
阪神梅田本店1階の催事場・食祭テラスで2026年3月11日(水)から3月16日(月)にかけて開催される「台湾&沖縄 チュラネシアへの旅 亜熱帯フードトリップ」との連動企画として、台湾と沖縄という二つの地域の特色や共通点をテーマに、それぞれの専門分野を持つ4人の方々にお話を伺った。
人気の旅行先でもあり、また独自の文化と複雑な歴史とを持つ台湾と沖縄を、“チュラネシア”という文化圏として捉え直してみた時、どのようなことが浮かび上がってくるかを、4人の言葉を通じて感じていただければ幸いである。また、この記事が入口となって、台湾と沖縄に興味を感じていただき、「台湾&沖縄 チュラネシアへの旅 亜熱帯フードトリップ」にも足を運んでもらえたらうれしい。
シリーズの第2回目として、旅する食文化研究家・佐々木敬子さんにインタビューをお届けしたい。ヨーロッパ北東部、バルト海沿岸の“バルト三国”に詳しく、情報サイト「バルトの森」を主宰している佐々木さんは、その一方、台湾に暮らす原住民の食卓を訪ね、その様子を書き綴っている。
『台湾台所探訪』と題されたそのシリーズは一部分がオンラインで公開されており(https://www.tokaiedu.co.jp/kamome/contents.php?i=1745)、2026年春以降に一冊の書籍にまとまる予定だという。台湾各地の食文化を知る佐々木さんに、台湾のこと、沖縄との共通点として感じる部分など、色々なお話を伺った。

旅する食文化研究家・佐々木敬子さん
――よろしくお願いいたします。台湾の食卓をめぐる取材をされて、それが書籍になると伺ったのですが、台湾をそんな風に取材することになったきっかけをお聞きしてもいいでしょうか。
私は通っていた大学で中国文学を専門に学んでいたんですけど、年代的にその頃が就職氷河期だったこともあって、そういう時代に中国文学をやっているというのはちょっと異端児みたいな感じだったんです(笑)。先の就職のことを考えて、中国語を学ぶほうに自主的に移っていって、そこから、海外に目が向いたというか、すごく興味を持つようになりました。
――そうだったんですね。
在学中には中国に1年ほど留学したり、卒業後は日本の企業に入ることになるんですけど、そこでも香港に2年駐在して、そこを拠点にしながら、週末や長期の休暇が取れた時には東南アジアに行ったりと、そういうことをしていたんです。サラリーマンをしながら、20年ぐらいにわたって、休みがあれば外国に行って、食べることも好きなので、現地の料理教室に行ったり、知り合いの家に行って餃子の作り方を習ってみたりするようなことがあって。
――すごい行動力ですね。
料理を教えてもらったり、作るところを見せてもらったり、食べさせてもらうっていうのは、私がそもそも人が好きだっていうのもあって、すぐ仲良くなるタイプなんで(笑)。「うちにおいでよ」みたいな感じで言われて、ついていくっていうパターンだったりして。仕事をしながらそういう経験もできて楽しかったし、安定した収入もありがたかったんですけど、仕事の上で難しい局面もあって、仕事を辞めようかなと揺れていた時期があったんです。私のパートナーはエストニア人なんですけど、相談したら「今、幸せじゃないんでしょ? だったら辞めれば?」って言われて。日本人からすると「でも……」って思うじゃないですか(笑)。
――そうですね。なかなか思い切れなかったりします。
でも、その「でも」を取っ払って、今の自分が幸せかどうかで考えるというのが、ヨーロッパの感覚なんでしょうね。それで私はその言葉にのせられて仕事を辞めたんですね。仕事を辞める数年前から、海外旅行に行って日本にはない食べ物を食べた時に、それを日本に帰ってから再現してみたいと思い始めていたんです。それで現地の料理教室に行ったり、本を読んで勉強して、自分なりに再現して友達に振る舞っていたんですけど、みんな褒めるのがうまいから「本当に美味しいから誰かに教えてあげたら?」って言われたりして、「KitchHike(キッチハイク)」というサービスがあったんですけど、ご存知ですか?
