阪神沿線の“奄美”な人たち 第3回

第3回 関西奄美会会長・先山和子さんが考える関西と奄美のこれから

阪神沿線の“奄美”な人たち 第3回

阪神梅田本店1階の催事場・食祭テラスで2025年2月26日(水)から3月3日(月)にかけて開催される「あまみ群島ワンダートリップ 奄美大島・加計呂麻島・請島・与路島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島」との連動企画として、奄美群島にルーツを持ち、阪神間を拠点に様々な活動をしている方にお話を伺った。

私は20年近く前に一度だけ奄美大島に旅行をしたことがあるのだが、その時は宿の近くの海でひたすらのんびり過ごしただけで、島の文化にしっかりと触れたとは言い難い。つまり、奄美群島についてはほとんど何も知らないに等しい状態である。

今回お話を聞かせてくれたみなさんはそんな門外漢丸出しの私の質問に真摯に答えてくださった。そしてそれにより、奄美群島の島々のことを以前より少しは知ることができ、また、それらの島から関西に出てお仕事をされている方々ならではの思いを伝えていただくことができた。貴重なお話を聞き、できるだけ近いうちに奄美の島々に足を運んでみなくてはと思っている。


シリーズの第3回目として、奄美群島にルーツを持ちつつ関西を拠点に活動する人々を繋ぐ親睦団体である関西奄美会の会長・先山和子さんにお話を伺った。「奄美出身者の親睦融和を図り、合わせて郷土の振興発展に寄与する」ことを目的に大正5(1916)年に設立された関西奄美会だが、近年では役員の高齢化や会員の減少が課題になっているという。女性として初の会長である先山さんに、関西奄美会という組織のこと、ご出身である沖永良部島のこと、そして今後の目標などについて聞くことができた。

――「関西奄美会」はかなり長い歴史を持つ組織なんですね。

そうですね。設立から100年近くになります。毎年一回行われる総会が来年(2025年)に108回を迎えますから。

――つまり、奄美群島から関西に移り住んだ方が100年以上前から多くいらっしゃるわけですよね。

多いです。島の人は、長男が家に残って後の兄弟は出稼ぎに出て、そこで縁者を頼ってきたものですから。どんどんコミュニティができていくんです。

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お話を聞かせてくださった先山和子さん

――奄美群島から関西に来られた方は特に尼崎市に多いんですか?

まず神戸の港に船で来て、その近辺に住む方が多かったんでしょうね。京阪神には川崎製鉄とか神戸製鋼とか、重工業の会社が多かったので、そこに出稼ぎに来ると。そういう人たちが住みやすい場所として、尼崎や杭瀬が発展していったんです。

――なるほど、仕事もあるし、住みやすいし、先に来ている方も頼れるし。

ここ何十年かの間に重工業の工場が岡山や名古屋など、各地に移転していきました。そうなると、またそこに島出身の方が集まって、「中部奄美会」とか、色々なところに奄美会ができてきていくんです。規模的には関西奄美会が一番大きいんじゃないでしょうか。毎年「アルカイックホール」で2000人余りの参加者を集めて総会をしています。そのための準備が今すごく大変で(笑)。

――それだけ大きな会になると色々と大変そうですね。

会員のみなさんが高齢化して、若い方はあまり入ってこないというような問題もあります。どこもそうですけど、過疎化と一緒で、共同体の規模がだんだん小さくなっていってしまう可能性もあります。私が女性として初めての会長なんですけど、女性が意見を言いやすく、若い世代が居心地のいい組織にしようと思って色々と取り組みを始めています。

――今までのしきたりを変えていったりということですよね。

そうですね。「女性は接待したり、踊りを踊っていればいい」という時代も過去にはあったので、時代に応じて組織も変わっていく必要があると思っています。居心地のいい場にしたいと思います。会に所属していると、何かと費用もかかるのですが、それこそ子育てをしている方だと40代~60代ぐらいまでは子どものためにお金もかかりますし、自分の小遣いを削って参加するというのも難しいですよね。そういうところも変えていって、お金がかからないやり方を作りたいんです。ここ一年でそれを進めたかったんですけど、まだそこまでできていなくて、来年(2025年)以降にまた提案していこうと思っています。

――なるほど。

私は今年(2024年)の4月に会長になったんですが、任期は2年なので、今のうちにできることをしないといけないんです。

――会長はどのようにして決まるんですか?

