1923年9月1日に関東大震災が起き、死者・行方不明者がおよそ10万5000人になるとも言われる被害をもたらした。関東圏の広い範囲が焼け野原になってしまうような大規模な災害の混乱の中で、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」「市内各所に放火した」などという流言・デマが広まり、その根も葉もない噂に煽られた人々が、朝鮮や中国にルーツを持つ人々や、当時、不穏分子と目されていた共産主義者をはじめとする日本人を巻き込んで捕まえ、虐殺した。
これを書いている今からちょうど100年ほど前のことだ。昔のことのようだけど、亡くなった私の祖母が大正生まれで、関東大震災の時のこと(もっとも祖母は山形の人だったので実際に惨状を目の当たりにしたわけではないのと思うのだが)を「大変だったんだよ」とよく話して聞かせてくれた。手の届く時代のことである。
このおそろしい事件について知るには、西崎雅夫 編著『関東大震災朝鮮人虐殺の記録 東京地区別1100の証言』や、加藤直樹 著『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』といった書籍もおすすめ(というか私自身がそれを読んで衝撃を受けた)だが、本書『関東大震災と民衆犯罪』は、当時、虐殺事件に関わって逮捕された600人以上の(とはいえそれは氷山の一角で、黙認されたケースが多かったという)人々、主に“自警団”に属していた人々について検察が残した記録をもとに、どういった人たちがその加害者となったのかを考察するものである。
全体が3部構成になっていて、その第1部では、流言・デマの発火点が警察にあったこと、政府や軍隊もそれを後押しし、新聞社も積極的にその噂を広めたことが書かれる。結果、自警団と呼ばれる、主に各地の「消防組」をベースにして地域の安全を守っていた団体に属する人々が、その噂に翻弄されるように、朝鮮人と見れば捕え、激しい暴力をふるった。そしてそれは、自警団の暴力に歯止めがきかないことを不安視した警察が後から沈静化をはかっても及ばないほど、積極的で自発的なものになっていった。
第2部では、虐殺の主な加害者となった自警団というものがどんな人々によって構成され、どんな目的を持って作られたものかが分析される。それによれば自警団は、関東大震災の発生前から警察によって結成を促された、自衛意識高揚を目的とした組織だったという。自警団は「民衆の警察化」を目指して半分は国が後押しして生まれたものであり、国にしてみれば警察の人員不足を補う上で都合のいい組織でもあったようだ。
自警団に所属していたのは農民、漁民、商人、職人などで、地域に根差して生活し、働いてきた人が中心だった。その人々は自分の属する地域を守ろうとする意識を強く持っており、行方不明者の捜索に尽力したり、炊き出しなどを行って被災者を救援してもいて、つまりは一方では善良と言われるような行いをしていて、またその反面、地域に危険を及ぼすものと考えられていた“ヨソモノ”を徹底的に排除しもした。地域を大切にする姿勢が、裏返れば“ヨソモノ”への過激な暴力にも結び付いた。その暴力は“ヨソモノ”でありさえすれば対象になったから、朝鮮や中国がルーツかどうかも関係なく、見慣れない顔の人間であれば排除すべきと判断され、激しい暴力がふるわれるケースもあった。
第2部の後半で分析されていることだが、当時の日本は初めて外国人労働者の急増に直面していた。外国人労働者は日本人労働者より低賃金で働かされていたため、雇用者にとってはありがたい労働力であり、それによって職を奪われたと感じる日本人労働者が不満を募らせていた。実際にそのような反感をもとにした抗争事件も各地で相次いでいたそうだ。
本書ではこれらを踏まえた上で、関東大震災の発生直後に起きた虐殺事件を“「ふつうの地元民」が近代産業に従事する「ヨソモノ」を殺害した事件”と定義している。
これまで、この虐殺事件は、警察や軍隊が広めたデマに惑わされた民衆が起こしたものだとか、低下層の民衆が日頃の不満を募らせて暴徒化して行ったものといったような、一面的な印象で語られて来たそうだが、資料をつぶさに見ていけば、細かな事情、時代背景が複雑に重なって生まれたものだと考えられる。それぞれが採用したいドラマを恣意的に重ね合わせてこの事件を語ることに、この本は淡々と抵抗しているように感じる(本書の第3部では、沖縄出身で関東に働きに来ていた人々が言葉の訛りによって虐殺されたという伝承が、事後に生まれた風説であることも検証される)。
信じがたいような陰惨な事件だからこそ隠蔽されたり、語り替えられたりする。警察や軍隊は責任から逃れようとし、事件を矮小化し、加害者は加害者で、それを仕方のないことだと考えたがった。後の時代に生きる私たちも、気づけば狭い印象で歴史を語ろうとしていて、事実を冷静に見つめようとする視線だけがそれを拒む。
インターネットがすっかり一般的に普及した後の東日本大震災やCOVID-19の流行に伴って無数の、すべてを把握しきれないぐらいのデマが生まれたのを見れば、こういったことがもう起こらないとはまったく思えないし、普通の市民に見える人(自分も含め)も、一定の条件が揃えば平気で残忍にふるまえてしまえるんだとも思う。もちろんその暴力は自分に降りかかることもあるだろう。あらぬ疑いのもとに無残に暴力を振るわれた人間も、振るった人間も、自分であり得た。それは何度でも繰り返し心に刻んでおくべきことだ。
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
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