先日、大阪の阪神デパートで開催されていた古本市に行ってみて、行くまでは「もうよっぽどのことがない限り古本は買わない。本は増やせない」と思っていた。あまり読まないくせに本は買う。通販で買った本が毎日のように届く。しかし部屋は大きくはない。もう、とうに収納の限度を超えている。
しかし、古本市に行ってみたら買っていた。大好きなラッパーのECDと写真家の島崎ろでぃー氏との共著である『ひきがね』という本が売られていて、それを一冊買うことに決めたら「これを買うのならこれも買っていいはず」という風に気持ちが変わり、どんどん買ってしまった。
その中の一冊が小島信夫『風の吹き抜ける部屋』だった。これは2015年に幻戯書房という出版社から出た428ページほどの本で、その幻戯書房の中の一つのレーベルなのであろう「銀河叢書」からの本として出されているようだ。
そしてこの「銀河叢書」は、“戦争を知っていた作家たち”をテーマに、“初書籍化となる貴重な未発表・単行本未収録作品を中心としたラインナップ。ユニークな視点による新しい解説。清新かつ愛蔵したくなる造本。”を掲げて作られる本のシリーズらしい。その第1回配本がこの小島信夫『風の吹き抜ける部屋』と田中小実昌『くりかえすけど』の2冊らしいことが、巻末のページに記されている。
“初書籍化となる貴重な未発表・単行本未収録作品を中心とした”とある通り、この『風の吹き抜ける部屋』に収められているのは小島信夫が自分の単著以外で書いた(文芸誌向けに書いたものが多い感じがする)もので、そういう本だから、どこから読んでもいいような感じだ。
私が買った古本は、これを売っていた古書店が本に透明のビニールのカバーをつけてくれていて、私はあのビニールカバーがついた本が好きだ。大事にされている感じがして、私も大事にしたくなる。それもあって、いつも自分が家の中でよくいる近くにその本は置いてあって、たまに手にとって、少し読んではまた閉じる。
一つ一つの文章は短いから、「とにかくこの文章の終わりまで読もう」と決めて読んでいくのだが、全体がおおよそのジャンルによって4つに分かれているうちの第2部にあたる、小島信夫が同時代を生きた作家たちに寄せた追悼文の集められたセクションが好きでよくそこを開く。
田中小実昌、島尾敏雄、井伏鱒二とか、自分が好きで昔よく読んだ作家について、小島信夫がどんな風に書いているかを読むのが楽しい。知らない作家について書かれたものでも、小島信夫の文章を読むのは面白い。
しかしいつもなら、私が感じている面白さができるだけ伝わりやすそうな部分を本の中から抜き出すのだが、それがなかなか難しい。小島信夫の文章の面白さは「ここを読んでもらえればいい」というようなものではなくて、しかも全体を読んだからと言っても、言葉にするのが難しい。
それをわかった上で、無理に抜き出すとしたらここはどうだろう。
武田泰淳
じっと思い出を楽しんでいたい私は武田さんのことは、ちょっと前に頼まれたほかの雑誌に先きに書いてしまったので、今は茫然として、これ以上何を書いたらよいか、と考えている。私はじっとして武田さんのことを自分ふうに楽しく考えたいし、そのためには今はこのままにして沈黙を守らせてもらいたいのが本音である。私に限ったことではないが、武田さんのことは折にふれて考えた。そして考えることがとても楽しかった。
こんなとことをいっては申し訳ないけれど、私は武田さんが最初にたおれられたときから、そういう武田さんが、私には何ものかであった。以前歯を総入歯にされたとき、異和感があって、気持がわるくて、何も食えないといっておられたときさえも、それから病後ヒゲをはやされたことも、最近頭巾というか帽子というか、頭にのせて歩いておられるのを見かけたときも、ぜんたいが魅力の対象であった。
こういう書き方が、なぜかあちこち妙に面白い。何が言いたいのかはっきり分からない。「亡くなった人についてどんな風に書いているのか」と思うこっちの思惑を迂回していくようなところがある。
小島信夫の文章を読むときの気分は私はいつもそうで、「この後、こんな風に書かれそうだな」と私が思うようには小島信夫の文章は絶対に進んでいかない。変な風に進み、変な風に終わる。あと、小島信夫の文章には、「誰かが『誰かがこう言っていた』と言っていた」みたいな、入れ子になったような伝聞というか、そういうものがよく出てくる。
たとえば評論家の江藤淳の追悼文の一つ、
江藤さんと『抱擁家族』
1
友人のAさんがこんなことをいった。
「猪瀬さんが、江藤さんが亡くなる一ヶ月前に会った時、『日本国について論じて下さるのは、江藤さんしかいないのだから、これからも続けてください』といった。すると江藤さんから、『ぼくはもうそういう公けのことは止めようと思う。私的なことを書きたい』という言葉が返ってきた、といっているそうです」
という、これは冒頭の部分なのだが、Aさんという小島信夫の友人が江藤淳について猪瀬さんが語っていたのを小島信夫に聞かせているようである。
「誰かが誰かについて話していたことを私がまた別の誰かに伝える」ということは、日常には結構あることなのに、文章にそれを書くと途端に複雑になる。読むのが面倒な、情報量の重たい感じになる。だから私たちは文章を書く時、それを避けることが多い(と思う)。もしくは、入れ子構造をもっと分解して、わかりやすくしようと工夫したりする。
しかし小島信夫はその複雑さとか、簡単に伝わらない文章の構造をあえて積極的に取り入れているようだ。それは小島信夫の小説でもそうだと思う。迂回していくのも、何かを簡潔に言うことへの抵抗だと思われる。
そういう文章がたくさん収められた本が自分の体の近くにあり、それをパラっとめくり、少し目を通すだけで、言いたいことをシンプルに整理せよと迫る今の時代のムードだけがすべてではないと思える。それがうれしい。
『風の吹き抜ける部屋』通販ページ
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(X/tumblr)
1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
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