小野和子さんという、1934年生まれとプロフィールに書いてあるから今年86歳になられる方が書いた『あいたくてききたくて旅にでる』という本が衝撃的過ぎて、私はこれを好きになってくれそうな知人にスパムメールかのような勢いで「買ってみて!読んでみて!」とすすめ、そしてこの本の出版記念イベントとして仙台で開催されるという著者の講演会にも行くことして、飛行機のチケットを予約した。
しかし、猛威をふるって世界中を脅かしている新型コロナウイルスへの警戒からイベントは中止となり、私は、もしいつか小野和子さんに会える機会があるならその時にまた飛んででも行かねばならないと思っている。
小野和子さんは岐阜県生まれで宮城県在住の「民話採訪者」で、1969年から東北を歩き回って民話を聞き集めてきた方である。その小野和子さんが80歳になった記念にと、これまで自分が民話を聞いて歩いてきた経験や思いを書き綴った本を40冊だけ作ったそうだ。ホチキスでとじた手作りのもので、小野和子さんの親しい人に、長い手紙のように贈られたものだったという。
その本を受け取った一人が、「PUMPQUAKES」というプロジェクトチームのメンバーである清水チナツさんという人で、それを読み「この本はもっとたくさんの人たちに届けられるべきものだと思うようになった」と、改めて広く出版することを考えた。その申し出に対して小野和子さんはもともとの手製本の内容にさらに大幅に文章を書き加え、そうしてできあがったのが『あいたくてききたくて旅にでる』で、この本は2019年の12月に出版されたばかりのものである。
小野さんは東北の村々を歩き回りながら、「幼い頃に聞いて憶えている昔話があったら、聞かせてくださいませんか」とたずね歩く。研究者として居丈高に「調査」するのでも、民話コレクターとして「収集」するのでもなく、語り手に会いに行く。小野さんは自分の活動を民話の「採集」ではなく「採訪」と呼んでいる。
だから例えば、昔話を聞かせてくれと小野さんに言われて「テレビがきてから、昔話はぶん投げてしめぇすた」と、そんなものはもう忘れてしまったよと語るおばあさんに会うことも決して無駄ではなく、それも小野さんにとっては「採訪」なのだろう。
民話を集めて何かにしたいとかっていうことが先にあるのではなく、東北の村に生きる人たちの言葉に触れ、その人の過ごしてきた時間や、さらにその人が生まれる前の時間とか、あと逆に、いま目の前にいる語り手も聞き手の小野さんもみんないなくなった後に流れる未来の時間まで感じたくて、小野さんは歩き回っているように見える。
だから、小野さんが聞きたいと思っている話は決して代々伝えられてきたいわゆる「昔話」然としたものである必要はなくて、個人が体験した不思議な体験だったり、どうしても忘れられなくて心の中に残り続けているちょっとした記憶であってもいい。人が過去について語るということは、もうそれだけで時間を越えようとする行為なんじゃないか。過去なんて、さっき食べた昼ごはんのことすら曖昧になっていく、刻一刻と輪郭が変わっていってしまうものなのに、それでも憶えていて、語ることが私たちはある。
そこで語られることは、例えば、さっき私がカップラーメンを食べようとしたらちょうど食べる直前に電話がかかってきてそのうちに麺がすっかり伸びてしまって、ようやく後になって食べながら「もっと本当は美味しかったんだろう」と思ったら泣けてきた、ということがあったとして、その事実を思い出しながら語ったとしても、実際に起きたこととぴったり同じということはあり得なくて、事実もどんどん自分の中で変わっていく。これから何度も同じ話をしていくとしたら、そのたびに少しずつ語り方は変わっていくかもしれない。まるで伝言ゲームみたいに、スタート地点とはまったく意味合いの違う話に、いつしかなっているかもしれない。
それが語るということで、その曖昧でどんどん変わっていく語りこそが、その人が生きた時間の証なのだ。証というようなものでもない、小野さんはその人の体の中で時間をかけて磨かれていったり、時に曖昧になって元とはすっかり別のものになった話が、ただただ、大好きなんだろうと思う。
私は山形の親戚たちが好きで、その人たちが酒を飲みながらしゃべっているのを聞いているのがいつもたまらなく楽しい。
それは別にテレビの「すべらない話」みたいなよくできた話である必要はなくて、むしろそうじゃないから好きなのかもしれない。原付の後ろに子どもを乗せて走っていたら、カーブで子どもが落っこちて、その瞬間、後ろを振り返ったら本当にスローモーションのように綺麗にゆっくりと、何の抵抗もせずに落ちていくのが見えた、ちなみにその子どもは無傷で、というかそれは私なのだが、親戚はその場面を何度も何度も語る。もう何回も聞いたその話が、しかし私は大好きで、聞くたびに本当にそんなことがあったのか確かめようもない場面の映像が、頭の中に再生されるのが不思議で仕方ない。
山の中でバッグに詰まった大量のお金を見つけた話、首つり死体を見た話、トイレで見たとんでもなくでかい人糞の話。誰かの頭の中にあったことが、改めて語られ、それを聞く人がいたら、それがたとえどんな話であっても、もうそれは民話なのかもしれない。そう思うと、取るに足らないように思える話がどれも宝のように見え始める。
話から何かを得なくていい。ノウハウやライフハックなんか何もいらない。ただただ、生きた話。それが聞きたい。小野和子さんの言葉が、そう思わせてくれる。
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
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