2020年11月1日に「大阪市廃止・特別区設置住民投票」が行われることになった。10月13日からすでに期日前投票の受け付けが始まっている。大阪市の告示によれば「当該区の住民基本台帳に記載されている日本国民の方で」「平成14年9月2日までに生まれた方で」「令和2年6月1日までに大阪市内へ転入し、その届出をした方」が投票権を有しているとのこと。もし賛成が多数となれば「大阪市」が廃止され、現在の24区が「淀川区」「北区」「中央区」「天王寺区」という4つの「特別区」と呼ばれる行政区に区分されるようになる。
今まで細かく分けられていたのものが大きな区分けへと変わるわけだから行政のあり方も変わるし、住民サービスにも細かいところから大きな部分まで色々な変化が生まれるだろう。住所も変わる。暮らしの隅々まで影響を及ぼす大きな決断なのだが、説明する間も惜しむかのように「さあ、急いで決断をせよ」と迫られている。
これとほぼ同じ内容の住民投票が2015年5月17日にも行われた。その時は反対票がわずか1万741票差で賛成票を上回り、その結果を受け、当時の橋下徹市長が残された任期をもって政界を引退することを表明した。
当時すでに大阪に転居してきていた私は、住民投票の直前のある日、ふらっと飲みに行った京橋のスナックで店主だったか常連客だったかが「投票どっちに入れる?賛成の人ー!反対の人ー!」と言い出してその場の客全員が手をあげる流れになり、おそるおそる「反対」に手を挙げたのだが、10人ほどいた客のちょうど半々ぐらいに賛成と反対が割れてドキドキした記憶がある。同じ店に来る客を2分するぐらいギリギリの結果だったのだと思う。
賛成票をそこまでの数に持っていったのは当時の橋下徹と橋下徹が率いる「大阪維新の会」の勢いだった。
松本創『誰が「橋下徹」をつくったか―大阪都構想とメディアの迷走』は、橋下徹が38歳で大阪府知事選に当選した2008年から住民投票の結果を受けて政界引退を表明する2015年まで、橋下徹がテレビ、新聞などのメディアをどのように利用し、どのように関係性の変化が生まれていったかを検証していくものである。
2008年、すでにしゃべりの巧みな茶髪の弁護士として『行列のできる法律相談所』などのバラエティ番組でも人気者だった橋下徹が華々しく政界に現れると、メディアはそれを熱狂的に迎えた。
「大阪府は破産会社同然」「机を蹴り飛ばす勢いで府庁を変える」「汗をかかない人は去ってもらって構わない」と、役所や公務員を敵に回して挑みかかるような歯切れのよさは、テレビでおなじみのタレントイメージそのままで、とりわけ無党派層を強く引き付けた。「何をやるかわからないが、何かをやってくれそう」「役所を変えれば大阪が変わる」という漠然とした期待感は、記者たちの間にもあったという。
その人気は大阪に限ったものではなかった。大阪府知事の一挙手一投足が全国的にも注目されるというのはこれまでにないことで、コメントをとればそれだけでテレビの視聴率がグンと上がる。ワイドショーもこぞって橋下徹の動向を追いかけた。特に橋下徹を人気者の立場に押し上げたテレビ局と橋下徹の関係は深く、最初からへりくだるような内輪のノリで、番組内に「けさの橋下さん」というコーナーができるほどだった。実際、橋下徹の言動は派手だし、強いものにも臆せず巧みな弁論で食ってかかる。そのコメントにはメディア的に“おいしい”フレーズが散りばめられており、そこを切り取るだけで引きの強いニュースになる。メディア側にとっても格好のネタを提供してくれる存在なのだ。
記者たちの質問にフリーハンドで次々答えていく対応力、頭の回転の速さもあったし、議論の様子をメディアに対してフルオープンで見せていく姿勢も大衆にはウケる。すごくメディア的な才能に恵まれた人材なのだ。
橋下徹を芸能界から政界へと強力にプッシュしたのはやしきたかじんと島田紳助で、この二人と橋下徹の関係は切っても切れないものだ。私が橋下徹を初めて知ったのは島田紳助がMCを務める『行列のできる法律相談所』だったと記憶する。「弁護士の世界にもこんなに面白い、話の分かる人がいるんだな」と当時の私は思った。
やしきたかじんも島田紳助も一時は頂点にいた“お笑いの強者”で、その二人に見出された橋下徹もお笑いの方法論を本能的に身につけている人だと思う。私はやしきたかじんも島田紳助もある時期までは好きだったし、その頃(橋下徹がテレビの人気者から政界へ進むまでの頃)は東京に住んでいたから関西ローカルの番組は見ることができなかったけど、テレビをつけてそういったメンツが映れば、笑いを期待して見ていた。
お笑いというものは弱者から強者へのシニカルな視線から生まれるものだと当時の私は思っていた。今のお笑いにはもっとバリエーションが生まれているかもしれないが、例えばダウンタウン(当時の私はダウンタウンも大好きだった)が下町・尼崎の風景に育まれたローな視線から古く凝り固まった価値観とか、実体はハリボテなのに偉そうにしている人物などを強烈に皮肉る時、分厚い壁に風穴が開くような快感を味わった。やしきたかじんだって島田紳助だって、そこら辺の半端な兄ちゃん、あるいはおっちゃんが笑いのセンスひとつで強い物に噛みつき、引きずりおろして見せる様が強烈な笑いを生み、お茶の間を沸かせたのだと思う(やしきたかじんは歌手だけど、彼をスターにしたのはお笑いのセンスだったと思う)。
庶民とか、大衆とか、生活者とか、なんでもいいけどとにかくそういう者の側に立ち、強大なものに立ち向かう様が支持されていたんじゃないだろうか。
