読んでは忘れて

第39回 杉田俊介『人志とたけし――芸能にとって「笑い」とはなにか』

杉田俊介『人志とたけし――芸能にとって「笑い」とはなにか』いつも私がぼーっと過ごしている近所の川べりに、友人が来てくれた。その時、私は杉田俊介『人志とたけし』を読んでいて、リュックの中から「今これを読んでいるんです」と本を取り出して見せたところ「ああ!その本!」と友人が声をあげた。

友人は今43歳である私よりも4歳か5歳か年下なのだが、若い頃、ダウンタウンのお笑いに衝撃を受け、特に松本人志のスタイルに感化され、芸人を目指して「NSC(吉本総合芸能学院)」に通っていたという。そんな友人だから、「松本人志のことは、考えると本当に色々複雑で……でもやっぱり、テレビ見るたびに天才だと思うんです」と、お笑い界の神として芸人たちに崇拝される一方、ワイドショーのコメンテーターを務めたりもして、1990年代、2000年代あたりとは立ち位置が変化しつつある松本人志のことを、なんとも言えない表情で語るのだった。

私は昔からダウンタウンが好きだった。『夢で逢えたら』を見て『ごっつええ感じ』を見て、特に高校生の頃、松本人志が「お笑いタレント」みたいなイメージからもっとストイックな、お笑いの求道者というか、一つのことを極めようとする職人みたいな風になっていった頃の姿に憧れていた。『寸止め海峡(仮題)』というコントライブをしたり、『松風'95』という、写真をスクリーンに大写しにして、それについてバシッと一言コメントをつけて笑いにするライブをしたり、松本人志自身が「自分はただの芸人とは違う」みたいな感じを見せようとしていた頃だったと思う。

高校時代、私はクラスになじめず、学校にいる時間が嫌で嫌で仕方なかった。その頃、テクノを聴いて好きになったり、『バカドリル』が出て衝撃を受けたり、自分の暗い高校生活を忘れさせてくれるようなものを探していた。松本人志も私にとってそういうものの一つで、低調な毎日を吹き飛ばしてくれる、ヒーローのような存在だった。

と、当時の松本人志にそのような、常識をぶち壊してくれるような、痛快なものを感じていた人はものすごくたくさんいただろう。この『人志とたけし』の著者である批評家の杉田俊介さんも、『ごっつええ感じ』以降の松本人志を“それなりに熱心に”見てきたと書いている。そのように松本人志を見てきた著者が、松本人志の笑いへの批評を試みているのがこの本で、タイトル通り、松本人志と並べてビートたけし、北野武についても批評され、二人の違いから、お互いの笑いが志向するものが見えて来もする。後半には九龍ジョー、マキタスポーツ、矢野利裕、西森路代といった面々との対談が収録されている。

この本を読んでいて、こんな風にお笑いについて、忖度なしに、日本の社会のムードとの関連性も視野に入れながら考えている本がもっとあってもいいと感じた。こういう本がもっと読みたい。「お笑いを論じるなんて野暮」みたいに、「笑えたか笑えなかったか、それだけでいいじゃん」という風に思わせる力が今のお笑いにはあるように感じるし、実際こういう本を求めている人がどれぐらいいるのかわからないけど、「今どんなお笑いが受け入れられているか」ということは、社会のことを考える上ですごく重要な視点だと思う。お笑いが社会に与えている影響はすごく大きいと思う。

たとえば、杉田さんが松本人志の笑いに含まれる「悪意」について、こう書いている。

松本的な悪意とは、善悪や真偽などの区別自体をどこまでも無意味化していく悪意であり、この世には様々な価値観を持った人間たちが多事総論によって新しい価値をたえまなく生み出していく、というアレント的な「政治=公共性」の意味を根こそぎに嘲弄し、虚無のアビスへと引きずり込んでいく、そうした「悪意」としての「笑い」であると思う。

たしかに、松本人志の笑いはすべてを無意味化していく破壊的なものだ。それは私が高校の頃に感じていた「うまくいかなさ」や「そのうまくいかなさを生んでいるもの」も破壊してくれた(と私は勝手に思っている)けど、一方で、踏み越えてはいけないラインも破壊する、モンスターのようなものだとも思う。

「読んでは忘れて」第39回

「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」という、ダウンタウンがMCを務める音楽番組が1994年に始まった。音楽番組だからミュージシャンが出てきて演奏するのだが、その前に、ダウンタウンの二人に挟まれるようにしてミュージシャンとトークするコーナーがあって、そこの面白さが番組の魅力になっていた。そのコーナーでは、ミュージシャンたちは徹底的に笑いの素材のように扱われる。いかに面白く振る舞えるかが問われ、笑いのルールから外れた人は「天然」として笑われる。ミュージシャンとしてのオーラが奪われ、引きずりおろされるような感覚があった。

その「引きずりおろし」が痛快でもあったし、怖くもあった。その暴力性のもとでは、どんな知識や経験を持った人も、その内面を奪われ、見た目や言動の面白さだけで判断されるというような。そういう、一瞬で全部引きずりおろして破壊してしまうような力が松本人志の笑いにはあって、なんせそれは痛快だからインパクトがあって、その後、そのムードがじわじわと社会全体を覆っていったように思う。そして今、そのムードはより濃厚になっている気がする。戦争の悲惨なニュースも、他人の権利を脅かすような許されない行為も、全部が同じ地平に並べられ、大喜利のネタとして消費されていくような。

本の後半、杉田さんと九龍ジョーさんが、松本人志がコメンテーターを務めるワイドショー『ワイドナショー』について話しているくだりがある。

杉田 『ワイドナショー』もそうですよね。政治的な事件について、何も調べない。その場の思いつきをいう。
九龍 あの番組は、松本さんにとってはニュース大喜利なんですよね。

やはりあの番組の中で松本人志がやっていることも引きずりおろしであり破壊なのだと思う。すべてが笑えるか笑えないかで判断される大喜利の場(その雰囲気は、何か大きな事件が起きた時のTwitterのタイムラインとも通じる気がする)。

私はそれでもやはり松本人志のファンで、テレビをつけて出ていれば見てしまうし、「こんな状況でこんな面白い判断ができるなんてすごすぎる……」と思う瞬間は今もよくあるけど、あの笑いの力が及んでいい範囲について、もっと慎重になるべきだと感じている。そしてそういう、すべてを大喜利化していくような笑いではない笑いのあり方が広く受け入れられていけばいいのにと思う。

「じゃあそれってどんな笑いだろう」と考える上でも本書は参考になる。特にいわゆる「第七世代」以降のお笑いの変化をめぐる西森路代さんとの対談は面白い。この本が出たのは2020年の12月だけど、それから1年以上が経った今の状況とも呼応する話ばかりだ。自分が笑っていること、笑えると感じていることについてもっと敏感でありたいと思わされた。

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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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