阪神梅田本店1階の催事場・食祭テラスで2025年2月26日(水)から3月3日(月)にかけて開催される「あまみ群島ワンダートリップ 奄美大島・加計呂麻島・請島・与路島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島」との連動企画として、奄美群島にルーツを持ち、阪神間を拠点に様々な活動をしている方にお話を伺った。
私は20年近く前に一度だけ奄美大島に旅行をしたことがあるのだが、その時は宿の近くの海でひたすらのんびり過ごしただけで、島の文化にしっかりと触れたとは言い難い。つまり、奄美群島についてはほとんど何も知らないに等しい状態である。
今回お話を聞かせてくれたみなさんはそんな門外漢丸出しの私の質問に真摯に答えてくださった。そしてそれにより、奄美群島の島々のことを以前より少しは知ることができ、また、それらの島から関西に出てお仕事をされている方々ならではの思いを伝えていただくことができた。貴重なお話を聞き、できるだけ近いうちに奄美の島々に足を運んでみなくてはと思っている。
シリーズの第1回目として、神戸市中央区・阪急春日野道駅近くにあるレストラン「南国キッチン次郎」の店主である森君枝さんにお話を聞いた。「南国キッチン次郎」は、奄美群島・沖永良部島の出身である森君枝さんが息子の森裕伸さんと切り盛りするお店である。ランチやディナーに沖永良部島の食材を使った郷土料理を味わえる上、島の黒糖焼酎も堪能することができる。私と同行の担当者・Yさんは平日の昼下がりにお店を訪れ、気づけば夜まで楽しく過ごしつつ、ゆったりとお話を伺ったのだった。
――このお店は何年ぐらい営業されているんでしょうか?
今の場所に来て17年目になります。ここに来るまで、震災で建物がダメになったり、立ち退きになったりしたからね。
――ずっとこの辺りでお仕事をされてきたんですか? 中央区と兵庫区でね。なんか今日初めてお会いしたように感じないね(笑)。 お話を聞かせてくれた森君枝さん ――春日野道にはたまに来るので、どこかですれ違っているかもしれないですね(笑)。君枝さんは沖永良部島のご出身とのことですが、おいくつの時に神戸に来られたんでしょうか。 19歳の時です。結婚でね。 ――ご結婚されたのは関西の方とですか? いやいや。沖永良部の人やけど、その人が関西大学に入って、それで神戸におったんです。それで一緒に出てきて。 ――旦那さんが島から大学に出てこられたと。それ以来はずっと神戸にお住まいなんですか? そうです。最初は馴染めなかったけどね。今の水道筋の辺りに住んだけど、あの時代ゆうたら冷蔵庫とかそんなんが今みたいに普及してない時やったから、市場が臭くてね(笑)。 ――それが何年ぐらい前ですか? 私が昭和20年生まれやから、19歳ゆうたら、昭和39(1964)年か。 ――水道筋の辺りも好きでよく行きます。今でこそマンションなんかも建ってますけど。 その頃はね……。だって、沖永良部だったら、魚でも獲れたてでしょう。海から獲ってすぐやからね。歩いて10分ぐらいのところに海があったから。ほんまに、冷蔵庫もなかったですよ。お母さんが小さい時には。 ――冷蔵庫がいらないぐらい海がすぐそこだったんですね。沖永良部島のどの辺りのご出身なんでしょうか。 (壁を指差して)あそこに地図があるでしょう。「ワンジョビーチ」ってあるじゃないですか? その近くの畦布(あぜふ)という村の出身です。平愛梨さんの両親も沖永良部出身ですよ。サッカーの長友選手の奥さんね。 島の北部にあるワンジョビーチ近くのご出身だという ――そうなんですね! ちなみに、このお店でいただけるのは沖永良部の郷土料理なんですか? 