阪神梅田本店1階の催事場・食祭テラスで2025年2月26日(水)から3月3日(月)にかけて開催される「あまみ群島ワンダートリップ 奄美大島・加計呂麻島・請島・与路島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島」との連動企画として、奄美群島にルーツを持ち、阪神間を拠点に様々な活動をしている方にお話を伺った。
私は20年近く前に一度だけ奄美大島に旅行をしたことがあるのだが、その時は宿の近くの海でひたすらのんびり過ごしただけで、島の文化にしっかりと触れたとは言い難い。つまり、奄美群島についてはほとんど何も知らないに等しい状態である。
今回お話を聞かせてくれたみなさんはそんな門外漢丸出しの私の質問に真摯に答えてくださった。そしてそれにより、奄美群島の島々のことを以前より少しは知ることができ、また、それらの島から関西に出てお仕事をされている方々ならではの思いを伝えていただくことができた。貴重なお話を聞き、できるだけ近いうちに奄美の島々に足を運んでみなくてはと思っている。
シリーズの第4回目として、阪神杭瀬駅から徒歩5分ほどの杭瀬中市場にある精肉店「田渕食品」の店主・田渕卓哉さんにお話を伺った。田渕食品は新鮮な牛肉やホルモンを販売しているほか、軒先の鉄板で炒めたホルモン焼きのテイクアウトも人気だ。奄美群島の加計呂麻島出身だという田渕さんに、今のお仕事を始めた経緯や島の思い出について聞かせていただいた。
――田渕さんのご出身を伺ってもいいでしょうか。
奄美の瀬戸内の方やな。瀬戸内町の中の、加計呂麻。
――加計呂麻島なんですね。
そう。加計呂麻の渡連(どれん)ゆうとこでな、そこで15歳まで。学校卒業して、集団就職でこっちに来て。

お忙しいお仕事の合間にお話を聞かせてくださった田渕卓哉さん
――15歳で関西に出てこられたんですか。
15の時に布施の方で、電気会社で、ネジを作って。それから何年かそこで仕事して、うまくいかんで、生野の方で渡り歩いたり、生駒の近くの若江岩田のプラスチック会社で一時は働いたりして、とにかく落ち着きがなかったんや(笑)。
――色々なお仕事をされてきたんですね。
そうそう。20歳過ぎまでに仕事を20回ぐらい変わっとるわな。免許を取って、トラックの運転手をしたりしてな、大型に乗ろうかと思ったけどあれは性に合わんかったな。夜の、長距離のな。そんなんしてたら、あまりに仕事辞めるから、兄嫁が杭瀬のこういう肉を売る店でアルバイトをしとったんよ。それで「お前はものにならんからここで働け」ゆうんで丁稚して、そこも4回ぐらい出たり入ったりしてな。

杭瀬中市場に店舗を構える精肉店「田渕食品」
――そういう縁でお肉屋さんの方にこられたと。
でもな、若いから気が短いし、そこの店の人もばーっと言うタイプやったから、また辞めて。まあ、辞めても、どこかで仕事だけはしよったんよ(笑)。とにかく仕事だけはな。
――場所は変わりながらも仕事はずっとされてきたわけですね。
そうそう。そしたらまた呼び戻されて、それが4回ぐらいあったな。そんで、そのうちにな、まあ変な話やけど、その店の息子さん、若旦那やな、俺ら丁稚にボロカス言うわけや。
――ああ、そうだったんですね。
それで独立して「自分でやったるわ」ってそこを辞めて、杭瀬の駅前にな、昔は飲み屋街があったんや。今でもあるけど、もっと賑やかやったんや。そこの入口で焼肉屋したんや。
――ご自分で焼肉店を始められたんですね。
ちょうどこれからそういう焼肉屋が流行るっていう頃やな。ただ俺の場合は資本がないから、出てきてすぐの人間やから。自分のいとこを雇ってやったけど、友だちばっかり来るからツケ倒れされたんや(笑)。
――みんながツケ払いをして。
そうそう。一年もたんかったんちゃうかな。ほんで今度は潮江の方に行って。まだ、キリンビールの工場があった頃やな。工場があるから人がよう通るんよ。そこで商売したい一心でやったけど、そこを通る人は工場に行くわけやから、お客さんにはならんわけや。そこで勘違いして、また何か月かやってだめになって。それで杭瀬に来たら、北市場ゆうてあんねん。ここよりもっと奥の方にな。そこに店を持ったんや。
――北市場の方にお店を。
そこのボンボンにバカにされたからな、意気込みがあったんや。それが角の店で、うまくいくようになった。そんで、一時は北市場にも店があったし、ここもあって、いくつも店があったんや。

