黒糖焼酎「まぁさん」の瓶を頭に乗せて踊っている「南国キッチン次郎」店主の森君枝さん。

第2回 奄美大島から加計呂麻島

スズキナオのあまみ群島トリップ 第2回

阪神梅田本店1階の催事場・食祭テラスで2025年11月5日(水)から11月10日(月)にかけて開催される「あまみ群島ワンダートリップ2」との連動企画として、奄美大島と奄美群島の一つ、加計呂麻島をたずね、島の文化や自然を体感し、そこで暮らす人々の話を聞いてきた。また、奄美群島にルーツを持つ方々が多く住む京阪神エリアで開催される奄美群島関連のイベントに参加し、その雰囲気をじっくりと味わった。

その模様を4つの切り口で記事にまとめた。自分が感じた奄美群島の魅力が少しでも伝わるものになっていればうれしい。また、これらの記事をきっかけに、奄美群島に興味を持っていただき、「あまみ群島ワンダートリップ2」に足を運んでいただければ幸いである。


シリーズの第2回目は、私が奄美大島と奄美群島の一つである加計呂麻島を旅して感じた奄美の魅力を、レポート形式で紹介したいと思う。旅の中では、黄金のスープが絶品の鶏飯の名店「ひさ倉」、島のフレッシュな素材を厳選使用する名瀬(なぜ)の人気店「たっちゃんのジエラート」、オリジナルグッズも大人気な量販店「ビッグツー」など、奄美の名産品や郷土料理にも出会うことができた。

関西国際空港から奄美空港へと向かったのは2025年7月上旬のことだったのだが、出発の前日、神戸・春日野道(かすがのみち)にある「南国キッチン次郎」という飲食店を訪ねる機会があった。

南国キッチン次郎は、かつて「あまみ群島ワンダートリップ」の関連企画として取材させていただき、奄美群島・沖永良部島の出身である店主の森君枝さんが貴重なお話をたくさん聞かせてくれたお店である(※その取材の模様は
https://kotosara.net/magazine/amami/001/ で読むことができます)。

相変わらずお元気そうな君枝さんと話しながら沖永良部の黒糖焼酎「まぁさん」を飲んでいると、早くも奄美への旅が始まっているかのような気分だった。

黒糖焼酎「まぁさん」の瓶を頭に乗せて踊っている「南国キッチン次郎」店主の森君枝さん。

この日も「まぁさん」の瓶を頭に乗せて踊ってくれた君枝さん

前夜の余韻を引きずりつつ、翌朝、関西国際空港へ向かう。第2ターミナルからPeachの飛行機に搭乗。

関西国際空港の滑走路に停まる奄美大島行きのPeachの機体。

関西国際空港から飛行機で奄美大島へと向かう

13時少し前に乗って、14時半には奄美空港に到着。あっという間である。奄美空港には、奄美群島観光物産協会の横嶋泰葉さんが迎えに来てくれており、車に乗せていただいて空港から西へと向かう。

ここで私事を挟むのだが、20年以上前に、私は一度だけ奄美大島に来たことがある。奄美大島に親戚がいる友人と一緒に、その親戚がもう使わなくなった建物を宿泊先として、1週間ほど滞在させてもらった。今思えばその時滞在していたのは奄美大島の東部、空港からほど近い場所で、レンタカーを借りてはいたものの、運転の苦手な私は、ほとんど移動らしい移動もせず、宿泊先から近い海で昼間はシュノーケリングをして、夜は星を見て過ごした。その日々がすごく印象的で、以来、また奄美大島に行きたいとずっと思い続けてきたのだった。

笠利町(かさりちょう)という地名に懐かしいものを感じつつ、車は龍郷町(たつごうちょう)、国道58号線沿いにある鶏飯の名店「ひさ倉」へたどり着いた。「ひさ倉」は1993年、久倉茂勝さんが創業した店で、奄美大島に観光に来た人の多くが空港から直行するほど(まさに私がそうだが)の人気店である。

鶏飯の名店「ひさ倉」の外観。

「ひさ倉」の店舗は大きく、座席は164席もある

鶏飯を注文すると、鶏肉、錦糸卵、パパイヤ漬、しいたけ、ネギ、刻み海苔、紅ショウガ、たんかんの皮などの具材がご飯と鍋とともに運ばれてくる。

「ひさ倉」の鶏飯のご飯に乗せる具材のお皿の写真。

鶏飯を注文すると運ばれてくる具材セット

それらの具材を丼によそったご飯の上にのせ、丸鶏をじっくり煮込んで作った黄金のスープをかけていただく。

具材を乗せたご飯と、それにかけるスープの写真。

この黄金のスープが鶏飯の美味しさを決める

スープをかけたご飯の写真。

見るからに美味しそうだ

スープの味はあくまであっさりした口当たりで、しかし、旨みにとんでもなく奥行きがある。色とりどりの具材もそれぞれが味わいを引き立ててくれていて、特に「ひさ倉」の鶏飯に欠かせないのが「たんかんの皮」のアクセントなのだとか。ご飯を食べ終えた後も、鍋に残ったスープが美味し過ぎて、気づけば飲み干していた。