――いえ、知りませんでした。
今はその会社は別の事業を中心にしてるんですけど、昔あったサービスで、参加者がお金を払って、教えてもらった料理を一緒に作って一緒に食べようっていうものなんですけど、それをやってみようと思ったんです。たとえば、今日はお母さんの煮っころがしを作ってみようとか、ロシアで習ってきたピロシキを作ってみようとか、そういう集まりに参加させてもらって、こういう形であれば専門知識がなくても、免許がなくても飲食に関われるんだと思ったんです。
――たしかに、それは楽しい集まりになりそうです。
ここでなら、私が習ってきた料理をみんなと一緒に作れるんじゃないかなと思って、それをやりだしたのが2016年ぐらいなんですよ。会社を辞めたのは2019年のことだったんですけど、それまでは週末になるとKitchHikeで料理を作っていたんです。家にはエストニア人もいるんで、エストニアの料理を教わってみんなで作ったり。会社を辞めた後も頑張ってそういうことを続けてみるかと思って自分で料理教室を始めたんです。ただ、2020年の春にはコロナ禍になって、飲食は全然ダメになってしまって。
――ああ、そうですよね。大変な時期でした。
オンラインでやったりもしていたんですけど、やっぱり難しくて。2022年あたりから海外旅行に行けるかもしれないという状況に少しずつなってきたので、2022年の6月から8月まで、バルト三国に行くことにしたんです。なぜかというと、エストニアにはそれまでも行ったことがあって、よく知っていたんですけど、料理教室を通じて知り合った方に、「ラトビアの料理は?」「リトアニアは?」って聞かれた時に、バルト三国のエストニア以外の国のことは知らないわけです。しかも勉強しようと思ってもとにかく情報がないので、これは自分で行くしかないと思ったんですね。それで2022年の6月から8月までの3ヶ月、1カ国だいたい1ヶ月の旅程で、人の家の飯を食べに行こうと思って(笑)。
――最初からそのように決めて行ったんですね。
そうです。台所訪問という感じで。やっぱり食べ物自体は表層化していても、それが作られる場所って、それぞれの台所なので、そこから見せていただくほうが色々なことがわかると思ったんです。その時はバルト三国中をまわって、それをもとに書いたのが『バルト三国のキッチンから』(産業編集センター刊)という本だったんです。

ラトビアの台所(画像提供:佐々木敬子さん)
――2023年6月に出版された著作ですね。なるほど、その経験や台所から食文化を見ていこうという視点が前段にあって、それが今度は台湾に向かっていったわけですか。
そうですね。バルト三国って需要が少ないんですよ(笑)。それもあって次は別の地域にしようということもありましたし、また、やっぱり2022年のウクライナ侵攻以降、小さな地域をどうやって維持していくかということに目が向いたということもあります。バルト三国を見ていても、その国の人たちには結構達観してるところがあって、「ロシアと何かあったらエストニアなんてすぐ消えるよ」って言ってるエストニア人が一人だけじゃなくてたくさんいたりするんです。そういう意味でも、台湾が今後どうなっていくかという思いがありました。今のうちにしっかり見ておきたいと。
――歴史の変化に翻弄される部分が大きいと。台湾の取材っていうのはいつから始められたんですか?
2025年の2月から3月までの約一ヶ月です。
――ウェブ上で公開されているものを読ませていただいたんですが、その間は台湾のあちこちを移動していたんですか。
ずっとうろうろしてました。まだ行けてないところもあるんですけど、できるだけ広範囲を回れるようにスケジュールを設定しまして。
――記事の一部を読んだだけでも、エリアもそうだし、出てくる台所の雰囲気もそれぞれに個性がありました。
そうですね。タワーマンションの一室から、ほとんど野外っていう台所もあって。できるだけ普通を見たいと思っていたんですけど、普通ってなんなのかっていう。社会学者の岸政彦さんの『生活史の方法ーー人生を聞いて書く』(筑摩書房刊)にもあったんですけど、どうしてもアポイントを取りやすいところを取材してしまうっていうところがあって、そうなるとお金や心に余裕のある人が多くはなってしまうんですけど、地域とか民族、家族構成などができるだけ偏らないように取材しました。

アミ族の方の台所(画像提供:佐々木敬子さん)
――その場合、取材先はどうやって探すんですか?
台湾によく行っている友人のそのまた知り合いみたいな、まあまあ遠いところから取材させてもらっているパターンが多いですね。全く知らない人が9割で(笑)。
――コミュニケーション能力が高くないとできないことですね。ネット上で公開されているのは一部なんですよね?
そうですね。取材させてもらったのは全部で27人でした。30日の滞在中なので、ほぼ毎日誰かの家で、一日に2回とか。そのうち、最終的に本に収録されるのは24人になる予定です。
――ざっくりした聞き方になってしまうんですが、それだけの方々を取材された中で、台湾の食文化についてどんな感想を持たれましたか?
