスをずっと漂わせておくことができたらいいのに、と思ったくらいです」と言っていて、まさにそんな風に、この『モヤ対談』のエッセンスを私も部屋に漂わせておきたいと思った。
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
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