現在は二代目の久倉勇一郎さんが中心に立って多くのスタッフと共にお店を切り盛りしている(とはいえ、84歳になる先代・久倉茂勝さんもお元気にお店に立っている)。二代目の勇一郎さんは20歳の時からお店を手伝い、先代とともにこの店の味を守ってきた。

お店の歴史について伺うと、意外なことに、先代はもともと大島紬の機織職人をされていたそう。しかし、祖父の故郷で現在、店舗のあるこの場所の立地に着目し、空港から名瀬に向かう人のほとんどが通過するこの地に飲食店を開こうと思い立ったのだという。

「ひさ倉」の店主・久倉勇一郎さんのお写真。

お話を聞かせてくれた「ひさ倉」の店主・久倉勇一郎さん

美味しいスープの味わいの秘訣を伺うと、「いい鶏を育てることです」とおっしゃる。「ひさ倉」では創業時から飲食店とともに養鶏場を営み、上質な鶏を育ててきたのだとか。奄美大島に鶏飯を出すお店は他にもあるが、養鶏からやっているお店はここだけだという。

お店を出て再び車に乗り、奄美大島の中心地である名瀬の街へと向かう。賑わいを見せる名瀬の街で最初に立ち寄ったのが「たっちゃんのジェラート」という、ジェラートの専門店である。

ジェラートの人気店「たっちゃんのジェラート」の店内写真。

奄美大島の食材を使った名瀬の人気店「たっちゃんのジェラート」

店主の前田龍也さんは、74歳になられるというのが信じられないほどにエネルギッシュな方で、お店の一番人気だという「さんご塩」と「島バナナ」のジェラートを試食させてくださった。

「たっちゃんのジェラート」の人気メニュー「さんご塩」の写真。

「さんご塩」は甘みとほのかな塩味のバランスが絶妙だった

前田さんには、明日、加計呂麻島を案内していただくことになっている。「よろしくお願いします」とお伝えし、取材予定地である「あまみエフエム・ディ!ウェイヴ」のスタジオへと向かう。そこで代表・麓憲吾さんに伺ったお話は別の記事としてまとめたのでご一読いただければ幸いです(https://kotosara.net/magazine/amami_2/003/)。取材後の打ち上げまでしっかり楽しんで、初日が終わったのだった。

翌朝、宿泊先まで車で前田さんが迎えに来て下さる。車に乗せてもらい、名瀬から1時間ほど走って奄美大島の南西の端にある港町・古仁屋(こにや)へ向かう。古仁屋のフェリー乗り場から「フェリーかけろま」という船に乗ると、20分ちょっとで加計呂麻島の瀬相(せそう)港に到着する。

今回は日程上、加計呂麻島へしか行くことができないのだが、古仁屋港からは徳之島や沖永良部島へ向かう船も出ており、ここから奄美群島へと旅することができるのだ。

古仁屋港のフェリー航路図の写真。

古仁屋港からフェリーで加計呂麻島へ

案内人の前田さんは加計呂麻島のご出身である。加計呂麻島には今もお住まいがあり、週の半分はジェラート店のある名瀬で、もう半分はご自宅のある加計呂麻島で、と二拠点生活をされているという。

前田さんはジェラート店を営むだけでなく、奄美の経済や自治を担う様々な組織に所属していて、とにかく顔の広い方である。古仁屋港でも、フェリーがたどり着いた瀬相港でも、周りにお知り合いが大勢いて、次々と言葉を交わしていてすごかった。

スズキナオ一行を案内してくれた前田龍也さんのお写真。

名瀬でも加計呂麻島でも有名人の“たっちゃん”こと前田龍也さん

フェリー船内から加計呂麻島を望む写真。

船は25分ほどで加計呂麻島へ着く

ちなみに取材日のほんの数日前に瀬相港近くの加計呂麻ターミナルがオープンしたばかりで、その真新しい建物は多くの人で賑わっていた。

取材の直前に完成したばかりの加計呂麻ターミナルの外観写真。

2025年7月に完成したばかりの加計呂麻ターミナル

再び、前田さんの車に乗せていただき、加計呂麻島のあちこちを案内していただく。瀬相港から車で10分ほどの距離にある「於斉(おさい)のガジュマル」の迫力あふれる樹影に驚き、次も目的地に移動するまでの山道のうねりにまた驚く。