沖永良部のものが多いよ。今日はパパイヤが届いたから冷蔵庫に入ってるよ。パパイヤチャンプルーもできますよ。(冷蔵庫からパパイヤの実を持ってきて見せてくれる)これがパパイヤ。これをスライスしてね。これ、汁が手に当たるとあまりよくないんですよ。目に入ってもよくない。うちの実家で獲れたものです。あと、表に出して売ってるシークワーサーがあったでしょう。あれも実家の庭で獲れたものです。さっき届いたところよ。 今日届いたばかりだというパパイヤが冷蔵庫に入っていた ――それはいい時に来ました。帰りに買っていこう。お酒も沖永良部のお酒が多いですか? うん。その上にある「まぁさん」ゆうのは、そこら辺の酒屋には出してないものですよ。黒糖焼酎でね。「まぁさん」は、沖永良部で美味しいという意味の言葉ね。 沖永良部の黒糖焼酎「まぁさん」 ――それは飲んでみたいです。 (表のワゴンに売られていたシークワーサーを持ってきてくれる)これがシークワーサーの実です。 ――これは果汁を絞って使うんですか? みかんみたいにこのまま食べられますよ。毎日1個食べると認知症にもいいって。焼酎に入れたりしてもいいけどね。パパイヤもお母さんの実家の裏になってるものですよ。 ――ご実家にはよく帰られるんですか? 帰るよ。去年の11月も帰って今年の2月も帰って。 ――神戸からだと、どういうルートで行くんですか? 伊丹空港から鹿児島空港まで行ってね、それから沖永良部空港に。沖永良部に行ったらね、うちの甥っ子がね、民泊してるんですよ。「えん」ゆうて。そこの隣が同じ名前の居酒屋でね。よかったらそこに泊まってください。 ――泊まるなら「えん」と。春日野道に住んでもう17年以上ということですけど、この辺りはどうですか? 住めば都ゆう感じでね。そやけど最近、暇(笑)。人の流れが変わったね。 春日野道駅から山手に向かって徒歩5分ほどの場所にお店がある ――最初は水道筋の辺りに住んで、その後は別の場所に住んでいたんですか? 湊川公園のちょっと東の通りで居酒屋をしてたのよ。その時は米3俵も炊きよったのが、時代が変わって、米を1升ぐらいしか炊かんくなった。多い時は1日にお客さんが50人近くも来よったけど、それが変わってきて、ここが安く借りれたからここに来ました。 ――息子さんもずっとお店を手伝っていらっしゃるんですか? この店を始めてからずっとね。あの子がなんでもしてくれるから、お母さんはこうして座ってお客さんとしゃべってばっかり。口だけや(笑)。79歳になりますよ。 ――お若いですね! お母さんのお写真を撮ってもいいですか? いいよ。写真を撮るならね、ちょっと変わったことするからね。(黒糖焼酎の一升瓶を頭に乗せて踊る) ――すごい! すご過ぎる! これ、元町の商店街で10月に踊ってきたわ。三線を弾く先生たちとね。 ――なんでそんなことができるんですか? なんでかね(笑)。昔は島の人が物を運ぶのに頭に乗せたりしたけど、お母さんはそういう仕事はしてないねん。いつも妹がそういう力仕事をして。妹は体が大きかったからね。お母さんは小さくて細かったから、妹がみんな色んな事してくれたわ。沖永良部ではお姉さんのことを「ねえねえ」ゆうねん。「ねえねえ。もういいよ。サチエ(妹さんのお名前)がするからいいよ。ねえねえはしなくていいよ」ゆうてね。みんなようしてくれた。 ――妹さんは今も島にいらっしゃるんですか? ずっと島におったけど、今年の2月に亡くなってね。 (注文したパパイヤチャンプルーを作りにお母さんが厨房へ向かい、しばらくして料理が運ばれてくる) はい、どうぞー。パパイヤチャンプルー食べるの、初めて違う? スライスされたパパイヤの食感がクセになる「パパイヤチャンプルー」 ――初めてです。