以前読んだ井戸川射子さんの『ここはとても速い川』という小説がすごくて、それについてこの「読んでは忘れて」の中で書いてみようと思ったけど、全然無理だった。その小説の中でも特に印象的だった場面を読んでいた時、私はバスに乗っていて、空いていたからシートに座っていて、自分のすぐ横にある窓から昼の光が差し込んできていたその場面ごと、「あのすごい文章を読んだ時、昼のバスだった」と覚えている(とはいえ、「その文章はこういうものでした」と今ここに書けるように記憶しているわけではなく、読んでいた時の状況だけを覚えている)。
だから、今回読んだ『この世の喜びよ』についても「すごかった」としかほとんど言えないのはわかっていて、怖気づきそうになるが、どんな種類のすごさなのかぐらいは言えるだろうか、わからない。
主人公はスーパーマーケットやペットショップや家電量販店も入ったような大きなショッピングモールの喪服売り場で仕事をしていて、母親で、二人の娘がいる。上の娘は学校で新人教師として働き出したところで、下の娘は大学生で、つまり、自分が常に存在していなければならないような育児の時期は終わっていて、主人公は自分が老いつつあることを感じながら、淡々と日々を生きているように見える。
ある時から、主人公はショッピングモールのフードコートで女子中学生がひとり、暗くなるまで長い時間を過ごしていることに気づく。ふとしたきっかけからその女子中学生と言葉を交わし(というか言葉を交わしたからその人が中学三年生だと知って)、主人公と女子中学生とに関係性が生まれ、続いていくことになるのだが、それが特に驚くようなストーリーに繋がっていくわけではない。何も起きないというわけではないが、読者を翻弄するような展開がある小説ではない。
でもこの小説はのほほんと、のんびりと日常を描いたようなものとは違い、すごく激しく、とんでもない速さと奥行きを持って感覚が動き続けているような、その途方もない鋭敏さに圧倒され続けるようなものであると私には思える。
主人公が今働いているショッピングモールは、主人公の家の近所にあって、娘たちが幼い頃から、主人公はそこに住んでいるようだ。なので、そのショッピングモールで働くことになる以前も幼い娘たちを連れてよくそこに来た。その建物のあちこちに、主人公が忙しく子育てをしていた頃の記憶が残っている。
また、フードコートで知り合った女子中学生と言葉を交わし、その相手のことを考えることは、主人公にとって育児の時間をたどり直すことにも繋がっていく。だから、この小説の中で、主人公は目の前の相手のことを考え、同時に自分の過ぎた時間を濃密に思い起こしていくことになる。
主人公と娘たちも、女子中学生とその親も、家族でありつつどこかよそよそしく、お互いに距離をはかりかねているようなところがある。その関係性もまた、痛々しいほど繊細に描かれる。
これは、主人公が幼い娘たちをショッピングモールに連れていった時のことを思い出している場面。
ベビーカーにのる下の娘は取れるものを手当たり次第に取り、先の細くなった指で持つもの全てを喜び、高く振りかざしていた。その手に取ったのを、片っぱしから上の娘が奪っていっていたから、下の娘には我慢をさせた、でもあの場では三人みんなが我慢していた。まだ角の取れていない、先の尖った歯が並ぶ口を開け、上の娘は昔あったクレープ屋の前から動かなかった、その手からは色んなにおいがした。
先の尖った歯、色んなにおいがした手が、時を隔てて思い出されている。そしてこれも娘たちの幼い頃を思い出しているところ。
幼い娘たちはパンを食べさせれば、確かに口から小麦の発酵したにおいが、夏ならいつも麦茶のにおいがした。
小麦のにおい、麦茶のにおい、そんなかすかな匂いがよみがえる。あとここ、主人公が娘たちとスーパー銭湯に行って、マッサージを受けている場面。
マッサージの子の細い骨があなたの平面に入っていく、あなたの筋肉もその指の一点を目指し、押し合う力にする。目を瞑れば、してくれている人の腕と、自分の体とベッドしかない。筋肉が束か塊ずつで動く、本物は見たことないが、理科で習うようなピンクと白の線でできたすき間を、手が縫っていく。
井戸川射子さんの文章はこんな風に、感覚が猛スピードで、次々に捉えていく。必ずしも目の前のことだけでなく、過ぎた時間も、さっきの麦茶のかすかな匂いみたいにしっかり掴まれている。引用したマッサージのくだりに続くここ。
娘たちだって、昔は二人で走るだけで喜んでいた、みんな自分の体を確認するためにスポーツなんてして、合掌だって、両手のひらに気づくためにある。
「合掌だって、両手のひらに気づくためにある」というこの文章のすごさ。ここを読んで一回本を閉じて、合掌してみたら、本当だ、手のひらを感じる。自分はずっと手のひらを感じていたのに、それが言葉として一瞬でも頭の中に定着したことはなかった、と思った。
このような、現在も過去も隔てなく、五感を通じて入ってくる情報全部が等しくいま目の前に存在しているかのような言葉で、ごくありふれた(たぶん郊外の)ショッピングモールの中での主人公と女子中学生の出会いが描かれる。人がひとり存在して、別の誰かと出会うということはこんなに劇的なことだったのだと、何度読み直しても、込み上げる感動がある。
この小説の中で、主人公は「あなた」という2人称で示される。
あなたは昔の自分に言ってあげるように、大変だ、と頷いた。
勤務中のあなたは作業台に手をつき、伸びをする馬をイメージして腰を反らす。
少しあなたは泣きそうになって息が詰まる。
と、文中に何度も何度も繰り返される「あなた」という言葉がじわじわと催眠術のように浸透してきて、自分もこの世界をこんな風に捉えられるような気が、読んでいると少しだけしてくる。
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
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