自分の失敗の話から始めたいのだが、先日、WEB上に毎月一回のペースで連載している原稿を締め切りまでに書くことができず、休ませてもらった。しかも「締め切りまでに書けない」という連絡が掲載予定日の直前となり、編集者に迷惑をかけることになった。申し訳なかった。
その連載は旅をテーマにしたものである。昨年から書いている。連載がスタートする前の打ち合わせの中で、どんなテーマにしようかと編集者と話し合っていた。私はここ数年、体力の低下が著しいので(運動もせず怠惰に過ごしているせいなのだが)、体を動かしてみるとか、そんなテーマも面白いかもしれないと、当初はそんなアイデアも出た。
しかし、そんな時期のある日にふと、大阪・なんば駅あたりにある大きな書店に立ち寄ったところ、棚に並んだ本のどれもが、より前向きに生きるために書かれたものであるように見えて、なんだか息苦しくなってきたのだった。私はその書店に、次の予定までに少しだけ空いた時間を潰すために行ったのだったが、「素敵に痩せる!」「語学を身につける!」「美味しいご飯を作る!」「人と上手にコミュニケーションをはかる!」「穴場の旅行をお得に楽しむ!」と、本棚のあちこちから「さあ、より良い自分を目指せ!」と命じられているように思えて、私はこんなことを感じるために書店に来たのではないと思った。放っておいてくれ!
その時、私はとにかく疲れていて「ああ、疲れた!」とだけ帯にデカデカと書いてある本がもし一冊でもあったら、そんな本をこそ手に取りたい気持ちだった。しかしそんな本は見つからなかった。そこで私は本屋の外に出てすぐに編集者にメッセージを送り、「疲れ果てた旅の模様を淡々と書くような連載にしたいです」と、気が変わったことを伝えた。
編集者は私のそんな気まぐれにも寛容な方であり、本当にそのようなテーマの連載がスタートしたのだった。しかし、そうやって自分が言い出したことすらスケジュールに沿ってうまく進めることができなかったのが先日だった。
「申し訳ありません。次回は必ず」とLINEにメッセージを送り、「こんなのもう、ダメすぎるだろ自分」と、とりあえず家にいられる気分ではなくなって外に出た。出がけにリュックに一冊入れたのが斎藤潤一郎『武蔵野』だった。
斎藤潤一郎氏は、リイド社のマンガサイトである「トーチweb」で『死都調布』シリーズを書いていて、それが3冊の単行本になっている。私はそれをまだ読んでいないのだが、その『死都調布』シリーズの後に、作風を変えて描かれたのがこの『武蔵野』らしかった。
青い表紙に寂しげな風景の中を歩く人物の後ろ姿が描かれ、帯には「絶望した漫画家は都会でも田舎でもない黄昏の境界へ…。」と大きな文字で書かれている。これは今私が読みたい本に違いないと思った。
そしてそれを電車に揺られながら読んでいたら、自分は連載でまさにこういうものが書いてみたかったのだと思った。この『武蔵野』を事務的な概要文みたいに説明するなら、旅行マンガとホラーテイストなファンタジーマンガの融合ということになるのだろうが、そんなことは実はこの作品の魅力とは関係ない。主人公が出会う場所や人物のどこまでが現実をモチーフにしたもので、どこからが創作なのかは大した問題には思えない。ただ、この、宛てのない旅の不安と、自由と、怖さと不気味さと、愉快さと、足の疲れ、空腹、自分で旅に出たのに早く帰って横になりたいような気分が、主人公のモノローグと、武蔵野の風景によって表現されているのを味わったらもう、それだけでも十分じゃないだろうか。
10篇(+3つの掌編)が収められている中に、「羽村市動物公園」という一篇があり、主人公が動物園を訪れる。いくつかの動物を見て歩いた後の一コマに「腹が減った」というモノローグがあって、次のコマに「痩せたい」と書いてある。その2つ続くコマがすごく好きだ。
「腹が減った」と「痩せたい」は隣り合う。自分の中にはそういう2コマのセットがたくさんある。「旅に出たい」「帰りたい」。「金が欲しい」「働きたくない」。「優しい人だと思われたい」「他人が妬ましくて仕方ない」。「享楽的な気持ちに溺れたい」「悟りの境地に達したい」。どちらもあることは矛盾ではないのだ。バラバラな要素がたまたま今この一瞬の形で束ねられているだけの自分だ。『武蔵野』を読んでいると、自分が知らず知らずのうちに自分を抑圧していたことがわかり、そこから楽になれるような気がする。
この原稿を書く前、今日、電車で出かけた行き帰りに信田さよ子『家族と厄災』を読んでいた。まだ半分ほどしか読んでいないが、そこまででもいくつも心に強く迫る部分があった。
「うしろ向きであることの意味」と題された第3章の中で、過去の辛い記憶と付き合い続けているある女性の話を受ける形で、
過去の経験にとらわれるのはいけないこと、究極のネガティブ思考だとも批判される。そのために苦しみ、自分を責める人も多い。
自己啓発本などを見れば、どれほど「肯定」「未来」「選択」「決断」が重要視されるかが一目瞭然だ。多くの人たちは、ひたすらフォーマット化された思考法に従い、課題遂行に励む。しかしそこからこぼれ落ちるものがある。それは「なぜ?」という問いかけであり、自分をとらえて離さない過去の経験である。
と、「過去を乗り越え、前向きに未来を目指そう」といったような紋切り型の思考に異を唱えると同時に、過去を見つめ続けることの重要性について綴られていく。
信田さよ子さんがこの本の中で取り上げているケースはコロナ禍で家族の関係が密になり、それによって息苦しい状況に追い詰められてしまった方々が中心で、本に書かれていることを、そのケースを離れて自分のことに簡単に近づけてはいけないと思うが、世間で「前向き」とされる価値観が自分たちを縛り付けていることを考えずには読めなかった。
大人だから、親だから、男だから女だから、こうしなきゃいけない、もっとこうならなくちゃいけないと、常に社会が押し付けてくる。それが苦しくて、そこから自由になりたい。斎藤潤一郎氏の描く『武蔵野』は、そこから離れた場所に広がっている気がした。
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
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