このスライスしてあるのがパパイヤですか。おお! 美味しい! こんな歯ごたえなんですね。シャキシャキしていいですね! 美味しいなー! パパイヤって、果物としてのイメージしかありませんでした。 果物として食べる前に、野菜として食べる。青パパイヤね。それが熟してきたら鳥が食べるから囲いをしないといかんねん。で、囲いをして置いてたら黄色くなって果物になんねん。美味しいよ、甘くて。 ――なるほど、熟して果物のような甘さが出てくるんですね。パパイヤチャンプルー以外ではどんな風に食べるんですか? 漬け物。黒砂糖漬けね。あれも漬け方があってね、手が合わないとふにゃふにゃになんねん。お母さん漬けたらあかんねん。妹はものすごい上手やったけどね。 ――へー! 島の野菜で他に有名なものはありますか? じゃがいもが有名。ものすごい美味しいよ。だからお母さんはじゃがいもを自分で買うたことない(笑)。皮が薄いじゃがいもでね。うちの実家を継いでる弟がね、今は怪我をして農業ができなくなったんやけど、それまでは農業もしてたから、いつも180キロぐらいじゃがいもを送ってくれた。「姉ちゃん向こうで売って儲けー」ゆうて(笑)。 ――じゃがいもはいつ頃獲れるものですか? 2月の半ばぐらいに獲れる。7月の半ばになったらマンゴーがすごい。マンゴーがどんだけできるか。うちの甥っ子の嫁さんの実家がマンゴー農家やから、よそよりはちょっと安く買えるんよ。その頃にここに来たら買えますよ。よう売れる。 ――島の言葉で好きなものはありますか? 「みへでぃろよー」ゆうて、「ありがとう」ゆう言葉。ここに沖永良部の人が来るでしょ、そうするとこの子(息子さん)が「みへでぃろよ」ゆうから、おばあちゃんたちが喜んでね。「お兄ちゃんお兄ちゃん」ゆうて、よう言いはったわ。島口で「ありがとう」ゆうたり、かたことでこの子が言うと喜んでね。 ――息子さんは生まれた時はもう神戸だったわけですよね。 そうそう。水道筋でね。だけどお母さんが使うでしょ。だからかたことで覚えるんよね。 君枝さんを支える息子の森裕伸さん ――島のもので、何でもいいんですけど、好きなものってありますか? 食べ物は島バナナ。むっちゃ美味しい。スーパーでバナナ買うて食べたことないね。好きな場所はワンジョビーチ。昔は3時間ほど潮が引く時にそこに行って、岩場にウニがいっぱいおるねん。ウニがおやつやってん。ムール貝とか。昔は水洗のトイレがなかったやん。畑に撒くのも今は化学肥料でしょう。昔は海に栄養があったんやね。 (息子さんがテレビで映像を見せてくれる。沖永良部島の美しい風景を映したもので、近くの商店街のお茶屋さんが編集したのだという) ――近くのお茶屋さんも沖永良部島の方なんですか? そうです。この辺は“永良部ストリート”と言われるんですよ。永良部の人が昔から多くてね。 ――みなさんでこの辺りに出てこられたんですかね? 神戸製鋼が近くにあって、島から来て、そこに就職したんでしょうね。それでここに根付いて。 ――なるほど。メニューにある「ソデイカ」というのも沖永良部で獲れるんですか? そうですよ。甘くて美味しいよ。 ――じゃあそれもいただこうかな。沖永良部から沖縄は距離的に近いんですか? そうですね。文化も沖縄に近い。なんでかゆうたら、沖永良部と徳之島の海の底に、渦を巻くところがあって、昔の船ゆうたら小さいやん。そこでよう船が沈没しよったんよ。だから沖縄から徳之島まではあんまり行けないけど、沖縄から沖永良部までは行きやすかったわけよ。 ――なるほど、それで昔から行き来があって文化が近いわけですね。