関西奄美会では奄美群島を5つの地区に分けているんです。喜界地区、北大島地区、南大島地区、徳州地区、沖与地区と。この中から順番制で会長を出すんですが、5地区の下もさらに細分化されていますので、次に私の地区から会長を出すのは30年先になったりするんです。

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奄美群島を5地区に大きく分けた下にもいくつも組織があるという

――そうなんですね。では、この2年はすごく貴重なんですね。

私は50年以上、会の活動に首を突っ込んでいたので、歴が長いから色々な時代を見ているんです。自分たちが参加していて居心地がよかった時代は、みんなでお弁当を持って野外で運動会をしたりして、あまりお金もかけずに気楽に参加できたんです。

――50年以上も前から関わっていたんですか。

私は高校を卒業して、大阪の短大に進学するためにこっちへ来たんです。来た当初に、島出身の先輩たちが「運動会があるから」「ハイキングがあるから」って、行事があると誘ってくれて、それがきっかけで参加しました。

――そこからずっと所属していたんですか。

いえ、当初は行事がある時に遊びに行く感覚でしたし、短大を卒業した後は教職で島に帰っていたんですよ。

――先生をされていたんですね。

まあ、腰掛けのようなものでしたけどね(笑)。それは3年間だけで、学生時分からつきあっていたのが主人なんですけど、結婚してまた関西に出てきたんです。奄美会の行事に誘ってくれたのも主人なんです。

――ご主人も沖永良部島の方なんですか?

ええ。中学校の先輩です(笑)。

――そしてご結婚されて関西に本格的に移ってこられたと。

はい。昭和46(1971)年に結婚して、それからはずっとです。私たち、出てきた頃は貧乏でしたよ。

――島から移ってこられて、どうでしたか? ギャップなどはありましたか?

ああ、最初に住んだのが東大阪の柏原市というところだったんですけど、結構雪が多くて、雪を見たことがなかったので、感動して、一晩中寝なかったですね(笑)。で、私たち、持っていた布団もそんなに分厚いものじゃないので、寒いんですね。私がいた寮には石川県とか、山陰の方からの人たちが多くて、みんな豪華な布団で(笑)。セーターもアンゴラみたいなね(笑)。それでみんなに可哀想だって言われて、セーターをもらったりして。

――気候の違いは大きそうですね。先山さんは沖永良部島のどのあたりのご出身なんですか?

沖永良部島の知名町、田皆(たみな)というところです。島の中では西北で、田皆岬があって、すごく大きな集落ですよ。

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島の西北に先山さんの出身地・田皆がある

――沖永良部島の人口はどれぐらいなんでしょうか?

島全体で1万5千人ぐらいですかね。今はそれより少なくなっているかもしれないです。

――沖永良部島は鍾乳洞が有名だと聞きました。

そうです。永良部は、沖縄みたいな、つららみたいな鍾乳洞があって、そういうところも近いですし、踊りも沖縄的なところがありますね。

――沖縄の文化圏に近いんですね。

もう島から沖縄が見えていますからね。

――ハブがいないというのも聞きました。

そうそう。だから夜遅くまで農業ができるんです。ハブがいる島だと、ヘルメットをかぶって専用の服を着てサトウキビ畑に入ったりしています。そうなると、冬はまだいいけど夏が暑くて大変なんです。

――なるほど。沖永良部島の農業というと、どういうものを栽培するんですか?

花が多いですね。百合とか菊、グラジオラス、出荷用にはソリダゴとか。色々ありますね。あとは、じゃがいももありますね。

――じゃがいもも美味しいそうですね。先山さんが島の料理でお好きなものはなんですか?

なんだろうね。今は島に果物がたくさんあるけど……。私たちは小さい時からにんにく炒めを食べていました。にんにくの葉を豚肉とキャベツもちょっと入れて、お豆腐も入れて炒めるんです。にんにく炒めは元気が出ます。冬場もよく食べました。

――にんにくの芽ではなく葉っぱを炒めるんですね。

そうです。芽とはまた全然違う、にんにくが球になる前のものを引っこ抜くんです。

――香りはにんにくのような感じですか?

そう。香りは強烈ですよ(笑)。私たちはよく12月28日ぐらいから、段ボールいっぱいにんにくの葉っぱを届けてもらって、正月は毎晩にんにく炒めを作ってね(笑)。味付けは塩と、醤油をちょっと垂らして、素朴な味だけどすごく美味しいですよ。特に私のにんにく炒めは美味しいんです(笑)。

――得意料理なんですね! にんにくの葉って売っているのを見たことがないです。

私は菜園もこっち(関西)でしていましたから。畑を借りて何十年もしていたので、冬場ににんにく炒めを作るためにばーっと植えて。引っこ抜いて正月の間に食べないと、正月が明けてからは匂いをぷんぷんさせられないじゃないですか(笑)。

――いわゆる普通のにんにくも食べるんですか?

