『本は読めないものだから心配するな』というタイトルと、「読めなくてもいい、忘れても。」「解説 柴崎友香」と書いてある帯を見て、これは絶対に自分に必要な本だと思った。
私が買ったのは、文学者、詩人である著者が2009年に左右社から出した本が2021年9月になってちくま文庫に入ったもの。
読んでいると自分が世界に対してオープンになっていく感覚があり、気分が高揚するのだが、その感じを味わってもらうためには本文を引用するのが一番だと思う。
ちなみに、この本に収められた文章は『ユリイカ』『すばる』『現代詩手帖』等々の雑誌に著者が発表してきたもので、つまり、その一つ一つはもともと独立した文章として書かれたはずだが、この本の中ではすべてが切れ目なくつながっているような形で並ぶ(一応、一つ一つの文章のタイトルが文頭に太字で示されてはいる)。
一番始めの、『本は読めないものだから心配するな』というタイトルがつけられた文章の終わりに近い部分にこう書いてある。
本に「冊」という単位はない。とりあえず、これを読書の原則の第一条とする。本は物質的に完結したふりをしているが、だまされるな。ぼくらが読みうるものはテクストだけであり、テクストとは一定の流れであり、流れからは泡が現れては消え、さまざまな夾雑物が沈んでゆく。本を読んで忘れるのはあたりまえなのだ。本とはいわばテクストの流れがぶつかる岩や石か砂か樹の枝や落ち葉や草の岸辺だ。流れは方向を変え、かすかに新たな成分を得る。問題なのはそのような複数のテクスチュアルな流れの合成であるきみ自身の生が、どんな反響を発し、どこにむかうかということにつきる。
本を何冊読んだ。何時間で読んだ。効率的にあらすじを把握することができた。といったことには、早食い競争や大食い競争みたいな意味合いしかなく、読んだ文章によって自分の中にどんな変化がもたらされたかということが読書する喜びなのだ、ということを言っているように私には思えた。
一冊の本は物として一冊の形に閉じているけど、読んでいる最中に別の本に書いてあったことを思い浮かべたり、忘れていた自分の記憶が呼び起こされたり、最近考えていたこととつながっているように感じられたりする。同じ本を10年前に読むのと、今日読んだのとでは感じることも違って当然で、読書はその時の自分と本とが関係しあって何かを生む、共同作業のようなものなのだ。ということは、本には完全に読み終えるということがない。終わりがないのだ。読書とはリアルタイムなものであり、他の本や外の世界とどこまでもつながっていくものだ。
『流星の道にむかって』というタイトルがつけられた文章の中で、解剖学者の養老孟司の言葉が引用されている。それをさらに孫引きしたい。
人はどんどん変わって行く。脳ミソもどんどん変わって行く。万物流転するという世界の中で、唯一それを止めてくれているのは言葉だ。
おそらく皆さんのイメージは、社会には人間という実体が沢山あって、その間で言葉なり情報なりがやりとりされている、というものだと思います。私は一度そのイメージをひっくり返してご覧になってみたら、と言いたい。つまり、厳として情報なり言葉なりという硬いものが真中にあって、その周囲をふにゃふにゃな人間が動き回っている。アメーバみたいな人間が、動いている。そういうイメージの方がひょっとしたら正しいんじゃないか。
自分の内面はどんどん変わっていく。自分の周りの世界もどんどん変わっていく。現在はグングンと過去になり、さっき確かに手ごたえのあった感覚すら曖昧になっていく。常に流れ続けているのが世界のあり方で、それを止めようと、留めようとするのが言葉の働きだ。
「私は昨日、焼きそばを食べました」と書くことによって、かろうじてあやふやな過去の記憶に輪郭が与えられたような気がする。著者は言葉のことを「時空の流れの中で(中略)ところどころに突き出た杭」と表現している。時間の激しい流れの中で言葉の杭にしがみつき、なんとか私たちは自分が生きた時間を確かめようとしている。
でもその言葉の杭だって、どんどん変化していく。まったく同じ言葉が場所や時代によって違う意味を持つみたいに、言葉の杭は一定のものではない。
絶望的なぐらいにふにゃふにゃであやふやな世界の中で、私たちは押し流されながらなんとかその時に掴むことのできた杭にしがみつき、自分が今いる場所を確認するしかないのだ。それがきっと本を読むという行為なんだと思う。
今年の夏、私は心と体のバランスをずいぶん崩し、前向きな気持ちになれない日々が続いた。そうなってみて気づいたのだが、自分の周りに呪いのような言葉ばかりが散りばめられているように思えてくるのだ。
信頼する人から過去に発せられた自分への強い非難の言葉だとか、学生時代にクラスメイトから投げつけられた暴力的な言葉とか、恋人から別れ際に告げられた言葉とか、そんな言葉ばかりが記憶から引っ張り出されてきて、自分を暗く狭い場所に閉じ込めていくように感じながら過ごした。きっと私自身が呪いの言葉の杭に必死にしがみつき、流されまいと焦っていたんだろう。
言葉は急流の中の頼りない杭にしか過ぎない。私はまだもう少し泳げると思う。古い言葉の杭から手を離し、新しい杭を掴みたい。この本はそういう勇気を与えてくれる。
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
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