於斉のガジュマルの写真。

観光スポットにもなっている於斉のガジュマル

前田さんいわく、今のように島の道路が整備されるまでは険しい山に島内の集落が隔てられ、集落ごとの交流も難しいほどだったという。前田さんが小学校に通う通学ルートも山道で、片道1時間以上かけて山の斜面を裸足で歩いて通っていたという。

そんな貴重なお話を聞きながら、私がずっと好きでその作品の数々を読んできた文学者・島尾敏雄の文学碑のある呑之浦(のみのうら)へと車は向かう。呑之浦は島のほぼ中央に位置する集落で、深い入江があり、第二次世界大戦中、その入江の周囲に震洋隊の基地が築かれていた。震洋隊は小型ボートに爆薬を搭載して目標に突撃する海の特攻隊で、島尾敏雄はその隊長としてこの地で待機し、そのまま終戦を迎えたのだった。

島尾敏雄の文学碑の写真。

呑之浦にある島尾敏雄の文学碑

文学碑からすぐ入江まで歩くことができる。海はエメラルドグリーンに輝き、どこまでも美しい。このような景色の中で、帰り道のない出発の命令をただ待っていた兵隊たちがいたことを思う。

島尾敏雄の文学碑からほど近い入江の写真。

震洋隊の基地があった海

加計呂麻島の山並みは深い緑に覆われ、複雑な形をした陸地に食い込むようにして青く美しい海が広がっている。この雄大で圧倒的な自然の中で、加計呂麻島の人々は生活してきたのだ。そんなことを考えながら、ハンドルを握っている前田さんの横顔を見る。

加計呂麻島は映画『男はつらいよ』シリーズの『男はつらいよ 寅次郎紅の花』の舞台になった場所でもあり、島内のあちこちにロケ地の碑が建っている(先ほど見た於斉のガジュマルもその一つ)。浅丘ルリ子演じる「リリー」が暮らしている設定の家が今も残る諸鈍(しょどん)という集落の広場でお弁当を食べる。

海沿いで一行が食べているお弁当の写真。

海を眺めながらのご飯は美味しかった

食後も島をたっぷりと案内していただき、西阿室(にしあむろ)という集落にあるこの日の宿「南龍」まで送ってもらう。

宿の近くにある「茂岡酒店」では、営業日の18時から19時半の間だけ地元の人が集まって“角打ち”スタイルで営業されているという。私も参加させてもらったのだが、地元の方が持ち寄った惣菜が常連も一見も分け隔てなく振る舞われ、私以外にも、観光で来た人や、島で開催されたシーカヤックの大会に参加しに来た方なども混ざって盛り上がっていた。本当に素晴らしい場で、私は加計呂麻島にこんな酒屋があることをずっと忘れずに生きていこうと誓った。

「茂岡酒店」での角打ちの様子の写真。

地元の方も観光客も気ままに居られる店内

「茂岡酒店」の前にある大うなぎが住むという川の写真。

店の前には大うなぎの住む川があり、みんなでその姿を眺めた

翌朝、早めに起きて宿の近くの海でひと泳ぎする。波も穏やかで、とても静かな海だった。海の水に身を浸すと、加計呂麻島と自分との距離がほんの少しだけ縮まった気がした。

加計呂麻島の朝の海の写真。

朝の静かな海でしばらく泳いだ

昨日「茂岡酒店」で買っておいた朝ごはん用のカップうどんを食べていると、宿の方がパッションフルーツをくれた。脳裏に鮮やかな色彩が浮かぶような爽やかな香りで、素晴らしいデザートになった。

カップうどんとパッションフルーツの写真。

おすそ分けしてもらったパッションフルーツは華やかな味わい

宿まで前田さんが車で迎えに来てくれて、瀬相港から古仁屋へ向かうフェリーに乗る。前田さんは今日もこれから奄美群島の各自治体の関係者が集まる会合に出席するのだとか。

古仁屋港でお世話になった前田さんと別れ、しばし古仁屋の街を散策。味わい深い雰囲気の食堂などがあちこちにあり、今度は古仁屋でもゆっくりしてみたいと思った。

「ことぶき食堂」の外観写真。

お昼ごはんを食べに寄った「ことぶき食堂」

バスに乗って名瀬へと向かう。車窓からの風景を眺め、少しウトウトして、1時間と少しで名瀬の市街地にたどり着く。取材させていただく「酒屋 まえかわ」へと向かい、前川健悟さんのお話を聞く。そこで聞いたお話は、別の記事にまとめたのでご一読ください(https://kotosara.net/magazine/amami_2/001/)。