強いものに立ち向かいぶっ壊すという姿勢が笑いを生む、その同じエネルギーを使って政治をしていったのが橋下徹なんじゃないかと思う。だから橋下徹は常に敵を必要とする。それを打倒することが彼のエネルギー源で、大衆からの支持を集める手段だからだ。
府知事になった橋下徹は停滞していた府政を改革し、無駄をバンバンカットしていく者としてふるまい、それは確かにある程度凝り固まった制度を揺り動かし、改善させもした。
しかし、考えてみれば当然のことだが、橋下徹以前に山積していた問題を、彼がその改革者としてのふるまいですべて一刀両断していけるわけではない。というか実際、橋下徹が府知事になって以降、大阪府の借金は増え続け、大胆なコストカットを行ったように見えた割りには状況の改善は一向に見えてこなかった。
橋下徹のスタイルでは着実に積み上げて改善していく必要があるような課題には立ち向かえない。そうなると必要になるのは新たな敵を作り、そこに戦いを挑んでその姿をメディアに露出させ続けていくことだ。橋下徹は自分にとって不都合な報道をしようとするメディアを新たな標的に選ぶようになっていく。
2011年になって自身のTwitterアカウントが開設されると、都構想に対する自分のコメントがカットされたとしてニュース番組を名指しで批判するツイートを連投。その結果、番組司会者を謝罪に追い込む。過激で辛辣な内容を投稿すればするほどTwitterアカウントのフォロワーは増え、それに煽られた賛同者が増えていく。
知事就任当初から「僕は権力者であり、その権力をチェックするのがマスメディアの役割」とたびたび口にしてきた橋下。しかし実際には、自分の言いたいことを一方的に話し、思った通りに伝えられなければキレる、ということを繰り返していた。自分の主張を好きな時に好きなだけ、編集されることもなく発信できるツイッターは新たに手に入れた強力な武器だった。そして、メディアにとっては橋下の考えを知るための“取材源”であるとともに、大きな脅威ともなった。少しでも気に入らない報道をすれば、すぐに罵倒され、さらしあげられる、と。
もちろんTwitter以外でも橋下徹は気に入らない報道を糾弾していく姿勢を強めていく。なんせしゃべりは達者だから、相手を言いくるめたり、自分の物言いを正しく見せるテクニックには長けている。以下は朝日放送のニュース番組に出演していた中島岳志氏の談。
橋下さんはまず最初に「だから現場を知らない学者はだめなんですよ」と言うんですね。「だったら対案を出してみてくださいよ」と。「えっ?」と思いながらも、僕がそれなりの対案を話すと、また笑いながら「だから学者はだめなんです。政治と行政の区別がついてないんですよ」と言う。「政治家というのは方向性を決める。具体的な案は行政がやることであって、そんな区別もできないコメンテーターはバカだ」というわけです。これはロジックじゃなくて、単なるレトリックなんですね。
このような詭弁とも言える話術をフル活用して、メディアの言論を思うように統制していく。私も討論形式のテレビ番組でそのような場面を何度も見た。
とにかく敵を作り、相手を話術とハッタリで負かす(あるいは負かしたかのように見せかける)。それを見ていると視聴者は「橋下さんはさすがだ。バッサリ切っていくわぁー」と思ってしまう。そうやって増長していった橋下が目標として掲げたのが都構想だった。
「大阪都構想が実現しないと大阪はダメになる」と、それこそ「合法的に脅し」ながら、「実在しない利益」を強調する
と、効果がはっきりせず、制度の変更にかかる費用だけは確実に莫大な「都構想」へと突き進んでいった。「二重行政を、大阪市をぶっ壊そう!」と、大きな敵を勝手にでっちあげ、そのハードルさえなければ大阪が成長していくかのように見せる。その仕掛けでまた熱気を生んでいく。
しかし、前述の通り2015年の投票結果は反対票が僅差で上回った。橋下徹は結果的に政界を引退したものの、大阪維新の会の人気は衰えず、その意思を引き継ぐ松井一郎、吉村洋文の2人が2019年のダブル選に圧勝して現体制ができあがり、かすかな残り火だった都構想への執念が再び形を取り戻した。
コロナ以降の対応が評価されて知名度を上げたかのように見える吉村洋文と松井一郎だが、よく見ていけば大した成果は上がっていないし、それどころか失策の方が目立つ。世情を煽るだけ煽って結果的に恥をさらしたイソジン騒動や、蓄えをおろそかにしたせいで枯渇した防護服のかわりに雨ガッパを一般から募り、最終的にほとんど無駄にした件など、とにかくハッタリかまして派手なアクションで衆目を引き付けて「なんかすごい!なんか頑張ってる感」を演出する橋下イズムの完全な後継者という感じだ。
彼らが今改めてやろうとしている「大阪市廃止・特別区設置住民投票」も、橋下時代と同じ、それをやればすべてうまく行きます式の実態のないただの派手な破壊アクションなのだと私は思う。
もう投票日まで時間があまりないが、とにかく本書、『誰が「橋下徹」をつくったか―大阪都構想とメディアの迷走』を読めるところまででも読んで欲しい。2000年代初頭の小泉政権から少しずつ加速していった新自由主義的な空気が今につながり、いよいよ危ないところに差しかかっていることが感じられると思う。
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
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