清田隆之『さよなら、俺たち』を読むまでにかなり時間がかかった。同書は、私の『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』という本の出版元であるスタンド・ブックスから2020年7月に出版されたものだ。スタンド・ブックスは小規模な出版社で、小規模ゆえに一冊一冊の本をじっくり丁寧に作っている。私の本を作ってくれるぐらいだから懐も深い。編集者の森山さんは今の世の中に必要とされていると感じた本を、愛を込めて、マフラーやセーターをその受け取り手を思いながら手で編んでいくみたいに送り出していく。それを知っているから、この『さよなら、俺たち』がきっと魅力的な本であるということはわかっていた。
植本一子さん、花田菜々子さんが帯にコメントを寄せていて、植本さんの「胸糞が悪くなってくる、それでも読まなければならない。お互いを理解したいから。」、花田さんの「自らのダサくてイタい過去をさらしてまでフェミニズムを前に進める清田さん、超絶信頼してます!」というどちらの言葉を目にしても、「これは絶対に読まなきゃいけない本だ!」という感がグイグイ胸に迫ってくる。
しかしそれでも読むまでに時間がかかった。清田さんの文章はすごく平明で読みやすいから、読み始めるとどんどん進んでいけるのだが、そのような意味とは別で、そこに書かれていることが、男性という性別を生きる自分にとっては気合を入れてのぞまないと向き合えないようなことばかりなのである。
清田さんは男性として生きてきた人で、性差に無頓着だった過去の自分のこと、男性であることにあぐらをかいて、女性に対して知らず知らずのうちにマッチョにふるまってしまっていた思い出などなどについて、そこから目をそらさず真摯に向き合っていく。固定的な性別観を持っていた自分を顧みて、それを乗り越えようとしている。
だからこの本を読んだ男性は、自分の中にも清田さんが書いているのと似た部分がいくつもあるのを自覚し、乗り越えていくことを迫られる。清田さんの書き方はすごく優しくて穏やかだから「迫られる」という感じではないのだけど、この本を読んだら絶対にみんな大きなハードルに直面させられると思う。読んでいると、自分の中にどうしようもなくあり続ける男性的なものが明確になってきて私は何度もため息をついた。
たとえば、私は両親の田舎である東北の山形が好きで、なにかにつけ山形のことばかり思い返す。盆や正月に帰省すれば、親戚たちが宴会して酒を飲み交わし、大人がみんな上気してルーズになって、小遣いをバンバンはずんでくれたりするノリが子どもの頃から好きだった。自分が大人になってからはその宴会に加わり、夕方から明け方まで飲み、横になり、また起きて飲んで、と、怠惰に過ごしたその時間が自分の中の幸せのベースみたいになっている。
『さよなら、俺たち』の第4章に収められた“「子どもを産まなかったほうが問題」は失言ではない。現政権の本音だ”と題された文章には清田さんが正月に妹夫婦の家に行って過ごした時のことが書かれている。そこでは男性たちが酒を飲み、女性たちが厨房に立ったり子どもの世話をしたりするという役割が、誰が割り振ったわけでもないのに自然に生まれていて、清田さんはそこで男性としてお酒を飲みつつ、違和感を感じている。
私の幸せな時間のイメージになっている山形の親戚たちとの宴会も、同じように、男たちが酒を飲み、いつも女性たちが厨房にいる。それを子どもの頃から見てきた私は、大きな違和感も持たずに男性として存在している。なぜそれを自分は当たり前のように思ってしまっていたのだろうか。「親戚の宴会にも性差が思いっきり現れているのに、自分は全然そのことに思いが至らなくて」と、女友達にその話をしたら「はあ?今さらそんなこと言ってるの?どれだけ鈍感なの」と呆れられた。
と、自分の無自覚さをとことん思い知らされるのがこの本だ。読んでいて辛い。しかし向き合わないといけないことばかりだ。
あとそう、自分は性欲というものをどうしていいかわからない。それがずっと大きな課題だ。芸能人なんかでも、性欲のコントロールの失敗で一気に姿を消してしまったりして、そういうニュースを横目で見ていても性欲との付き合い方ってなんて難しいんだろうかと思う。
第5章に収められた“女性の恋愛経験を聞きまくった結果、過剰に抑圧されるようになった私の性欲”と題された文章の中で、清田さんは性欲を「様々な感情や欲望が入り混じっている」ものとして分析している。「様々な感情や欲望」として、以下の要素が挙げられている。
・身体に触れたい
・受け入れてもらいたい
・許されたい
・さみしい気持ちをどうにかしたい
・射精したい
・エロい気分になりたい
・相手を思い通りにしたい
・相手に思い通りにされたい
・今まで見たことのない顔を見てみたい
・相手と一体になりたい
なるほど確かに、ひと言で「性欲」といっても、こういったものがその時々でバランスを変え、あるものが強く出たり、引っ込んだりして、たとえば「射精したい」みたいな身体的な欲求だけであれば解決が簡単に見えても、実はそれだけでは満たされない大きなものが裏に隠れていたりする。だから難しい。
こんな難しさにどうやって立ち向かっていけばいいのか、途方に暮れる。しかも男性であるということが自ずと持っている加害性があって、自分が異性と対等に接しているつもりでも相手に対して暴力的な態度で接しているかもしれない。同意があってセックスするとしたって、肉体的に負うリスクが大きいのは女性の側だろう。なんというかもう、そもそも、体の構造からして男性は暴力性から逃れられないんじゃないかという気すらし始めて、どうしていいかわからなくなってくる。
「性欲 コントロール」みたいなワードで色々検索していたら、あるサイトで、「人間というのは結局のところ糞尿が詰まった袋に過ぎない」と、「だからそんな相手に欲情することはバカバカしいことなのだと考えましょう」みたいなことがアドバイスとして書いてあった。もちろん自分も糞尿の詰まった袋なのだ。そう考えたら、そんな生き物が誰かに触れたいと思うことも触れられたいと思うこともすべてバカバカしい。そう思えたらいいのかもしれない。
でも、そんな話をしていたら、友人が「なんかそういう解決策を選んじゃいけない気がする!」と言い、すっかり糞尿として生きることにしようと思っていた私はまた途方に暮れた。確かにな……自分が徹底的にみじめで情けなく醜悪であると意識し続けて生きるというのも、なんだかそれはそれで自分への暴力だという気がしてくる。
だから、逃げちゃいけないのだ。清田さんの姿勢のように情けない自分をちゃんと認め、その上で乗り越えようとしていくしかないのだ。それは辛く長い道のりで、身を切るような痛みを伴うこともあるだろうけど、もうこの本を読んでしまったら、がんばるしかない。
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
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