沖縄にはよく行っていていましたか? よう行ってるよ。大城美佐子先生ゆうて三線の先生とお母さんが仲良しでね、それでよう会いに行ったね。 ――旦那さんは今は……? 早うに亡くなって、去年の11月半ばぐらいに7回忌、本当はその2年前が7回忌やったんやけど、コロナで島に行けんかったから。だから去年の11月にやって。 (テレビの映像の中に沖永良部の湧き水が出てくる) ――沖永良部は水がいいんですか? ワンジョビーチのそばに水が出るところがあって、そこで昔は水を汲んだよ。硬水で、硬い水やけど美味しいねん。永良部はあちこちにこういう湧き水があんねん。 ――水にも恵まれた島なんですね。 恵まれてる。永良部の人は明治時代から百合の球根を横浜に持っていって、横浜からアメリカまで輸出してたから、島が豊かやねん。 (息子さんがソデイカの刺身を持ってきてくれる) ――美味しそう! あと「まぁさん」をロックで二つお願いします。 (「まぁさん」が運ばれてくる) ソデイカと「まぁさん」の組み合わせは最高だった ――ソデイカ、なめらかで柔らかくて美味しいですね! 「まぁさん」ともよく合います。最高だな。沖永良部にはいつの季節に行くといいですか? 梅雨前でもいいよ、泳げるし。鍾乳洞もある。秋吉台よりええゆう人もおるよ。きれいよー、鍾乳洞。私ら小さい時にはワンジョビーチでウミガメがよう産卵しよったんよ。昔は海岸沿いがアダンの木やったけど、今はコンクリになってるからあかんようになって、今はいないけどね。昔はね、サトウキビも牛に引かせて絞りよったんよ。そのサトウキビ畑がある家はみな金持ちの家。私のとこはなかったけど、お父さんのところにはあった。 ――へー! 旦那さんはお金持ちだったわけですね。旦那さんは島にいる時からのお知り合いですか? そうそう。許嫁みたいなもんよ。 ――当時、島から神戸の大学に行くってすごいことだったんですかね。お金があるからこそというか。 そうですよ。その当時、二人だけやったかな。頭もよかったし、お金もあった(笑)。小学生の時なんか、よう勉強教えてもらいよった。近所やったからね。 ――お母さんは旦那さんと一緒に神戸に来るというのを最初から受け入れていたんですか? うちの父親はあんまり賛成じゃなかったんよ。でも、母親の母親、私からしたらおばあちゃんが「大学も出て学歴もあるし、立派やから食い外しないで」ゆうからな。でも何が「食い外しない」や(笑)。 ――ああ、その後は色々大変だったんですね。 家にお金はないし、お母さんが働かなんだら食べて行かれへん。あおさのだし巻きも美味しいよ、食べてみる? ――おお、食べたいです! ちなみにお母さんはもうずっと神戸で暮らすおつもりですか? 子や孫がこっちにおるからね。この子の上に一人子どもがいて、阪神深江の駅の浜側の方で創作居酒屋しとる。その孫が二十歳になるけどね。甲南大学行っとって。バンドでドラム叩いとんねん。今からお母さん一人、沖永良部に行ったってねぇ。 ――なるほど。それこそ住めば都ということですよね。 (息子さんがあおさのだし巻きを運んでくれる) 沖永良部の家庭料理が味わえるお店 ――あおさの香りがよくて素晴らしく美味しいですね! しかし、ここはいい店ですね。 昔はね。阪急王寺駅の浜側の方でお好み屋してた。初めて商売したのがそこやけど、そこが立ち退きになったんよ。そんで今度は夢野で、昼間は喫茶店、夜はスナックして、その時はよう儲けた(笑)。それから湊川公園の横でして、それでここに来たんや。お好み焼きもすごく流行ったね。すじ肉を毎晩2キロは炊きよった。その時はいいコート買うたり。美味しいものも食べた(笑)。 ――沖永良部に帰りたいと思ったことはありますか? ありましたよ。