読んでは忘れて
山内マリコ『アズミ・ハルコは行方不明』

第3回 山内マリコ『アズミ・ハルコは行方不明』

山内マリコ『アズミ・ハルコは行方不明』山内マリコの小説を初めて読んだのは半年ぐらい前だ。『ここは退屈迎えに来て』という小説が映画化されて神戸の映画館で上映されているというのを見かけて、なんとなくそのタイトルが引っかかって後日読んでみた。

それがとてもよかった。閉塞感がある地方都市が舞台で、国道沿いに大型のチェーン店ばかりが立ち並ぶような街並みの中で、東京に一度は出たものの仕事や人間関係に疲れたりしてやっぱり戻ってきて、退屈を感じつつもとりあえず日々生きていくしかないし、その中でどうにか楽しみを探そうとしては「あーあ」と力が抜けるような気持ちを味わって、でもそのぬるい温度の中に居心地のよさを感じることもあって、という、こんな感覚が繊細に描かれている小説は読んだことがなかった。

自分は大阪に住んでいて、でも実家は東京にあって、そっちに家族や友達もいるからよく行く。新幹線の「こだま」に乗ると4時間かかるけど片道1万円で行ける。静岡あたりでめちゃくちゃ停車するが、それでも深夜バスに比べたら何倍も居心地がいい。途中の大きな駅を除けば、車窓から見える風景はどこもまさに地方都市という感じだ。平らに広がった土地に真っ直ぐ延びた道を軽自動車が行く。遠くにサイゼリヤの看板が見えて、今あそこでどんな人が食事しているのかと思う。東京にいて、それから大阪に引っ越してきて、どちらも大きな都市だから私は「地方都市の退屈」に本気で打ちのめされた経験はないかもしれない。でも山内マリコの小説を読んだら「このどこにも行きようのない感じはすごく分かる」と感じる。

それに対して「本気の退屈味わったことないくせに!」と怒られたら返す言葉はないのだが、両親が山形出身で幼少の頃から頻繁に山形に帰省する機会があって、そこで暮らす歳の近いいとこたちと一緒に遊んだりしゃべったり、そういう中で感じたことが響き合うのかもしれない。本当に死ぬほど退屈だったらそこから飛び出したくなるのかもしれないけど、好きな場所もあって、好きな人もいるにはいて、ぬるく、心地よく抱かれているような感じを、特に思春期の頃に山形に行くといつも感じた。

「読んでは忘れて」第3回

山内マリコの小説をそれから何冊か読んで、退屈さや閉塞感がいつも大きなテーマになっているように思えた。2013年に出版された『アズミ・ハルコは行方不明』も、舞台はどこかの地方都市で、登場人物たちはみんな日常に飽き飽きしているように見える。

登場人物の一人である木南愛菜は元キャバ嬢で、成人式で再会した富樫ユキオと色々あって交際するようになり、だけどそのユキオには都合の良い相手としか思われていなくて、いつもどこか物足りないような日々を送っている。ユキオはヒップホップ畑のバイト先の先輩にバンクシーが監督した映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』をすすめられて、ヒップホップにはのめり込めなかったけど、その映画だけは一度見て気に入っていて、そのDVDを木南愛菜に新星堂で買ってもらう。

新星堂のレジには木南愛菜と富樫ユキオと同級生で学生時代は目立たぬ存在だった三橋学が立っていて、それをきっかけに三人は連絡を取り合う仲になる。ユキオから『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』を借りて見た三橋学は衝撃を受け、めちゃくちゃ盛り上がった勢いで車を出し、ホームセンターでスプレー缶を買って早速ユキオと一緒に落書きをしに行くのだが、とりあえず「FUCK」、「SEX」と描いてみて、全然バンクシーみたいにならないことにちょっとがっかりしつつ、次はもう少しアートっぽいものを、と考える。そこで、ちょうど町の交番に張り出されていた「尋ね人」のチラシを題材にすることを思い立ち、掲出されていた「アズミハルコ」の顔写真をステンシルにして町の至るところに描いてまわるようになる。

その活動は少しだけ2ちゃんみたいな掲示板で騒がれたりメディアに取り上げられたりして、ユキオと学の自己顕示欲を満足させることになる。最終的にはインチキでスカスカなアートフェスにその作品が大々的にフィーチャーされることになって、でも結果的には全然人が入らなくて会場は閑散として、「あーあ」という結末を迎えることになる。

ユキオと学の「バンクシーごっこ」は結局自分たちの暮らしをどこか別のところに運んでくれることなく終わる。そのユキオにすげなく捨てられる木南愛菜もなんでいつも自分の恋愛はうまくかないのか、と嘆く。小説の中盤、ステンシルに描かれた尋ね人のアズミハルコの物語も描かれるのだが、ここが一番読んでいて辛くて、アズミハルコはどこがいいのかまったく分からない男性に簡単に心を許し、結果裏切られる上、やっと見つけた就職先では時代錯誤のセクハラ上司に「彼氏はいるのか」「早く結婚しないと」みたいなしょうもないことを言われ続ける日々で、でもそれを聞き流しながら勤めている。で、そんなある日、ふいに蒸発してしまう。

物語の最後には、退屈な毎日やどこにも行けない閉塞感や、地元の男たちが自分を見る目のゲスさなどなどに傷ついた女性たちが一緒に暮らそうと決意する場面があり、一応救いがあるようにして終わる。また、物語と並行して描かれるけど最後まで正体のわからない「女子高生ギャング」という一団の存在があり、その集団が出会い系サイトを使って間抜けな男を呼び出してはボコボコにして財布を奪うという行為を繰り返していることも、作中に描かれている女性たちにとっては救いになっているようである。

だから大まかには、地方都市を覆っている紋切り型の価値観から出られない男たちは挫折し、その世界を切り開こうとする女性たちには救いが与えられる、という物語に見える。だけど、女性たちにとっての救いは「女子高生ギャング」という実態のつかめない都市伝説みたいな存在だったり、この先いつまで続くか心もとない勢いまかせの共同生活で、見るからに儚げなものでしかない。登場人物たちはもしかしたら数年後にはすっかりまた退屈な日々に戻り、それが当たり前かのように無表情に過ごしているかもしれない。そう思わせるものがある。

『ここは退屈迎えに来て』を読んだ時は、退屈な地方都市で生きていくしかない女性たちのしぶとさを感じて元気が出たけど、この『アズミ・ハルコは行方不明』はもっと閉塞感が強くて、登場人物もそれを受け入れ、諦めているところがあり、読んでいて気が重いんだけど、でもだからこそ自分の中の分かりやすい場所に着地せずに心に残りもする。

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スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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