そうですね。それこそざっくりした返事になってしまうんですけど、台湾の料理は意外と味が薄いと思いました。
――あ、そうですか。それはたしかに意外な気がします。
家庭料理の味は薄かったですね。屋台の料理は味が濃くて、特にパンチのある味のものを食べたりするじゃないですか。そういうところでは強い味のものを出しているところが多いんですけど、家の料理っていうのは優しい味で、日本の醤油の使い方よりも、もっと味付けが違っていて……油を引いて、そこにネギ、またはニンニク、またはショウガ、乾燥したエビなどを入れて、それを炒めて、油にまず香りをつけて、その香りが味になるというか。味付けとしては繊細だなと思ったんです。
――油に香りをつけるところから始まるんですね。
日本の料理って出汁からで、それを素材に染み込ませるものが多いと思うんですけど、油に香りをつけていくんです。なので市場にはネギだとか、味付けのための野菜が多く売られているなっていう印象でした。
――いわゆる香味野菜というか。
そうなんですよ。調味料として野菜を使うっていうのが自分にとって面白かったというのと、あと電鍋(大同電鍋)ですね。

電鍋に水を入れるところ(画像提供:佐々木敬子さん)
――あ、台湾ならではの調理家電ですよね。あれ、欲しいなと思っています。
おすすめします。27人のご家庭に行って、電鍋がなかったおうちは1軒か2軒だけだったんですよ。取材していて思ったのが、ややもすれば人口に対して105%ぐらいの数はあるんじゃないかと(笑)。
――ははは。一家に一台どころじゃない。
ちょっと大きなおうちだと3つ持ってたりして(笑)。あれって炊飯器がもとになっていて、使い方もシンプルなんですけど、なんであれが台湾で普及しているかっていうと、適当だからだと思うんですよ。あの操作感の家電がもし日本にあったとして、日本人は「これで何分加熱すればいいんですか?」って聞いちゃうと思うんですよ。外鍋に水を入れて蒸すような仕組みなんですけど、「外鍋に何カップの水を入れればいいんですか?」って、日本だと聞かれると思うんです。実際に大同電鍋の日本の営業部門でもそういう風によくユーザーから聞かれるそうなんですけど、台湾の料理方法って、やってみて、水が足りなくなったらまた入れてみるっていう感じなんです。米が炊けてなかったらもう一回加熱してみる、みたいな。
――様子を見ながら調整していく感じなんですね。
そうです。日本人は炊飯器の線のところまできっちり水を入れて、ピッて押したら、次に開けた時には絶対に炊けているっていう状態を求めるじゃないですか。
――それが当たり前だと思ってしまっています。
これってなんか人生とも似ていて、日本だと昔は一つの会社にずっと勤めて、入る会社が決まったところで成功か失敗かも決まっているっていう感じがあったじゃないですか。今はもちろん違いますけど、そういう傾向が強くて、それが台湾だと転職してなんぼみたいなところがあって、「嫌だったらやめればいいじゃない」みたいな。
――エストニア精神にも通じますね。
料理にもその傾向が表れていて、一回電鍋の電源を入れて開けてみて、だめだったらまたやればいいじゃん。それは失敗じゃないんだよっていう緩さのある、優しい社会ではあるなと思いましたね。
――それが台所から見えてくるというのが面白いですね。そういう臨機応変な姿勢って、台湾が離島で、歴史的にも翻弄されてきたゆえの部分もありますかね。
そうですね。強さっていうか、葦のようなしなやかさがあるなって思います。過去の歴史も踏まえて、今は台湾全土でも、原住民の方々の文化を守っていこうという動きがあると感じましたね。
――台湾の原住民の方々ならではの食文化を知る機会っていうのはありましたか?