まだこの子の上の子が小さい頃、その子を連れて妹の結婚式に帰ったの。そしたらもう神戸に帰りたくなくなって、1ヶ月ぐらいおったんよ。そしたらうちの父親が「はよ神戸に帰りよ」って言う。今までは神戸に行くことを反対しとった父親がやで。ほんで帰ってきたらこの子ができとってん。 ――そうか。でもお子さんにとっては神戸が故郷なわけですもんね。 そうそう。人生色々、島倉千代子ですわ(笑)。「永良部しゅんさみ~」ゆうて、いい島やけどな。やっぱり神戸に出てきて、長年住んでたら、帰りたいとは思うけど、居場所がないわな。住めば都や。お客さんも、ありがたいもんで、偉い人ばっかり来るねん。大学の先生とかな。 ――島の風習について覚えていらっしゃることはありますか? お葬式は、昔は土葬やったね。その頃は、浜の近くにお墓があって、そこがごっつう下り坂やねん。その下り坂の手前の方で、平たいところで人間二人で担ぐやん。(遺体を)桶に入れて、そこで3回まわるねん。3回まわって、浜の方に降りていって、坂を下りたところで踊りがあるねん。そこでまた3回まわってな。「ここから向こうはあなたたちの世の中やから、ここから向こうに帰ってきたらいかん」ゆう踊りがあんねん。「ひゃるがらさーやさーやさー」ゆうてな。そういう踊りがあんねん。そういう風習があった。 ――それが沖永良部のお葬式なんですね。 そう、島のね。ワンジョビーチの一番東の方にほら穴みたいなのがあって、そこに戦死した人の骨とかみんな置いてあったんよ。それはちゃんと火葬してね。中学の時、男の子に「肝試しに行ってこい!」ゆうて、学生時代、よう偉そうに命令しとったわ(笑)。 シークワーサーの果汁を絞っていただく豚肉炒めも美味しかった ――お母さん、強かったんですね。 男の子が私に悪口言うもんやから、腹が立ったから、畑の隅に水たまりがあんねん。そこに男の子をバシャーンやってな(笑)。男の子が偉そうにゆうからな。「弱いもんいじめしてからにー!」ゆうてな。女の子をいじめる男の子は許さんかったよ。お母さんも一杯飲もうかな。飲兵衛やねん(笑)。 ――乾杯しましょう。お母さんは息子さんとこうして一緒にお仕事をされて、仲良しですね。 この前の日曜日は再度山に紅葉見に連れて行ってくれて、手すりがない場所はちゃんと手つないでくれてね。この子がまた優しいねん。上の子も優しいけどな。 ――いいなー。 (お母さんが沖永良部島の民謡「サイサイ節」を歌ってくれる) これはお酒の歌やね。 民謡の歌詞が載った冊子を見ながら歌ってくださった ――ありがとうございます。沖永良部の人はみんなお酒が好きですか? いや、うちの妹なんか一滴も飲めなかったよ。来年の2月に妹の一周忌にお母さん、帰るからね。一緒に行きましょうよ(笑)。 ――行きたいです。沖永良部の風景を見てみたくなりました。ちなみにこの「南国キッチン次郎」の屋号に由来はありますか? うちの父親がね、“次郎”って呼ばれてた。沖永良部ではね、戸籍上の名前と、「やーな」ゆうて、家の名前ゆうのか、そういう名前があって、それが次郎やった。父親はな、ものすごい器用な人やってん。編み物はするわ。ミシンかけて縫い物はするわでね。近所の子どもに焼き飯して食べさせたりしてね。あまりに器用な人やったからその次郎という名をつけてね。前の店にも次郎ゆう名前をつけてた。 ――なるほどお父さんにあやかっての「次郎」なんですね。お父さんがお好きだったんですね。 大好き。お母さんが小学一年の時な、同級生が88人しかいなかってん。その88人の中で3人だけ、お遊戯に選ばれて、お母さんと、医者の息子と、旅館の娘と、3人だけ選ばれてお遊戯してん。