食べますよ。球ごと醤油漬けして、黒砂糖も少し入れるかな。それが元気のもとかもしれないですね。島の人はよく食べます。奄美大島でも食べますね。

――先山さんがお元気そうなのはにんにくのおかげなのですね。

それもあるけど、よく「焼酎のせいちゃう?」って言ってます(笑)。いや、そんなには飲んでないですけどね。黒糖焼酎のお湯割りをちょっと飲む程度です。コップ一杯も飲んだら眠くなるんですが、焼酎はお湯で薄くしてもあんまりわからないじゃないですか。でも最初から「焼酎お湯割りー!」って注文すると「すごい酒飲みやなー」ってみんなに思われて、おじいさんたちにモテるんですよ(笑)。島では周りのみんな黒糖焼酎を飲んでいたから、その香りが自分に合ってるのかなと思います。

――みなさんにお聞きしているんですが、島の言葉でお好きなものはありますか?

好きというか、よく使う言葉なら「ありがとう」ですね。奄美大島だと「ありがたさま、ありょうた」って言ったり。これは、「ありがとうございますでございますー!」みたいな丁寧な言い方ですね(笑)。奄美は島によって言葉が違うんです。永良部では「みへでぃろー」って言うんです。それが徳之島では「おぼらだれん」って言いますね。関西奄美会の5地区でも違うわけです。だから、私、会長の所信表明の挨拶で、舌を嚙みながらその5つの言葉を使いましたね(笑)。喜界島は「うふくんでーた」、与論島は「とーとぅがなし」とかね。

――そんなに違うもんなんですね。

なぜ覚えてるかというと、私、小学校の時に奄美本島にいたんですよ。父の関係でね。だから「ありがとさまありょーた」とか、言えるんです。奄美大島の中でも地区によって挨拶の言葉が違いますね。

――沖永良部島の街並みはどんな感じですか?

一概には言えないですけど、みんな家々で花を綺麗に植えたり。特に和泊(わどまり)なんかは庭が綺麗ですね。塀で囲った家ってあんまりなくて、だいたいはオープンで、「綺麗だな」って思ったら入って「どんなの植えてるかな」って見たりするような(笑)。

――色とりどりの花を見てみたいです。

4月から5月にかけては百合が咲く時期で、私の島はテッポウユリが有名ですね。何万本と植えて、ギネス記録にもなっています。

――先山さんは尼崎で開催される「エラブ百合まつり」にも関わっていると聞きました。

そうです。毎年6月に開催しています。もう20年になりましたね。最初は尼崎の上坂部に、尼崎沖洲会の50周年記念として、女性部の人たちで植え出したんです。私がちょうど50周年の時に女性部にいたので。それから10年経った60周年の時に、アルカイックホールで催事があったので、それに合わせて尼崎駅前に百合を植えてみんなの目に届くようにしようと。

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先山さん(右)をサポートする仲村由美さん(中央)と長岡邦久さん(左)

――そういう経緯で始まったものなんですね。

もうやめようかという話が何度も出たんですけど、その度にはっぱをかけて球根を注文して。せっかくの機会だしと思って今までもってきたんですけど。来年は会場を変えて開明中公園で開催する予定です。

――その公園は阪神尼崎駅からもそんなに遠くないですか?

歩いてすぐですよ。広い公園なので三味線を弾いたり踊ったり、お弁当を食べてもいいというので、今までよりは色々できると思います。球根はすでに植えていて、今、もう芽が出てますよ。

――おお、後で見に行ってみます。

咲くまではもう半年ぐらいですね。咲いたら見事に真っ白になると思いますよ。同じ公園にはソテツもありますし、奄美会の石碑もあります。よかったら行ってみてください。

――ありがとうございました!

先山さんのお話を伺った後、2025年にエラブ百合まつりが開催される予定地の開明中公園まで歩いてみた。子どもたちが遊ぶのどかな公園の一角に、先山さんがおっしゃっていた通り、たしかに百合の芽が顔を出していた。

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沖永良部島の百合が芽を出していた

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その近くには関西奄美会の石碑も

力強さを感じるその姿を見て、真っ白に咲くという花を見るのが楽しみになった。

スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDをリリース。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』(共にスタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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