取材した中にも原住民の方がいらっしゃって、パイワン族とか、ルカイ族、アミ族の方もいらっしゃいましたね。たとえばアミ族は基本的に海の人たちなんで、魚が中心なんですよね。食べているもの自体は伝統的な料理というのではなくて、シイラという魚のお刺身だったりしたんですけど。一方で、パイワン族の方は山のものを食べることが多かったりして、民族によって食べるものも違うし、体格にも差があったりするんです。今はもちろん昔のように生活に大きな違いがあるわけではないんですけど、ルーツ的な違いも感じましたね。
――台湾のあちこちをめぐらないと見えてこない部分でしょうね。
まだ知らないことばかりだと思うんですけど、一ヶ月で結構色々なものを見ることができたなとは思います。
――私は台湾には一度行ったことがあるだけなんですが、その時に屋台で色々と食べて美味しくて、でも家庭の料理を食べる機会なんて普通はないし、本当に貴重な経験ですよね。
そうですね。私が発見したことがあるんですけど、家庭料理の味が薄いって言ったじゃないですか。その食べ方が面白くて、普通のお茶碗でご飯を食べるんですけど、ご飯を盛って、おかずが何品かありますよね。日本って何品かのおかずが大皿にあったとしたら各自の取り皿がありますよね。自分が取ったおかずを一旦置く場所がある。
――そうですね。そこは自分のテリトリーで。
あれが台湾にはないんですよ。私はその時に、「ちょっと待っておかず置く場所は?」って思ったんですけど、みんなご飯茶碗を持って、その上に乗せるんですよ。それを見た時に、「そうか、これが取り皿なんだ」ってわかって(笑)。

ビーフンのお椀しかない食卓(画像提供:佐々木敬子さん)
――ご飯の上にどんどん乗せていくスタイルなんですね。
ご飯だとまだ想像しやすいと思うんですけど、たとえば、ビーフンが出た時に、ビーフン自体の味付けはすごく薄いんですよ。たぶん、ビーフンはイコール米、なんなら混ぜご飯みたいな感覚で食べられているんじゃないかと思うんです。
――なるほど、その上に他のおかずが足される前提の味なんですね。
そうです。ビーフンを盛り付けて、その上におかずを乗せて食べてました。日本だとそれぞれの味を別々に味わうけど、台湾はそれを混ぜて食べるっていう文化なんだなと思うんですよね。
――こうしてお話を伺うと、味が混ざることへの寛容さというのも台湾らしさにも思えてきます。
そうですね。多民族で構成されている文化なんですよね。色々なものを受け入れていかなきゃいけないっていう。
――今回の催事に寄せてしまう感じで申し訳ないんですけど、沖縄との関係性についても伺いたいと思います。沖縄には行かれたことがありますか?
行ったとは言えないほどの回数ですけど。
――沖縄の食文化と台湾の食文化について共通する部分を感じたりしますか?
それはありますね。あんまり牛を食べないですよね。沖縄そばに乗っているのも豚肉ですよね。台湾でも牛を食べないっていう人が多くて、食卓にはあまり出てこなかったんですけど、珍しいことに台所で牛を調理して出してくださった方がいたんです。それはロシアのボルシチが転じて中国スタイルになって、台湾にも入ってきた羅宋湯(ローソンタン)という料理だったんですよ。“羅宋”っていうのがロシアを意味して、“湯”がスープ。ロシアスープで、イコールボルシチなんですね。外から来た料理には牛が使われることが多いみたいです。あと、牛肉麺というのも台湾で食べられているんですけど、これは中国大陸から後になって入ってきた食べ物なんです。それ以前の台湾っていうのは、牛はお米を一緒に作る仲間だったので、基本的には食べてないって言われるんですけど、これは私の考えなんですけど、牛を食べたっていうことをあまり言ってはいけない雰囲気があったんじゃないかと。
――なるほど、ちょっと忌避すべきことというか。
タブーだった時代があって、それが残ってるんじゃないかと思うんです。市場では売ってるんですけど。あと、台湾に東坡肉(トンポーロー)という料理があって、豚の角煮なんですけど、これは非常に沖縄の角煮に似てますね。煮崩さずに、あえて四角く調理するところも似ています。
――なるほど、近しい料理もあるんですね。
意麺(イーミェン)という料理があって、もともとは台南の食べ物なんですけど、この意麺って、ソーキそばとか、ああいう沖縄そばの麺にすごく似てるなと思います。私が取材した先で意麺を使って、鍋焼きうどんみたいなものを作ってくれた方がいたんですけど、最初からその意麺も入れてグツグツ煮込んでいて、それもあっさりした塩ベースの味わいだったんです。
――それは美味しそうです。あとそうだ、沖縄の「てーげー」という言葉が意味するように、適度ないい加減さというか、いい湯加減みたいな精神性というのは、それこそさっきの電鍋の話にもありましたが、台湾でも感じられましたか?
