読んでは忘れて

第30回 miyono『とある暮らし』

miyono『とある暮らし』東京の友人が仕事の用事で大阪に来た。「仕事が終わった後、よかったら飲みませんか」と声をかけてもらったが、今の大阪では飲食店が20時までしか営業できず、酒類の提供も19時までとされている。だから私の家の近所を流れる「大川」という川のほとりで落ちあい、夜の川を眺めながら、コンビニで買った酒を飲むことにした。

「最近こんな映画を見た」とか、「こんな音楽を聴いた」とか、「オリンピックもう来週らしいっすよ」とかあれこれと話し、梅田のサウナへ向かうという友人を駅まで送っていった後、『とある暮らし』という本のことを思い浮かべた。

『とある暮らし』はmiyonoさんという人が“2019年春から2021年春までの約2年間、現在拠点にしている福井県にて街を巡り、またSNSを活用し、10代から90代の男女50名の方々とお会いし、一人ひとりが日々の暮らしの中で思うことや感じていることをインタビューし、一冊にまとめ”た本である(『とある暮らし』の概要ページより)。

514ページの厚みの中に福井県に住む人たちの語った言葉がぎっしり詰まっている。インタビューを受けている人たちは“日々を普通に生活している人”で、miyonoさんが町で出会った人、SNSで知り合った人などだという。

「福井県はどのようなところが好きか(好きではないか)」「自身のターニングポイントについて」など、共通するいくつかの質問を語り手に投げかけ、そこからは語り手にゆだねるような姿勢で聞き取りがなされているようだ。

本のまえがきに“インタビューは、その場のリズムを大切にしたかったため、必ず顔を合わせての対話形式でお願いしました。”と書かれていることからも伝わってくる通り、語り手の言葉を要約したりせず、できるだけそのままの形で収めているのではないかと感じられる。

たとえば、二十代前半の男性であるSaitoさんへのインタビューで、Saitoさんは生まれが関東で、その後、東北へ引っ越し、仕事の都合で今は福井県にいるそうなのだが、「またいずれ県外で暮らしたいと思いますか?」という質問に対して、「あんま思わないですね」から始まり、そういう主旨のことを語っている。その後に続く部分を抜き出してみたい。

「背負い込みすぎるというか、色んなところを転々とするっていうのもいいと思うんですよ。でまぁ仕事上そういう環境というか経験をくれるような仕事ではあるんですけど、ただやっぱりどっちかって言うと、その土地にいる時間の始まりと終わりを見つめてみると、その、中身が結局伴ってなかったらしょうがないと思ってて、ちゃんとした時間を過ごしたいって思うと、転々とするんじゃちょっと厳しいというか。周りに人がいて場所があって時間があってっていう過ごし方をして一所でどんどん繋がりを広めて深くしていくと、まぁ意味があるっていうか形あるものになってって。でそれがもうやりきった、完成したってなるんだったら次の場所へ移っていいと思うんですけど。まだ来て一、二年くらいじゃあ、なにも知れない状態でってなると、やっと掘り出したところをもっと掘っていきたいのに離れるっていうのもなんだかって感じで。転々とするっていうのもそろそろ限界かなというところもありますかね」

と、ここだけを読むとまわりくどい言葉に聞こえるかもしれない。でも、なんとなく言おうとしていることはわかる。ここでSaitoさんが言おうとしていることを無理に整理しようとして「色んなところを転々とするのではなく、その土地にいる時間をちゃんと過ごしたい」という風にしたら、抜け落ちる部分がたくさんある。言い淀みや、一度言ったことを別の言い方でもう一度言おうとするところなどにSaitoさんの心の動きが感じられて、単純な情報を超えて、たくさん伝わってくるものがある。

「読んでは忘れて」第30回

誰かと向き合って会話している時、私たちはだいたいSaitoさんと同じように話している。「まあなんというか、必ずしも断言できるわけではないんですけど、自分はやっぱり、思うに、一番好きなのは麺類なんじゃないかってよく最近では思うんです。もちろんすごく米は米ですごい好きではあるんですが……」とか、私は特にそういう、前後に要素が色々くっついたような物言いをしてしまう方で、「で、結局何が言いたいんですか?」と相手を呆れさせることがよくある。

自分の話し下手は一旦棚に上げておくとして、とにかく、整然としたものを目指して書かれた文章と会話で使われる言葉はあまりに違うなと思うのだ。特に最近、Twitter上で意見をぶつけ合うことが世の中をまったく良い方向に導いていない気が、強くしている。SNS上の言葉には何か決定的なものが欠けてしまいがちな気がしている。

オリンピックの開催に至るまでの政府の強引かつ粗の目立つやり方は、私にとってはあまりにめちゃくちゃに見えてイライラすることが多いのだが、かといって「マジで今の政府どうなってんだ!」とTwitterに書いても、私のツイートを読んで誰かが「なるほど、この意見は参考になるぞ!」なんて思うはずはない。

「ああ、あいつは政府の揚げ足を取りたい派なのね」とか「代案もないくせに政治に文句とか言いたいんだね」とか、まあそこまで意地悪に受け取られないにせよ、自分が取ろうとしているスタンスが強調されるだけで、意味のあるやり取りが生まれることなんてまず望めないのだ。「あなたはどっち派?」「わたしはこっち派です」「じゃあ味方ですね(あるいは敵ですね)」という結末しかない、それがSNSの言葉なんじゃないか。

友達としゃべったり、あるいはこの『とある暮らし』を読んでいると、SNSの言葉はかなり特殊だなと思う。面と向かって交わされる言葉には、相手の意見が自分と全然違おうと、「はい、敵ー!」みたいな短絡的な結論に向かわせない何かがある。それはきっと、要約から漏れる無駄な(ものに見える)言葉なのだ。

社会学者の岸政彦さんが監修した『東京の生活史』という本が、8月23日に筑摩書房から発売される。150人の聞き手が150人の語り手から東京についての話を聞き取ったインタビュー集で、1200ページを超えるとんでもない分厚さの本になるそうだ。めちゃくちゃ重たいらしい。

私もその聞き手の一人としてその本に参加させてもらっていて、本が作られる過程で行われたオンライン会議で岸政彦さんのお話を何度か聞く機会があったのだが、岸さんから聞き手へのアドバイスとして語られたのは、相手から何かドラマチックな話を聞き出そうという気持ちは不要というかむしろ邪魔で、とにかく相手の言葉に身を委ねること。たとえ一見して派手な内容に見えなくても、その人がどんな風に生きてきたかが語りには現れて、それがそのまま伝わればそれだけで価値がある、という、そういうことだった。

『とある暮らし』にも『東京の生活史』(こっちはまだ読めていないのだが)にも、SNSの言葉とは全然違う、もっと相手のことが複雑な情報量を伴って伝わってくるような語りが詰まっていると思う。私はSNSの言葉より、分厚い本という形になって自分の元に届く言葉の方に興味がある。

『とある暮らし』通販ページ
とある暮らし | miyono
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スズキナオ
スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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