田渕さんがかつてお店を出していたという杭瀬の北市場
――それは焼肉屋さんですか?
いや、肉を並べて売る店やな。
――今のような、精肉店ということですね。
そうそう。ここでもう55年ぐらいしてるわ。笑福亭鶴瓶とかな、色んな芸能人が来てねん。宮根(誠司)も来たんやけど、あの時、あまりパッとせえへん思て、宮根だけ写真ないわ。今のようになると思わんかったからな(笑)。

お店の壁には思い出の写真がたくさん貼られている
――北市場にお店を出したのはおいくつぐらいだったんですか?
22ぐらいやったかな。お店を5、6軒持っとった時もあったな。庄内や池田にもな。俺一人で頑張ったんやけど、頭が悪いさかい、勉強してないから、大きく伸ばしきらんかったんやな。
――それでもこの杭瀬のお店は続けてこられて。
そうそう。一時はここの市場もすごかったんやで。こんなもんじゃない。歩かれへんぐらいやった。40年ぐらいは前の話やけどな。

現在も杭瀬中市場には魚介類を売るお店や豆腐店などが軒を連ねる
――1980年代だから、景気のいい時だったんですね。
今はここも息子が経営しててな、俺は立ってるだけや(笑)。
(ホルモン炒めを買っていくお客さんに「美味しいで! うちのホルモンは天下一品やで」と田渕さんが言う)

軒先で炒めるホルモン焼きは「田渕食品」の人気の品
すまんすまん。
――お忙しいところ色々聞いてすみません。
いや、ええよ。
――加計呂麻島に15歳までおられて、今も帰ったりもしますか?
そうやな。何遍か帰ったな、この10年は帰ってないけどな。

「田渕食品」は創業から55年になるという
――加計呂麻島はどんな島ですか?
要するに、湾になってんねん。ほんで、ここがどこどこの集落、ここがどこどこの集落で、昔はそれぞれに何十人、何十人っておったけど、もう今は人も減ったな。学校のある集落だけは人がおるけどな。そこまで1里以上歩いて、わしら学校に行きよったんよ。
――集落から集落への行き来が大変だったんですか。
そうそう。自転車もなかったし。くねくねの道を登っていきよって、普通では考えられへん。
――海辺の方は岩肌のような感じですか?
というよりは、山道やな。遠回りしたら自転車で行ける道が一本だけあんねん。自転車があったらその方が近い。俺らは中学三年まで歩いて、1時間以上はかかったな、2里近くやな。
――それはなかなか大変ですね。
歩く間は山の神さんとケンカして歩いたな。春になったら花が咲くやろ、その花粉を石投げて飛ばして歩いて、そんなんして、まあ退屈しのぎに(笑)。
――山の神さんっていうのは、いわゆる神様っていうことですか?
そうそう。わーって声出したら聞こえるやん、やまびこもあるやん。子どもの時分ってそういう遊びしかないやん。
――山の神さんを相手にして遊んでいたというか。
うん。山を歩いてたら、色々変な匂いがしたな、化粧の匂いがしたり、奇妙な匂いがすんねん。不思議に思う時があったよ。意味がわからん。
――ああ、そういうちょっと何か不可思議な。
そうそう。わからへんけどな。目に見えないような。