そこはありますね。私はもう慣れてしまったんですけど、時間通りに来ないとか、のんびりした感じはありましたね。そういう雰囲気は特に原住民の方に多い印象です。でもそれはプラス方向というか、いいなと思いました。前後30分ぐらいは誤差の範囲なんですよ。あと、ルカイ族の方がおっしゃっていたのは、昔は食べ物を長く保存することができなかったんですね。山に入って、鹿とかイノシシをゲットして、そのまま置いておいたら肉が腐る。だから山の中腹で燻製にしたと。燻製にしたら腐らないし、軽くなるから持ち運びにも便利なんだと。麓に持って帰るより、その途中で処理をする。この腐らないようにする技術って、その時期によって時間って違いますよね。
――湿度とか温度とかで変わってきますよね。
そうそう。それは「じゃあどの工程を何分やったらできあがりなんですか」っていうものではなくて、「できたらできたっていうことだ」というものなんです。一期一会的な。
――なるほど。時間は変化するものというか、目の前の生活が主で、時間がそこに従属しているイメージですよね。
そうなんですよ。パイワン族の男性が、民族衣装の柄のリュックをニットで編んでいて、「可愛いね、私も欲しいな」って言ったら、「いや待て、これは俺が何年も前に受けた注文なんだけど、まだできてないんだよ」って、3分の1もできてないんですよ(笑)。

パイワン族の方の途中まで編んだバッグ(画像提供:佐々木敬子さん)
――ははは。ゆったりした感じなんですね。
締め切りは気にしてないっていうか。食から見ていくと適当っていうよりも「できた時ができた時だ」っていう。
――同時に、さっきのお話でいうと「この職業についたからもう将来安泰だ」みたいな、そっちの安定した未来のビジョンもないかもしれなくて、その都度対応していく時間感覚が中心というか。
それこそ、自分たちの土地がどうなっていくかという危機をずっと感じている土地の、我々には計り知れない部分があるような気がしますね。
――そうかもしれないですね。
あと、台湾ってビルが建っていて、1階部分がアーケードみたいになっていて、椅子とテーブルを出してそこも客席にしてるところがすごく多くて、公と私が混ざっているというか。
――沖縄の古い市場の周辺にもそんな雰囲気があるように思います。境界があいまいな感じというか。あと、おもてなし文化というか、そういう姿勢は台湾にいて感じられましたか?
台湾のおもてなし、すごいです。取材させてもらう時に、「本当に家庭料理でいいんです。一品だけでもいいです」って伝えてあるんですけど、宴会料理を作ってくれた方がいました。それは、辦桌(パンズゥオ)って言って、台南あたりに残っている文化なんですけど、昔、宴会場だとか結婚式場とかそういったパーティーをするような場所がなかったので、近所の公園みたいなだだっ広いところに簡易的な丸テーブルをいっぱい並べて、結婚式だとかお祭り、お祝いをやったんですね。その場の料理を作る料理人が専門でいるんです。12品って言ったかな、決まった品があるんですよ。
――豪華そう!
また食材が高級なんですよ。アワビの乾燥したやつとか。それを再現してくれた方がいました。

辦桌料理が並ぶテーブル(画像提供:佐々木敬子さん)
――すごく歓待されたということですね。
次の取材があったんでもう必死でしたけどね。残った分は持ち帰らせてもらって。それは、もてなしっていうのもあったかもしれないし、その文化を伝えようとしてくれた部分もあったと思うんですよね。その料理の作り方を知っている方ももうほとんどいないっておっしゃっていたので。
――貴重な体験ばかりですね。佐々木さんの新刊を読むのがすごく楽しみになってきました。今日はありがとうございました!
佐々木さんのお話の中で、台湾の電鍋の扱い方の話が印象的だった。とりあえず加熱してみて、まだ熱し具合が足りなそうだったらまたやればいいじゃないかという、考えてみれば当然のことを、日常の中で忘れてしまいがちな自分がいる。
歴史の変化の中で色々なことにその都度対応してこなければならなかった土地ゆえの、しなやかさ。その精神性もまた、チュラネシア文化圏に共通するものなのかもしれない。

(X/tumblr)
1979年生まれ水瓶座・A型。酒と徘徊が趣味の東京生まれ大阪在住のフリーライター。WEBサイト「デイリーポータルZ」「集英社新書プラス」「メシ通」などで執筆中。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーで、ことさら出版からはbutajiとのユニット「遠い街」のCDと、単行本『ずっとあった店 スナック屋台おふくろ編』、『ずっとあった店 BARレモン・ハート編』を刊行。大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』『家から5分の旅館に泊まる』(スタンド・ブックス)、『「それから」の大阪』(集英社)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)、『大阪環状線 降りて歩いて飲んでみる』(インセクツ)。パリッコとの共著に『酒の穴』『酒の穴エクストラプレーン』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)、『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』(スタンド・ブックス)。
バックナンバー
第4回
国立民族学博物館教授 台湾原住民研究 野林厚志さんに聞く
2026/2/24up予定


