最近ずっと“圧”のことについて考えている。圧力の圧。
自分はいつからか、「高校生がいきなり殺し合わなきゃいけなくなってそれぞれがどう振る舞うか」とか、「死んだ人が一週間だけ生き返ってかけがえのない7日間をどう生きるか」とか、そういう物語がすべて好きではなくなった。
そういうものは、作者が登場人物たちにグッと強い圧をかけて、その状況に置かれた人物たちがどんな風に動揺するか、諦めて受け入れたり、もしくは逆境をばねに奮起するか、とかそういうのを観察してるだけみたいに思えてきた。コロシアムの中心で感情が爆発するところを見たがっているような。
いや、そういうものを面白い思う気持ちは自分の中に思いっきりあって、たとえばスポーツはそれに近い気がする。ルールを作り、勝ち負けを作るからこそ、選手がそこで見せるプレイが輝く。「あんな状況で、こんな風に考えて、そんな風にできるなんて……」と鳥肌が立つ。チームスポーツじゃなく個人技でも、大観衆の前で、視線の圧が本人に普段の力を越えた何かを与え、前人未到の記録が生まれる……みたいなものを見るとすぐ心がビリビリ震えて私は泣いてしまう。高層ビルとビルの間に渡されたロープの上での踊りを見ているような、一瞬の奇跡、というような。
だいたい自分は圧にめちゃくちゃ弱く、5、6人ぐらいの飲み会で発言するというだけでも並々ならぬ緊張を感じる。だから、観衆の視線の中で、とんでもない圧の中で何かを成し遂げる人の気持ちはもう、想像が遠く及ばない。しかしあれか、今は無観客で行われるものが多いからそこら辺どうなんだろう。無観客の相撲をテレビで見てみたら不思議だった。ギリシャからオリンピックの聖火が運ばれてくるセレモニーも観客がほぼいない状態で行われているのを中継で見て、無観客だと神に捧げている感じが観客有りの時より強まるのが新鮮だった。それはそうと……。
そう、圧が怖い。圧をグッとかけたらそこにいる人たちが本能的、感情的に振る舞うようになって、それで性格の悪さがむき出しになる人もいれば、誰もできないようなことをパッとやれてしまう人もいて、失敗したやつにはブーイングを、成功を遂げた人には熱狂的な賞賛を、という、それをスポーツだけでなく、世の中に広く応用して楽しんでいることが私たちの生きづらさのそもそもの根源なのではないかとさえ思う。お笑いやアイドルにもそういうものを感じることが増えてきた。
香山哲さんは、私がお手伝いをしている大阪のミニコミ専門書店「シカク」の古くからのなじみで、というか、香山さんの考えや活動がきっかけになってシカクが生まれたのだと代表のたけしげさんが言っていたから、大事な人だ。シカクには香山さんの著作が、売り切れ時以外は途切れることなく販売されているし、私もご本人と何度もお店やそれ以外の場所で会ってお話しをさせていただいたことがある。香山さんを前にするといつもしどろもどろになってしまうのだが、それは前述の“圧”のせいではなく、自分の言葉がどうも全部軽々しく思えて恥ずかしいからっぽい。
とにかく、香山さんの作品やTwitterやブログで書いていることを読んでは、考えの凝りがほぐされるような気がしていつもずっと気にしている。「ベルリンうわの空」は、コミックアプリで連載されているのを知りながら、私のスマホがポンコツなためにリアルタイムで読めず、だからコミック版が出ると聞いてようやく読める!と嬉しかった。
現在ドイツのベリルンに住んでいる香山さんが、ベルリンの生活からアイデアを得て描くマンガがどんなものなのか、絶対にそれが面白いことはわかっているけど、ようやく確かめられる。
ベルリンから遠く離れた大阪の、JR大阪駅直結の「ノースゲートビルディング」の11階にある「風の広場」という、コンビニがあってベンチやテーブルもあって、いくらでもフリーにダラダラ過ごせる場所で発泡酒を飲みながら読んだ。サラッと書いてある吹き出しの中の言葉に、「自分が言いたくて言葉にできないでいたものはこれだ!」と感激し、ポンコツスマホのカメラでバシャバシャ撮っていった。
22ページ。電車に乗ってきてアコーディオンを演奏する人が現れ、演奏終了後に乗客に投げ銭を募る。主人公は「今日は僕、なんとなく体調もいいし、十円入れようっと」と言う。体調がいいから寄付をする、自分がいい状態なので他人にその良さを伝播させる。寄付の額もその時々の気分でいい、もちろん反対に体調が悪ければ「今日はごめん」とスルーしてもいい、という感覚。
26ページ。ベルリンには広い公園が多くあり、それが人々に自由に使われている。ずっと昔からあった公園的なもの(森や川、教会など)について、主人公は「『目先のビジネスや勢いでは壊せない空間』って感じが人間を冷静にさせるのかも」と考える。「人間は間違いを起こすし、正しさも時代ですぐ変わる」と言う。ずっと続いてきた歴史の流れの中に自分は今たまたまいるだけで、自分がいなくなった後、同じ場所を使う新しい誰かがいる、という感覚に安心する。
54ページ。「ベルリンはあんまり〇〇人の地区みたいな傾向がなくて、かなり混ざりあっている印象がある」から、食料品店で売られているものも様々な文化を背景にしていて雑多で、「そのカオスさも、僕は心地いい」と主人公が言い、「初めて買った果物の味がちょっと苦手でも世界がすこし身近になっていく気もして嬉しいです」と、謎のフルーツをかじっている。
香山さんにとって、自分の味覚にあわない果物を食べたことはミスではなく、世界をよりよく知るための過程なのだ。だからそれは全然嫌な経験ではなく、「あの店マズかったわ。二度と行かない」と吐き捨てるように言って自分の地図をガシガシ狭めていくような態度からとても遠い。知ることはすべて、世界のありようについて理解したり、同時に自分ができることとか、自分に向いてないこと、好きなこと嫌いなことなどを深く考える材料になる。
このマンガはベルリンのことを描いたマンガでもあるけど、ベルリンの土地とそこで生きる人に対して香山さんがどのように接しているかという姿勢について描かれたマンガで、だから、どこにいて読んでいても面白い。平民金子さんの『ごろごろ、神戸。』が、神戸の本でありながら、神戸にあまり縁がない人が読んでもきっと面白いはずなのと同じで、舞台がどこであろうと、主人公、著者の視点や振る舞いがもうそれ単体で面白い。
いや、もちろん、舞台がベルリンだからこそ生まれたマンガなのだと思うけど、地域の枠に限定されないものだと思う。また、「ベルリン最高!」と伝えたいというマンガでもなく、差別もあるし、格差もあるし、町のいたるところに強制収容所に連行されていった人がかつて居住していた場所であることを示すプレートが埋められていたりもする部分も描かれている。
あとがきで香山さんは「自分も、自分がやる生活も、それをとりまく環境も、すべてがいつも不安定で得体のしれないものだ」と書いている。「いい町だな」と感じるのは、変わっていく時代と、変わっていく自分の体や内面などの要素がちょうど今カチッといい感じにマッチしているだけなのかもしれない。
社会も自分との関係性は流動的で、流動的だから面白いし、流動的だから不安でもある。で、流動的ということは、強者と弱者がいつだって入れ替わったり今のバランスとは別になったりするかもしれないということで、だからやっぱり、いつでも社会は可能な限り弱者に優しい場になってなきゃいけない。この本を読むと、そういう世界に近づけそうな気がしてくる。そしてその世界はコロシアムの中心のような“圧”と別の方にありそうな気がしている。
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
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