昔から付き合いのある取引先から新鮮なお肉を仕入れているという
――島ではどんなものを食べていらっしゃいましたか?
俺らはな……俺が昭和21(1946)年生まれやから、食べるもんがなかったな。芋でも、なかなか大きくならんし。要するに、お金がある家は米が買えるやん。やから芋が大きくなるまで待てんねん。金がない家は芋を食べてしまうから、芋が大きくならんねん。小さいうちに食べてしまうから。学校行くとようわかんねん。この家は芋大きいな、こっちは小さいなとかな。
――お米は貴重だったんですね。
うん。高学年になったら、あの時分はメジロばっかり獲ってたな。今はあかんけどな。昔はメジロを飼うのが遊びやったんよ。メジロを呼び寄せて獲って、それを養って鳴くように育ててな。いいのを探すねん。猫にようやられたよ。自分の家に鳥かごを下げておくと、いつの間にか猫にやられたり、鴉にやられたりな。腹立ったで。そういう思い出あるよ。こんな話、なんでかついついしてしもうたな。不思議なことや(笑)。
――加計呂麻島の景色は自然豊かな感じですか?
そうそう。自然豊か。奄美大島の本島でみんな遊んで「いいとこや」って言うけど、本当にいいのは加計呂麻島やで。遊ぶところはないで? 魚釣ったり、泳いだりするのは加計呂麻が一番や。交通の便利は悪いけどな。名瀬ゆうところから古仁屋まで行って、古仁屋からフェリーがあるんやけど、時間がかかる。俺のいとこなんかそこで民宿してんねんけどな、意外と有名やで。
――ご兄弟は島にいらっしゃいますか?
4人兄弟やけど、今は3人が亡くなって俺一人や。
――みなさんに聞いているんですが、好きな島の言葉はありますか?
「ありげたさま」ゆう言葉かな。ちょっと言いにくいやろ。外国の言葉のようなもんや。
――奥様がお店に立たれている日もあると聞いたんですが、今日はいらっしゃらないですか?
今日は休みや。
――奥様とは島で出会われて?
いや、そういう話はええねん(笑)。
――すみません。奄美大島の方なんですよね?
そうそう。名瀬やな。
――お肉も色々ありますね。
コロナの時から、手を触れんように真空パックにして売ってんねん。その方が日持ちするからな。これがこれからの時代の生き方やと思うねん。何もかも高すぎるやんか。買い控えがすごいやろ。これから小売店はこうして工夫して日持ちするようにしたりせんといかんねん。今みたいに夏が暑くなると、鮮度が落ちるのも早いやん。そういうのを防ぐように色々考えてやってるな。
――ゆくゆくは息子さんがお店を継がれるんですか?
あいつは二刀流やねん。タクシー運転手もして、ここもしてんねん。俺は店番に来てるゆうだけで、ボランティアみたいなもんや(笑)。うちのホルモン焼き、よう売れんねん。正月なんかも売れるもん。さっき買っていった人はな、近所の食堂で焼きそばすんのに買ってった。お客さんからのご要望やねん。
――なるほど、お客さんが「焼きそばにホルモン入れてー」って頼むとここで買っていくという。
そうそう。このホルモン焼きはどこにも負けへんで。55年も続いてんねんからな。
――それは絶対に買わせていただきたいです。
うん。味見してみて。

お話を聞きながら食べさせてもらったホルモン焼き
――美味しい! ホルモンもだけど、タレも美味しいです! 歯ごたえもいいですね。ビールが欲しくなります。
タレもここで作っとるからな。全部自家製。このタレ、なんでも使えんねん。焼肉のタレでもいいし、もつ鍋にも使えるし、野菜炒めにも使える。生ダレで、炊いてないから栄養価もいいしな。美味しいで。甘めやな、辛くはない。

自家製のタレは別売りもしている
――ちなみにお父さんは焼酎なんかは飲まれるんですか?
いや、俺は飲まへん。
――そうなんですね。加計呂麻のみなさんはあまり……。
いや、飲むよ。俺は特別や(笑)。体に合わへんねん。
――なるほど。島に帰りたいと思う時はありますか?
思う時はあるけど、もう田舎に何もないねん。生まれて15年しかいかなかったからね。でも、その15年ゆうのは、何十年と同じよな。
――記憶にはすごく残っているんですね。
そうそう。そら、山ほど金があったら田舎でゆっくり暮らしたいわな(笑)。魚釣ったりな。釣り竿なんて、竹切って紐さえ持っていけばやな、釣れる。どうにでもなるからな。食べ物は(奄美大島の)名瀬とかああいうところの方があるかもしれんけど、離島の方が、田舎に来たなという感じはあるで。
――加計呂麻島にも行ってみないとな。奄美群島をめぐりたいです。今日は色々とお話を聞かせていただいてありがとうございました。タレとお肉を買っていこうかな。
これ美味しいで、黒毛和牛やから。特上バラ。とろけるで。軽く焼いたらいいわ。
――ではそれを買わせてもらって、家に帰って食べてみます!
帰宅後、真空パックに入った黒毛和牛の特上バラをフライパンで焼いて食べてみた。脂の旨味が深く、まさにとろけるような味わいだった。今度、他の部位も買いに行こうと思う。そしてその時はホルモン焼きも買って、ビールかチューハイを飲みながら食べてみたい。
「田渕食品」
https://x.com/tabuchisyokuhin
住所:兵庫県尼崎市杭瀬本町1-19-6
営業時間:10時~17時半
定休日:木曜日(月曜、火曜は不定休)

(X/tumblr)
1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
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