読んでは忘れて

第11回 平民金子『ごろごろ、神戸。』/古賀及子『雨のついた網戸に消しゴム投げてみ』

『ごろごろ、神戸。』平民金子という名で、文章を書く人がいる。平民金子さんは数年前から神戸に住んでいて、そこで子育てをしながら、ベビーカーを押しながら歩いた神戸のあちこちのことや、目の前の風景から引きずり出された過去の思い出、普段食べているメシのことなどを神戸市の広報ページに連載していた。その連載の文章を加筆修正したものをベースにしつつ、その前段となる「SUUMOタウン」へ寄せた文章や、各コラムについての注釈的な意味合いを持ちつつ、それはそれとして面白い「B面」という文章なども全部集めてまとめたのが『ごろごろ、神戸。』という本で、それが2019年の12月に出た。

私は平民金子さんと数回、どれもそれほど長い時間ではないけど会ったことがある。平民金子さんは、飲み屋で会っても「おう!最近どうっすか!こっちは相変わらずっすわ、とにかくまあ飲みましょう!」みたいな感じでは全然なく、うわべだけの意味のないやり取りをするぐらいだったら黙るか、もしくはいっそのことこれ以上ないぐらいどうでもいい話をする方がマシだと考えているように見えた。

私はうわべだけの人間でありながら、それが恥ずかしいとも思っている中途半端な者なので、とにかく静かにしている。

そんな二人で、大阪のミニコミ専門書店シカクで新刊発売記念のトークイベントに出ることになった。「どうしよう、そもそも平民金子さんはこのイベント自体、気が進んでないんじゃないか」と不安に思っていたのだが、平民金子さんも平民金子さんで「これはこのままだと何の盛り上がりもない会になるかも」と、ちょっと不安に思っていたのではないか。

ある時からTwitter上で、「スズキナオというのは平民金子の変名で、同一人物の本がちょうど同じタイミングで出ることになってしまって、なんだか混乱させてしまってすみませんね」という、主旨としてはそんなことを言い出して、私はそれがとても嬉しかった。

平民金子さんの文章はゴツゴツっとしていて強度があって、小さな言葉でしか拾い上げられないことをしっかりと書き残していく繊細さ、しなやかさもあって、私にはこんな文章が書けないといつも思わされる。その相手が同一人物説を唱えている以上、同一人物と思われても嫌じゃないってことなんだから、これはありがたい。

と、思っていたら、その後、平民金子さんのツイートは絶妙に紛らわしい感じにどんどんなっていき、多くの人が「スズキナオっていう人、平民金子さんだったんだ!」とTwitterに書いているのを見かけ、私は少しずつ申し訳ない気持ちになっていった。私が自分の本に署名をしに書店に行った時、店員さんに「平民金子さんだったこと、今まで知りませんでしたよー!」と言われたこともあったし、別のトークイベントでご一緒した人に「ナオさんがいくつもの人格を持っていることが正直、少し怖くて……」と怯えられたこともある。

だが、そんなことも(たぶん誰にも大した迷惑はかけてないだろうし)全部うれしい思い出だ。ほんの少しでも、平民金子さんと私が同じ人であると誰かに勘違いされた時間がこの星に存在したというのがうれしい。

『ごろごろ、神戸。』という本は、平民金子さんというちょっと得体の知れない人が、子育てしながら、神戸で暮らす日々について書いたものという風に、概要をまとめるとするなら、そうなる。だから、神戸に縁がない人にとっては関係のない本に見えることがあるかもしれない。

が、そうではない。平民金子さんが書く神戸は、誰の住むどこの場所ともつながっている。そりゃもちろん、地理的な違いとか、町の規模、雰囲気、歴史、そういうものは神戸と別の場所とではことごとく違うかもしれないけど、そうじゃなくて、ここに書かれているのは、自分のいる場所をどんな風に好きになっていくかというやり方のことだ。だから、どこの町にいても読む意味がある。

「読んでは忘れて」第11回

全体で447ページある本のうち、442ページめのところに「はじまりの場所」という題の文章があり、平民金子さんが自転車の後ろにお子さんを乗せて走っていると、後ろから声がする。虫歯をなおしてくれる「やさしい虫歯」がいる話、「靴下がふわふわやからスケートになってすべるで」っていう話などを聞かせてくれる。それを聞いた平民金子さんは「いつまでも聞いていたい。そんな風に思ったのは、私自身が子供の頃に布団の中で祖母の昔話を聞いていたとき以来か」と思う。

その部分を読んでいて、私にも子どもがいるのだが、子どもの言葉がまるで自分よりずっと前に生まれた人の言葉のように響くという感覚を思い出した。

ある時、結構前のことなのだが、子どもを晴れた日曜の公園で遊ばせていた時、体のバランスを確かめながら、掴みそこないながら、転んでは立ち上がって走っている姿を少し離れた場所から見ているうちに、ふと、「私もかつてこのような視線で見られていた」ということが稲妻が落ちるように実感されたことがあった。

子どもの姿を見ることは、幼い自分を見ていた誰かがいた、ということを知ることでもあって、だから、自分の前方にいる子どもと、後方からの視野の中の自分像とを同時に見ているような不思議な時間感覚の中にいることになる。子どもの話を聞いていて、祖母のしてくれた話を思い出すのも、そういうことなのだろう。

平民金子さんとのトークイベントが無事終わった翌日、東京で古賀及子さんとお話しさせていただくイベントがあった。

古賀及子さんは「デイリーポータルZ」という老舗面白コラムサイトの昔からのライターで、かつ、たまにそこに書かせてもらう私の担当をしてくれている編集者でもある。

私はずっと古賀及子さんの文章が好きで、会社勤めをしていた数年前まで、仕事の合間にいつも古賀さんのブログを読んではひれ伏すような気持ちになっていた。

古賀さんは今、「まばたきをする体」というブログで毎日日記を書いていて、それをまとめた本である『雨のついた網戸に消しゴムなげてみ』を通販で売っている。

『雨のついた網戸に消しゴム投げてみ』二人のお子さんと暮らす家のこと、仕事のこと、たまに友達と酒を飲んだり、そういう日々のことが綴られている。こんな部分がある。

「娘が、学校の授業で近隣の街の様子を写真に撮ったらしくプリントしたものを見せてくれた。
ああ、低いんだな、と思った。レンズの位置が低い。
背がまだちゃんと低いんだな。」

この文章では古賀さんのお子さんがレンズをのぞいて写した世界があり、それをできあがった写真越しに見ている古賀さんの視点が重なって、やはりここにも時間のひとっ飛び感覚があるように思う。

本自体の題にもなっている「雨のついた網戸に消しゴムなげてみ」というタイトルの日記では、古賀さんが仕事を終えて帰宅し、日中に降っていた雨がやんでいて、窓を開ける。すると息子が「お母さんみて!」と言う。

そっちを見ると、息子は雨のついた網戸に消しゴムを投げている。そうすると「ブン」という音とともに網戸の雨がいっせいにはじけ飛んで落ちるのだ。「おお、なにこれおもしろい。おもしろいね。うんおもしろい。お母さんもやってみなよというので私も消しゴムを投げた。ブン!おもしれー!」と書いている。

私は網戸に消しゴムを投げたことがないが、ブン!という音とともにキラキラとはじける雨粒の映像が、スローモーションで目に浮かぶような気がする。

自分より後に生まれた人が見つけたものによって、自分の生きてきた世界が肯定される。

その不思議な感覚と喜びが私にはとうてい追いつけない言葉で書かれた2冊だった。

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スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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