奄美群島でしか作ることのできない黒糖焼酎を、「こんなにたくさんの種類があるのか」と驚くほどにたくさん揃えた「酒屋 まえかわ」を営んでいるだけに、前川さんの黒糖焼酎への愛は深く、名瀬のアーケード商店街の中に奄美出身の仲間と共に「UNION」というお店を2024年にオープンし、黒糖焼酎をカジュアルに楽しむスタイルを提案している。

「UNION」店内での前川健悟さんのお写真。

「UNION」で奄美焼酎の美味しさを教えてくれた前川さん

そのお店でも黒糖焼酎を味わい、さらに前川さんのおすすめの「ひろの」という居酒屋へ。美味しいお魚料理に黒糖焼酎「じょうご」を無糖紅茶で割った「じょごティー」というドリンクを合わせてみる。黒糖焼酎に対するイメージが変わるような飲みやすさだった。

楽しい夜を過ごすと、翌日はもう大阪に戻る日だ。奄美群島観光物産協会の古株みなみさんの運転する車に乗せてもらい、龍郷町にある「ビッグツー」という大型ショッピングセンターへ向かう。

この「ビッグツー」、私が20年以上前に奄美大島に来た際も毎日のように買い出しに来ていた店で、その外観を見た瞬間、遠い記憶が一気に戻ってくるような感動があった。

「ビッグツー」の外観を奥にしたスズキナオさんの自撮り写真。

20年以上ぶりに訪れることができた「ビッグツー」

「ビッグツー」はもともと鹿児島県宇宿市に本店があったショッピングセンターで、本店に続いて奄美大島店が龍郷町にオープンしたのが25年前のこと。その後、2011年に本店の方が閉店され、今はここ、奄美大島に唯一の店舗が残っているのだという。

店長の松浦能久さんによると、観光客には店のオリジナルグッズが大人気だそう。特に、「ビッグツー」のロゴが目立つTシャツはテレビで取り上げられたこともあり、奄美ならではのお土産として広く知られるようになったのだとか。

Tシャツの他にもサンダルやプラカップなど、多種多様なオリジナルグッズがあり、それもインパクトのあるデザインで素晴らしい。気づけば買い物袋がいっぱいになるほどに買い物をしてしまった。

「ビッグツー」オリジナルグッズのTシャツの写真。

一番人気は黄色のロゴTシャツ

「ビッグツー」オリジナルグッズのサンダルの写真。

ロゴの入ったサンダルも可愛い

「ビッグツー」店長の松浦能久さんとスズキナオさんのツーショット写真。

「ビッグツー」の店長・松浦能久さんと

お土産も買えたところで、今回の最後の目的である黒糖焼酎の蔵元の取材へ。4代目社長・西平せれなさんが斬新な商品開発を行っている「西平酒造」、そして、4代目の富田真行さんを中心に、甕仕込みという昔ながらの製法で酒づくりを続けている「富田酒造場」と、二つの蔵を見学させていただき、お話も伺うことができた。

その模様は、先述の「酒屋 まえかわ」の前川さんへの取材とともに、黒糖焼酎という切り口で別にまとめましたのでご一読をよろしくお願いいたします(https://kotosara.net/magazine/amami_2/001/)。

と、そんな旅程で、振り返ればあっという間の奄美取材旅が終わったのだった。車で奄美空港へと送っていただく途中、激しい雨が叩きつけるように降り始め、もう少し島にいたかった私は「飛行機が飛ばないのでは?」と、不謹慎にも少し期待してしまったのだが、そんなことはなかった。

スズキナオさんが帰阪する飛行機から撮った眼下に見える奄美大島の写真。

雨雲の切れ間から、奄美の美しい砂浜が一瞬見えた

その後、すっかり好きになった黒糖焼酎のソーダ割りを飲みながら、「また奄美大島や奄美群島に行きたいな」と想像を膨らませている。奄美の自然と、島ならではのものを大事にしながら、それぞれのスタイルで生活している人々に、早くまた会いに行きたい。今回お世話になった方がたくさん参加してくれる予定の「あまみ群島ワンダートリップ2」も、とても楽しみだ。

スズキナオ
スズキナオ
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1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDと、単行本『ずっとあった店 スナック屋台おふくろ編』を刊行。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』『家から5分の旅館に泊まる』(スタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)、『大阪環状線 降りて歩いて飲んでみる』(インセクツ)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。

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