その稽古をして学校から帰るのが17時頃になるから、父親が迎えに来るねん。必ず玉子を湯がいたの一個持ってくるねん。学校から出たところは街の真ん中やから、そこではしないけど、街の真ん中を通り過ぎたらすぐおんぶしてくれんねん(笑)。ランドセルしょってな。あの当時ランドセルしょってたのもお母さん一人やった。で、父親が玉子を湯がいたの、一個持ってくるねん。「お腹すいたやろ」ゆうてな。それを、おんぶしてもらいながら、父親の頭で叩いて割ってな(笑)。 ――なんだかその時のことが目に浮かぶような気がします。 そんなんで、よう父親に家までおんぶしてもらった。父親は百姓をしてたけどね、沖縄に稼ぎに行って、沖縄の米兵とか、そういうところに働きに行っとって、その時に、沖縄にはランドセルがあった。沖永良部にはなかってん。ピンクのランドセル。それを買ってくれた。ものすごい甘やかして育てられてるわ。とにかく大事にされたわ、一番上やったからな。まあ、父親のおかげやな。 ――お母さんはどんな方でしたか? 母親はね。大倉山の洋裁学院を出た人で、三越のオーダーを作っとったんよ。 ――ええ! 大倉山の学校に通っていたんですか? そうそう。大正7(1918)年生まれ。永良部から神戸に来て、もうとにかく母親の実家はものすごい土地を持っとったんよ。おじいちゃんは何新聞ゆうたんか、新聞社に務めとって、定年して帰ったきた。ものすごい財産持っとった。目の前は畑で、山もひと山持っとった。母親の実家からは集落の真ん中を通らないと来れないところやったけど、妬む人もおってね。ツル子ゆう母親やけど、「またあのツルが家から米持ってきて」って言われてね。妬みもあって。しかしその財産ゆうのも、もう潰してしもうてな。 お酒を注いでくれる君枝さん ――そうなんですね……。お母さん、お酒もよく飲まれてお元気ですね。 お母さん、毎日な(奄美大島の黒糖焼酎の)「里の曙」を飲むねん。あれ、瓶入りと箱入りとで味が違うねん(笑)。不思議やで。コップにお茶を入れて、そこに「里の曙」を入れて、毎日それを4杯ぐらい飲んで寝るねん。 ――いい毎日ですね。 今、めちゃくちゃ幸せ。この子がようしてくれるし。毎日肩揉んでくれるんやで。お母さんな、手が上がらんかった。それをこの子がネットで病院探してくれて、そこで診てもらって、注射して、今こうして上がるようになった。息子がずっと面倒を見てくれて。今までの苦労は飛んでしまってるわ。79になってもこうして働かないといかんけどな。おかげさんで幸せいっぱい。 「今が一番幸せ」と語る森君枝さん(右)と息子の裕伸さん(左) ――今日はいいお話をありがとうございました。もう少し飲んでいっていいですか。 もちろんよ。ゆっくりしていって。 ――ありがとうございます。 「南国キッチン次郎」にはのんびりと穏やかな空気が漂っていて、私も同行のYさんも思わず時間を忘れて黒糖焼酎をたくさん飲んでしまった。 だいぶほろ酔いにはなったが、帰りにシークワーサーを買って帰るのは忘れなかった。すると、君枝さんは我々に一つずつ、大きなパパイヤの実をくださった。そのずっしりとした実と、シークワーサーとで、我々の帰り道のリュックはすっかり重くなり、そのありがたい重みを嚙みしめながら、ふらふらと帰路についたのだった。
「南国キッチン次郎」
住所:兵庫県神戸市中央区宮本通7-3-6 寿ビル1F
営業時間:10時~20時
定休日:日曜日

(X/tumblr)
1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
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